13話 大切な人
―― え、この声は?
頭がこんがらがったまま顔を上げると、悪戯が成功したかのような嬉しそうな顔を菫を見返していた。
そう側仕えとして呉服屋に出向いていたあの青年がいたのだ。
「いらっしゃい菫さん、とりあえず着物を持って中に入って来ていただけますか?」
固まったまま動けないままの菫にクスッと笑みを漏らすと側仕えとして会っていた時のような丁寧な物言いで話しかける。
そんないつもの青年の声と言葉にギクシャクしながらも持って来た着物を抱えながら、用意していたのだろう青年の向かいにある座布団に腰をおろした。
菫が座った瞬間に襖がすーっと閉められる。
あの下男が閉めてくれたのだろう、菫の変な様子に不審に思ってなければいいがっと目の前の現実から目を逸らすようにする菫の思考を青年が先回りして呼び止める。
「びっくりさせてしまったかな?」
少し困ったような笑みを浮かべて菫を覗き込むように言う。
「い、いえ、そんなことないです!あなたは……頼政様だったのですね?」
菫は慌てたように返しながらも、そう改めて確認するように青年に問うたのだ。
「うん、そうなんだ。言えなくてごめんね、菫さん」
その菫の言葉に一瞬悲しそうな表情を浮かべながらもと申し訳なさそうな笑みを浮かべながらも、
「いや、昔のように菫と呼んでも構わないかな?」
と何処か昔の頼政を彷彿とさせる茶目っ気のある表情で聞いた。
「えっ、頼政様も覚えてくださったんですか?」
「もちろんだよ、"も"って事は菫も覚えていてくれたんだね。では菫には前のようによりっと呼んで欲しいな」
「……はい、頼様」
答える菫に眩しそうに目を細め笑みを深めた頼政を見て、
―― あぁ、子どもの時のより様の笑顔に凄い似てるんだわ。なんで今まで気づかなかったのかしら。
好きだと思ったその笑顔の理由が分かった気がした菫だった。
それと同時につきん、つきんっとあの痛みが胸を襲い始める。
初めて菫が好いた男は蓋を開けてみたら、この街1番の貴族の頼政。
元より烏滸がましくて口に出来ないほど、身分の差があるのだが更に彼の大切な人のために足しげく通ってまで準備をした晴れ着を菫は腕に抱えたままだった。
―― どうしようもない。これはどうしようもないわ。
自分に言い聞かせながら、せっかくの嬉しい再会に涙なんかを見せぬように必死に笑顔を顔に留めておこうとする。
思わずぎゅっと握りしめてしまった晴れ着に頼政も目を止め、
「その晴れ着を大切に完成させてくれてありがとう」
と改めて彼女に感謝し頭を下げた。
晴れ着という事もあり、ひと針ひと針縫いながら幸せになります様にと願って作り上げたこの着物。
それが自分が初めて好きになった人の婚約者の物とは何という皮肉なのだろう。
頭を下げている頼政には見れないだろうと少し自重気味な笑顔を菫は浮かべた。
「さて、早速私の大切な人に着て見せて貰いたいから菫はそれを持ってこっちへ」
―― えっ、今はお会いしたくない……
頼政の言葉にビクッと顔をあげた菫の腕を彼が掴み、待ちきれないと言わんばかりに入り口とは反対の奥の間にいるであろう"彼の大切な人"の元へ菫を誘った。
好きな人の大切な人っとは言え心を込めて仕立てた着物だ。
針子の誇りにかけてもしっかり最後まで仕事をしようと自分の気持ちに蓋をして頼政の後に続くために足を動かす。
「こちらにいらっしゃるのですか?」
尋ねた菫の言葉と同時に開け放たれた奥の間の中央には、姿見の大きな鏡がたっているだけだった。
―― えっ、誰もいらっしゃらないけど?どちらに?
戸惑い困惑する菫の背中を鏡の前まで推し進めると、大事そうに抱えている包みを開き完成した紫色の着物を後ろから菫に羽織らせた。
そして被さるように後ろから一緒に鏡を覗き込み綺麗と称される頼政の顔を今だに混乱のまま目を見開いている菫の顔が鏡に映し出される。
「やはり私の大切な人は紫、いや菫色が似合うね」
頼政は蕩けるような顔で笑った。
その瞬間身体中に熱が走り、鏡に映っていた顔も一瞬にして朱色に染め上げる。
「えっ、頼様が婚約される相手って……」
自分が想像してしまった妄想を振り払うように問いかけると、
「そんなのずーっと昔から菫に決まっているじょないか」
となんてことの無いように答える頼政に、
「えっ、そんな、でも……」
菫は赤く熱い頬を抑えながら突然湧いてきた喜びに体が爆発しそうになっていた。
「昔の約束思い出してくれたんだよね?」
慌てる菫が可愛いと言わんばかりに後ろから抱きしめながら頼政が言う。
「確かに約束しましたが、それはより様が子どもの頃の話で……」
照れながらも言い返そうとした菫は引っ掛かりを覚えてはたっと止まった。
「えっ、思い出したって?」
戸惑ったように自分を見つめる菫の目線を受け止めると、頼政はすまなそうに笑みを浮かべる。
「私、最近までより様のことをすっかり忘れてたんです」
「うん」
「でもこの1ヶ月で急に少しずつ思い出したんです。それも夢の中で……」
まるで知っていたかのように頷く頼政に、菫はもう少しで何か点だったものが繋がりそうだっと思った。
「うん、全部知っているよ。それは僕のせいなんだ」
少し幼い頃の頼政を思い出させるような話し方で答えたのだ。
「……頼様のせい?」
「菫はどこまで思い出したのかな?鬼の話はもう思い出した?」
「えっと、確か妖と鬼がいて鬼が一番強いとか言っていたように思います」
「うーん。やっぱり、まだ朧げなようだね」
夢で見たのはと夢の中で見た出来事をなぞろうと菫がしていると、頼政は少し寂しそうに笑いながら菫を腕から離し、向かい合うように座らせると菫が知らなかった世界について語り始めた。