12話 納品の日
―― はなびと?
そう、ゆいいつなんだって!
―― じゃあ、これもいつかは花咲くの?
うん、きっと。
―― でも見せちゃ駄目なんでしょう?
もちろんだよ!ぜったいほかのこになんかにおしえちゃだめ!
―― ふふふ、より様必死すぎるわ。
すみれはぼくのはななんだから
茶化すように笑った女の子の瞳をひと回り小さな男の子が真剣な顔をして覗き込む。
―― ふふ、分かった。これはより様のために咲くのね。
その言葉にパーっと顔を輝かせた男の子は感極まったかのように女の子に抱き付く。
そう、すみれはぼくのはなびとなんだ。
必死に言う男の子が可愛く女の子は思わず、彼の頭を弟にするかのように撫でてしまう。
それに少し拗ねたような表情を見せながらも男の子は、
そうだからね、すみれ。
このことは……
ないしょだよ
眼が覚めると花のようないい香りの中、冬の刺すような光ではなく春のような穏やかの朝日を顔いっぱいに菫は感じた。
今日はいよいよ屋敷まで納品へ向かう日。
針子の責任者として何としても、大切であろうあの女性用の晴れ着を作った者として何時もは旦那だけなのだが今回は菫も一緒に来て欲しいと招待を受けたのだ。
1番のお気に入りの着物を着て菫は気合を入れる。
「気をつけろよ」
「頑張ってらっしゃい」
屋敷に招かれると言う少し名誉だが粗相をしないか心配なのだろう、両親は珍しく仕事には出かけておらず彼女を見送ったのだった。
あれから、あの青年のことを思い出して仕方がない。
一度自覚してしまった気持ちはどうしようもなく溢れて着てしまうこの気持ちを菫は持て余し気味であった。
屋敷で合流した旦那と丁寧に出来上がった着物たちが入った箱を積んだ牛車に乗り、菫にとっては久方ぶりのお屋敷に向かった。
屋敷に着くと菫たちは客間に通され茶菓子と茶をいただきながら屋敷の主人を待つことになった。
箱に詰められた着物たちが屋敷の下男たちによって部屋に運び込まれるのを横目にしながら、慣れない状況に菫は自分を落ち着けるためにひたすらお茶を飲み続けたのだった。
「お待たせしました。」
3杯目のお茶を屋敷の者に勧められそうになる頃、部屋にと壮年の男女が入って来た。
その姿を見るなり頭を下げる旦那に菫も反射的に倣って頭を下げる。
「二人とも頭をあげてください。何しろこちらが無理言って頼んだことですから」
威厳がありながらも優しさを帯びた声に旦那が顔を上げる気配を感じ、菫もならって顔をあげた。
館の主人からの労いの言葉を受けて旦那が着物を納品にきた旨とその着物たちを披露して行く。
ただついて来ただけの菫はそのやりとりを2歩下がった位置から眺めているしかなかった。
―― それにしても……
話している二人のを放って置いて先ほどから菫に眼差しを注ぎ込んでくる方に、彼女はそろっと目線を向けるとバッチリ眼が合ってしまった。
眼が合ったことに喜ぶように微笑みを浮かめる方こそ、この館の女主人詰まりは頼政たちの母親でもある。
―― 小さい頃により様と遊んでいたくらいだから、どこか見覚えがあると思ってらっしゃるのかしら?
少し困りながらも反射神経で菫も笑みを返しながら、旦那たちの会話に意識を集中するように心掛けた。
「どれも見事で本当に気に入った。これであいつも満足するだろう。今回の褒美に報酬には心づもりとして色を添えさせてもらった。今後とも贔屓にさせてもらうよ。」
主人からのこれ以上にもない賛辞を受けて旦那だけでなく菫も嬉しく自分たちの仕事が誇らしく思えた。
「ところで・・・」
それまで主人の隣で相槌を打つ程度しか話さなかった女主人が口を開き、はたっと菫に目を留めにこりと笑った。
急なことに戸惑いを隠せない笑みを菫が浮かべながら見つめ返すと、
「この婚約者のために作った晴れ着を少しでも早くあの子に見せてあげたいわ。呉服屋の旦那さんはこれから支払いの話し合いがあるでしょうし、お付きで来た方が持って行って見せるついでに説明していただけないかしら?」
壮年の女性とは思えない鈴がなるような声をはまるで少女のようだったが、有無を言わせぬ凄みも感じた菫は気づけは承諾の意を表すかのように頷いていた。
―― どうしてこんな事に……
晴れ着を大切に腕に抱えながら、下男の案内に従い菫は屋敷の奥へと足を進めていく。
―― でも、あの子ってもしかしなくても頼様のことよね?
と言うことは久しぶりに会えるのかしら?
まあ、向こうは覚えてないでしょうけど。
夢の中に出て来た天使のような頼様の顔を思い浮かべると自然と菫も着物を届けることが楽しみになっていた。
「頼政様、例の着物をお持ちしました。」
一つの部屋の前で下男は止まると部屋の中に声をかける。
―― あっ、やっぱり頼政って頼様なんだわ。
中からぐぐもった返事が聞こえると下男は後ろにいた菫を振り返り、通り道を開けては目で中に入るよう促される。
「失礼します」
緊張と再開できる喜びにとでごちゃ混ぜになった声は少し震え気味だったが、扉を開けて正座した頭を深々と下げた。
「入れ。」と命令し慣れたであろう声が後頭部に刺さると、菫は既視感に襲われた。