11話 気づいた想い
ーーお母さんが、誰にも見せちゃ駄目だって。
すみれ、おねがい
ーー誰も本当は言っちゃ駄目なんだけど、
ぼくたちに かくしごと なし!
ーーだよね。
そうだよ!
ーー見える?
うん!
すみれ、これはまちがいなく……だよ!
ーーえっ、じゃあ頼様が言ってたみたいになるの?
うん、すみれは……だ
ーー……か、じゃあ……
それは……から
でも いまは ないしょだよ
目を覚ますとまた花のような甘い匂いが余韻のように漂っていた。
2月も終わりかけの朝は春に近づいているのを示しているかのように日に日に暖かくなっている。
晴れ着たちの最終確認の日。
今日は着物を確認してもらい不備がなければ少しの仕上げ作業の後いよいよお屋敷に納品する事になる。
ほぼ完成した着物たちを客間に並べながら、これが終わったらあの青年との会うことが無くなるのかっと菫は考えていた。
その事実はまるで水面に落とした雫のように波紋になって菫の心に広がって行く。
気づけば翳りをおびる菫の横顔を、若旦那が切なそうに見つめていることを彼女は気づくことは無かった。
せめて最後に旦那、若旦那と同席した最終確認。
「どれも本当に見事です。はやりこちらに頼んで良かった。」
満足気な青年の笑顔に旦那達からも安堵に息が漏れる。
少しでも青年を目に焼き付けておこうと菫も見送りにも参加してその後ろ姿を見つめた。
「本当にご苦労だったね。今日は針子たちも皆早く返って十分に休みなさい。仕上げ作業明日で十分間に合うだろう。」
働き詰めだった菫達をねぎらい皆早く家路に着くことになった。
「ちょっといいかな、菫」
門を出るところを呼び止めたのは若旦那だった。
半刻前まで青年と顔を合わせていた客間に若旦那と向かい合うように腰を下ろす。
呼び止めたのは若旦那であったが何時もの人好きする笑みをみせることなく、口を真一文字に固めたまま押し黙っている彼の様子に菫もどうしていいのか分からず一緒に黙り込んでしまった。
体感で随分時間が経ったように感じ始めた頃になって、若旦那は引きも済んでいた口をようやく開いたのだ。
「菫、婚約のことなんだが……」
その声は少し掠れて部屋に中に響く。
「ずっと君が気になっていた。君にとってはいきなり湧いた縁談かもしれないが、私にとっては好いた女性と一緒になりたいと願ったことで。良ければ返事を頂けないだろうか?」
ゴクッと彼の喉がなった後、菫の瞳をしっかり見つめ紡ぐ真っ直ぐな言葉と瞳が菫に刺さるように届いた。
―― 何故この言葉を刺さるように痛く感じてしまうのだろう
その痛みこそ自分の中に既にあった縁談への答えを告げているようだった。
そして痛みと共に浮かぶ顔。
それが全てなのだろう。
この真っ直ぐすぎる男の気持ちに、菫も誤魔化しもなく答えを返すのが彼に一番誠実に答えられる事だろう。
「若旦那さま、この縁談お受け出来ません。申し訳ありません。」
申し訳無さからか彼が感じる痛みを思ってか、頭を下げた菫の目に涙が溢れる。
しかしここで自分が泣くのは違うと、菫は頭を下げ続けながら涙を必死で押し戻そうとしていた。
「分かった」
三泊ほど置いてか何処か震える声で答えたのが菫の耳に届いたが顔を上げる事は出来なかった。
「菫、顔を上げてくれないか?まるで私が針子いじめをしているような気分になるよ。」
しばらくして咳払いをした若旦那がと冗談混じりに声を掛けてくる。
その声にゆっくり顔を上げると少しこわ張りながらも何時もの人好きする笑顔困ったようにゆがめた男の顔があった。
「こんな事があってっと菫は気に病んでいるかもしれないが、仕事を辞めないでくれないか?差もないと優秀な針子さまをって私が父にどやされてしまうからね」
されに続けてと冗談めかして言ってくる男の優しさに、胸が熱くなり菫の目は再び潤み始めてしまった。
―― どこまでも優しい人……
「菫は父の大のお気に入り入りだからね」
「寧ろ出て行くと言ったら代わりに私が追い出されてしまうよ」
泣くのをこらえて何もいえないでいる菫に、そんな場の雰囲気を和らげるように彼優しい言葉たちは降り積もって行った。
門まで見送りに来た若旦那にまだ明るいので見送りは不当と改めて断りを入れる。
「明日からもいつも通りにしよう」
「明日もよろしくお願いします」
約束を交わし、お辞儀をしてから背を向けた菫の背に、
「君は好きな人いるんだね」
と尋ねるでもなく聞かせるでなく思わず唇から溢れてしまったと言わんばかりの寂しげな声を背中に受けて彼女が出来た事は聞こえなかったと示し歩みを止めない事だった。
呉服屋の門から見えなくなる角を曲がると、それ以上菫は我慢する事が出来なかった。
“好きな人がいるんだね”
何処か確信を持ったその言葉はまるで菫の心に縫い付けられたかのように痛みを伴い離れなかった。
それ振り切るように小走りで走る。
そんな彼女の様子に道行く人の不思議そう目が刺さるが、そんなことは全く気にならなかった。
人通りもまばらになり、心臓がこれ以上走れないと破裂寸前なほど脈打つ中でようやく菫足を止めて息を整えようとする。
その頬にはとうとう抑えて置けなかった涙が流れるのだった。
若旦那に思いを告げられた時、答えられないと思ってしまった。
そんな時になって自覚した。
浮かび上がって来た顔。
締め付けるような痛み。
―― 恋って痛いものだったんだ
―― 恋とは世の少女達が話すきらきらどきどき輝くものだと思っていた。
―― 何でこんなに痛いんだろう……
そうかっっと恋を自覚した途端に、同じく自覚した。
この恋が叶う事はないと。
涙を拭き出来るだけうつむきながら、泣いてみっともなくなった顔を見られないように歩き出す。
そんな彼女 の様子をすれ違う人気づく事はなかった。
―― どうせならもう少し早く気づきたかったそしたら私もしっかり伝える事が出来たかしら
「あれ、何の花だろう?すっごい良い香りがする」
すれちがった2人組の1人がすんっと鼻をならし、その言葉にもう一人の男が周りを見渡した。
「花何て咲いてないぞ。」
「おかしいな。確かにすごい良い匂いがしたんだが……まあ、いいか。それより例の神隠しの件だが」
「二つ隣街で起きた若い女の人攫いって噂だが……」
「本当たまらない香りだよね」
そんな彼横を通り過ぎた男がと呟くように答えた男の声は、通り過ぎて言った彼らに届くことはなかった。
「もっと咲き誇って私の……」と続いた言葉も空気の中に消えていった。