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Epilogue

 シニア時代に遮二無二野球に打ち込んできた者としては、公立野球部の練習時間の短さは大いに時間を持て余す。

 ただ下克上での甲子園出場を目指すからにはやる気はMAXで、遅れて入部したくせにやたら燃えている俺は他の部員に若干煙たがられながらも、みんな必死に汗を流している。

 ともあれ今日は練習オフなので、授業が終わって教室を出たら、すっかり歩き慣れた廊下を地学準備室目指して進んでいる。

 もはやバケモノの檻としての機能は無用になったが、溜まり場としてはとても便利なのだ。

 その時ポケットの中のスマホがブルリと震えた。

よいこちゃん『体育の補習があるから先に行っててくれたまへ』

 御茶天目先輩はチアリーディング部に再入部し、これまでの運動不足を取り戻すために特訓の日々を送っている。ただし今日は向こうもオフだ。

 引きこもり期の授業の単位は自習でなんとかお目こぼしを頂いていたらしいのだが、もう外に出られるなら容赦はしないということで、ちょいちょい補習で呼び出されている。

 了解した旨を返信すると、メンヘラ女子が構ってほしそうにこちらを見てくるイラストのスタンプが送られてきたので既読無視してアプリを閉じる。

 スマホの壁紙は去年の憧れのチアリーダーではなく、ちょっとキツくなったウエストをごまかすように可愛い子ぶったポーズで笑うチアリーダー姿の御茶天目先輩だ。

 アルバムを覗けば、照れくさそうに控えめなピースをした自撮りの先輩や、先輩の膝枕で惰眠を貪る俺、ヤマメを釣り上げて大慌ての先輩、ヤマメに齧り付いて油断している先輩、寝袋に包まっている先輩などなど、あのキャンプから今までの写真がズラリ。

 感慨深く眺めていると、もう地学準備室に着いていた。

「よーっす」

「やあ慧悟。あれ、先輩は?」

 イケメンが一人で椅子に座ってくるくる回っていた。

「遅れるって。って注連内もいないの?」

「今日は日祓連の会合があるから先に帰ったよ。日頃からのロビー活動の成果もあって、なんとかなりそうだって。そんなに方々まで根回ししてたなんて知らなかったよ。一体何の目的だったのやら……訊いても全然教えてくれないんだ」

「そうか……」

 この分ならオリヴィエが外堀埋められるのも遠い話じゃなさそうだ。

「あ、慧悟これ。『皆様でお召し上がりください』ってお年賀の挨拶で美味しいラング・ド・シャの詰め合わせが来たから君の分ね」

「へー、ありがとう。ってお年賀? もうそんな時期じゃないだろ? 誰から?」

「『当方正月は冬ごもりの時期の為お休みを頂いており、遅蒔きながら先日旧交を温めさせていただきました注連内様とご友人の皆様に、僭越ながらお年賀のご挨拶の代わりとしてお菓子をお送りさせていただきます』って〝猛れる獣王〟ザ・マキシマムタイタンから」

「あのクマだけ世界観おかしいんだよなぁ……」

 ツッコミつつも小腹空いてたので、〝猛れる獣王〟ザ・マキシマムタイタンの送ってくれたラング・ド・シャを一つ食べたがめちゃくちゃ美味しかった。

 味・食感・香り共にこれまでの人生で食べたラング・ド・シャの中でダントツだった。

 ありがとう、〝猛れる獣王〟ザ・マキシマムタイタン!

「コーヒー淹れようか?」

「いや、別にいい……。……あー、そういえばオリヴィエ」

「ん?」

「お前さ、結局どこまで暗躍してたんだ?」

「……どういう意味かな?」

「細かいところで違和感はあったんだよ。

 でも悪意を感じるわけじゃないし、結果的に丸く収まってるわけだから追及するのも変かと思ってたんだけど、モヤモヤしてるのも気持ち悪いし、いっそのこと直接訊こうと思ってさ」

「ふむ、続けて」

「ぶっちゃけお前、ずっと俺達より妹に肩入れしてただろ」

「どうしてそう思ったのかな?」

「だって、そもそもオードへの警戒が甘すぎるだろ。簡単に逃げられるし、簡単に俺への接近を許すし。あの荷物に紛れての侵入だって、お前ならすぐ気づくはずだろ?」

 確かに目で見てもなかなか気づけないかもしれないが、川底の川虫の気配まで探り当てられるエローラ感知力を持ったオリヴィエなら、荷物の中の妹の存在などすぐに分かるはずだ。

 つまり、車に荷物を積み込んだ時点で既にオードの侵入には気づいていたことになる。

「そう考え始めたら、オードが俺を襲ったきっかけになった『資料を勝手に見られた』ってのもわざと管理を甘くしてたんじゃないかとか、テントで寝てた注連内のサラシを取って戦いにくくしたのもわざとなんじゃないかとか、いろいろと疑いの念が沸き上がってきて……あと、これは訊くのも怖いんだけど――そもそも注連内に結婚を申し込んだのも、注連内家との繋がりを強めて自分の一家の身の安全を確かなものにする狙いがあったんじゃないか、とか――」

「――OK、答えよう」

 オリヴィエは軽薄な雰囲気を崩さずに語る。

「知っての通り、オードは子供だった。あのままではいつ取り返しのつかない暴挙に出て、過激派に夢魔殺処分の大義名分を与えてしまうか分からなかった。

 この際だからその成長も促してやろうと思ってさ。君達とぶつけて化学反応を狙ってみた」

「なんでそんな性急なことを……諸々の問題が片付いてからじゃダメだったのか?」

「御茶天目先輩の問題のタイムリミットは、過激派が彼女の処分を決めた時だった。だがそれは同時に注連内家が過激派の声に屈した時という意味であり、つまり僕らエロワ家の殺処分も決定する時と同義なんだよ。どちらもなんとかしなければいけない問題だった」

「なるほど……」

「……僕も多感な頃はオードみたいなことを考えたりもしていた。

 実際に力を得た中二病は厄介だ。治るきっかけがなかなか無い。

 でも僕は自分で立ち直れた。僕とオードの違いは、僕は欧州生まれで彼女は日本生まれということだ」

 真面目なトーンで語りつつ、オリヴィエは初めてメガネを外した。

 色付きレンズ越しではない彼の瞳を始めてこの目で見た。

 オードと同じくエメラルド色の虹彩。

 しかしその中心の瞳孔は、白く濁っていた。

「オリヴィエ……その目って――」

「言っただろう、欧州の祓魔師連中は過激でね。幼い子供にすら躊躇わず致死の呪いをかけてくる。幸い光を失った程度で済んだが、それが僕ら一家が日本へ落ち延びる切っ掛けだった」

「でも今まで目が見えない素振りなんて――」

「ああ、僕は光ではなくエローラで物を見ているからね。視覚を失って聴覚が異常発達する人がいるらしいけど、そんな感じで僕のエローラ操作は格段に上手くなった」

 自嘲気味に言って、オリヴィエは再びメガネをかけた。

「僕は排斥されるバケモノがどんな目に遭わされるか思い知っている。だから僕ら家族の平穏を侵されるような要素は我慢できない。

 でも日本に来てから生まれたオードはその恐怖を知らない。だから暴走すると歯止めがかからなかった。僕ら家族が何を言っても聞かないんだから、彼女が見下している人間なのに彼女より力のある御茶天目先輩や爛に徹底的に鼻っ柱を折ってもらうしかなかったんだ。

 結果はご存知の通り、見事彼女は幼い衝動から卒業し、持てる才能を生かし始め、エローラバリアという先輩への恩恵まで生み出した。想像以上だったよ」

「オードに勝手に資料を見られたのは?」

「見えるところに置いといた」

「キャンプ道具に紛れ込むアイデアは?」

「あれは彼女が自力で思いついたことだし、潜入も全部一人でやり遂げたものだ。

 ただし無駄にデカい道具を準備したり、出発前に玄関前の目立つ場所に積んで置いたり、影で思考の誘導はしたけどね」

「寝てた注連内のサラシを外したのは?」

「だってあっという間に勝負が決まっちゃったら成長も何もないだろう? 胸が暴れるぐらいのハンデはあげないとね」

「……注連内に結婚を申し込んだのは」

「……それは計算なんて全く無い、と言えば嘘になっちゃうかな」

「そうか……」

「さてどうするんだい慧悟。正直、友達をやめると言われても僕は文句が言えない」

「……最後にもう一つ訊く。その答えによっては、俺はお前を赦せない」

「分かった。嘘偽りなく答えよう」

「俺や御茶天目先輩と友達になりたい、そして注連内のことを心から愛している――お前の言ったこれらの言葉は本心か?」

 オリヴィエは真っ直ぐ俺を見て答えた。

「本心だ。僕はまともな意味で人間が好きだし、自分もその一員だと思っている。だから友達がいないのは寂しいし、素敵な女性とロマンスに浸ってみたい。

 慧悟のことは最初に話したときから本当に正直で素直な優しい男だと直感したし、御茶天目先輩は人間臭くてチャーミングで応援したくなる。

 爛とはもう家族みたいなものだけど、人生を共にするならあいつ以外は考えられないし、その熱い想いは今も三歳の頃も同じだ」

 でもね、とオリヴィエは苦笑する。

「僕は根っからの研究者で、気になるものはエローラに限らず追究したくなる。傍に置いて直接観測して解き明かしたくなる。

 君も先輩も、今となってはオードも、僕から観たら途轍もなく貴重なサンプルであり、実験対象でもある。

 そして好き勝手な研究を順調に進めるには、注連内家という環境はこれ以上無く有利だ。

 そういう打算的心情もまた僕の本心なんだよ。

 そしてこれら二つの本心は全く矛盾せず僕の中に確固として共存している。

 二律背反でも表裏一体でもない。あくまで別物として、しかし拒絶反応も起こさず共にある。

 君たちは僕にとって愛する友や家族であり、有望な駒でもあるというわけだ。

 どちらの感情にも嘘はない。両方が揃ってこその僕なんだよ。

 どうかな、この答えで満足してくれたらいいんだけど」

 話し終えると、オリヴィエは気の抜けたような笑顔で俺を見つめていた。

「そうだな……」

 答えは決まっていたが、ちょっと勿体ぶってみる。

「お前は妹の毎日のトイレ掃除を手伝ってやれ」

「……あっはっは! 分かった、注連内家中の便器をピカピカにしてやるさ」

「あ、それと色々手遅れになる前にさっさと注連内にもう一回告れ」

「えっ?」

 簡単な話で、俺や先輩は、自分ではどうしようもない自分の性に悩み、葛藤し、なんとか折り合いをつけて、結局「なあなあでいいじゃん?」って『ふりだしに戻る』みたいな結論に着地したわけだが、オリヴィエは最初から自分の性をありのまま受け入れ、そのままここまで来ただけなのだ。

 方針が三六〇度違うだけ。つまりは一周回って同じ穴の狢。

 自分が普通だと思ってる変な奴ってだけなのだろう。

 その時、地学準備室の扉が喧しく開かれ、待ち人が入ってきた。

「あ、先輩」

「【ズギューゥン!】」

 今日も明るい御茶天目先輩は、つかつか歩いてきて俺の背にぐでぇとしな垂れかかった。

よいこちゃん『いやーやっぱり体が鈍りすぎてる。太ももがパンパンだ。慧悟く~ん♡ マッサージしてくれない……?』

「お疲れ様です。これ、先輩の分のラング・ド・シャ」

よいこちゃん『最近あしらい方が雑だぞ。攻撃はまずしっかり受けろよ。一流のプロレスラーのように。甘える彼女のじゃれつきをスカすな。またいじけて屋上で大声で泣くぞ』

「マジでやめてください。あの時俺先生に校内放送で呼び出されたんですから。

『一年二組の朝霞慧悟くん、彼女さんが泣いています。至急屋上まで来なさい』つって。

 どんだけ周りからイジられたか……」

よいこちゃん『ほ~、美味しそう。どしたのこれ』

 俺を無視してラング・ド・シャに吸い寄せられる先輩。

「〝猛れる獣王〟ザ・マキシマムタイタンのお年賀の挨拶です」

よいこちゃん『????????????????????????????????』

 先輩がラング・ド・シャに噛り付くのと同時に、オリヴィエが鞄を持って席を立った。

「あれ、もう帰るの?」

「ああ、僕一人で君らのいちゃつきを見てるのは目に悪い。また明日ね」

「おう、また」

「【パンパンッ!】」

 オリヴィエは背中を見せたまま手を振り(この動作もイケメンにしか許されない)、さっさと帰っていった。

よいこちゃん『うっわ、これ……ありがとう〝猛れる獣王〟ザ・マキシマムタイタン……』

「ねー、めちゃくちゃ美味しいですよねそれ」

 さて、もう分かるだろうが、俺の『規制』はまた元に戻った。

 結局オリヴィエの言った『三つ目の最も平和的な手段』を選んだことにより、俺はまたエロいものとエローラが光るようになり、先輩の姿も声も掻き消されるようになった。

 とはいえ、目を逸らしてそこに逃げ込むのと、事態を受け入れてそこを選ぶのとでは全く意味合いが違う。性欲というものへのトラウマ、恐怖が完全に払拭されるまで、時間という万能薬が俺の心を癒してくれるのを待つのである。

 まあ、写真などなら先輩が見えるようになったという、文字通り目に見える進歩があったので、完全な解決も遠い未来の話ではないのかもしれない。

 そして先輩はあのなんとかキューブによってエローラの垂れ流しを防ぎつつ、オリヴィエの立てたプランに従ってエローラ制御の方法を学んでいる。

 今のところ、彼女のエローラが暴走してキューブを壊してしまった事はない。

 ちなみにオードは相変わらず俺を先輩から略奪するのを諦めていないが、最近は姿を現す頻度が減った。どうも俺の後輩ポジションを手に入れるため、この高校への入学を決意し、受験勉強に熱を入れ出したらしい。

 元々成績は悪くないらしいので、今から真面目にやれば受かるだろうという感じらしいが、御茶天目先輩がニンテンドースイッチの人気ソフトを送り付けまくることで彼女の勉強時間を削ぐ攻勢に出ているとか。

 止めようとするとめちゃくちゃキレる。女の意地は恐ろしい。

よいこちゃん『ねっ、二人っきりだね……どうする? 私は、いいよ♡』

「何をだよ。そこに妖しい共通理解があるような振る舞いやめてください」

よいこちゃん『マッサージしろっつってんの。太ももが痛いのはガチなんだよ』

「偉そうに……せっかくプレゼント持ってきたのに、あげるのやめてメルカリで売っちゃおうかな」

よいこちゃん『慧悟きゅんしゅきしゅき♡ 愛ちてゆ♡』

「なんか金品目当ての女みたいで余計嫌だな……まあいいや。はい、どうぞ」

 包み紙を先輩に手渡すと、おずおずと受け取る彼女。

よいこちゃん『開けていい?』

「どうぞどうぞ」

 ぺりぺりと開封された包みから出てきたのは、オシャレなキャスケット帽。

よいこちゃん『おおおおお! 可愛い! ……けどちょっと派手すぎない?』

 帽子の色は、明るいパステルカラーの水色。

「今は光って見えるからいいいですけど、いつか『規制』が治った時に、先輩がどこに居ても一発で見えるようにと思って派手なやつにしました」

よいこちゃん『なるへそ……ちょっと見てて』

 見てて、と言われても……と思いながらも眩しい先輩の顔の辺りを眺めていると、段々と光が弱まり、ぼや~っと素顔が見えてきた。

「えっ!? み、見えっ――」

「まだ十秒しか持たないからこれ!」

 早口で捲し立てながら先輩は手早く値札が付いたままの帽子を被った。

「どう!」

 そしてにっこり微笑んでポーズをとる。

「か、可愛いです! 似合ってますよ!」

 そう答えた瞬間、再び謎の光がパッと甦って先輩の顔は見えなくなった。

「……い、今のってもしかして――」

よいこちゃん『ふふふ……やっとここまでエローラを抑えることができるようになったぜ』

「順調じゃないですか!」

よいこちゃん『で、ホントに可愛かった? 変じゃなかった?』

「全然! 何度も言ってますけど先輩はちゃんと可愛いんだから自信持ってくださいって」

よいこちゃん『分かった! 分かったから! あんまり言わないの!』

 相変わらず先輩は自己肯定感が低いが、むしろここ最近美容に気を使うようになってきたせいか、以前よりどんどん可愛さが増している感がある。

よいこちゃん『うん、気に入ったぞこの帽子』

「お気に召したようなら何よりです」

よいこちゃん『これなら甲子園の広いスタンドにいてもグラウンドから見えるね』

「へ? あー、はは……」

よいこちゃん『そこは可愛い彼女を甲子園に連れてくって約束しろよ! 何のために野球やってるんだ! 甲子園のグラウンドからスタンドの私に手を振る為だろ!?』

「分ぁかりました分かりました! っていうか試合中はチアダンス踊ってるんだから帽子かぶれないでしょうが! はいじゃあプレゼント記念に一枚!」

 サッとスマホを構えると、先輩がポーズをとった気配を察してからパシャリ。

 画面には制服に派手なキャスケット帽というチグハグな恰好の先輩がいた。

 心から楽しそうな笑顔で、両手にピースではしゃいでる。

 よし、これなら先輩がどこに居たって、俺には彼女が見える。

 なぜなら彼女はいつでも光り輝いているのだから。


〈了〉

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