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【5】UNCENSORED!!

「つまり慧悟は好きな人にキスされて興奮してオーバーヒートしたんだよ」

「は?」

 気づくと俺は、十畳ほどの畳敷きの部屋で布団に寝かされており、枕元にはオリヴィエが付き添っていた。

 ここは注連内家の屋敷だそうで、オードから連絡を受けたオリヴィエと注連内家の祓魔師が俺をここまで運んできたらしい。

 起こったことはオードから全て聞いていたようで、オリヴィエはさっそく説明を始めた。

「君が突然御茶天目先輩の姿が見えた理由だよ。

 君の『規制』が発症した切っ掛けについては、申し訳ないけれど君と知り合ってすぐに調べさせてもらっていた。御父上のこともね。

 そのことがあって性欲というものを怖れ、憎んだ君だけど、御父上と同じく自分も性欲に屈してしまうのではないか。いつか大切な人を裏切ってしまうのではないか――無意識にそんな恐怖を抱いた。

 だからまず、性欲の発散をやめたんじゃないかな?

 野球やトレーニングに打ち込んだりして誤魔化してたんじゃあないか?」

「…………」

「しかし性欲が消えるわけじゃあない。

 目を逸らし続けたまま体内に溜まり続けたそれは濃縮され圧縮され、健全なエローラの流れをドロドロと滞らせる。汚れて詰まった排水溝や、動脈硬化の進んだ血管みたいなものだ。

 大きい動脈が完全に詰まれば下手したら死ぬのと同じく、エローラの循環機能が完全に止まれば君の生殖機能は死ぬ。

 これ以上ドロドロが溜まったらマズいと無意識下で判断した君の脳が、性的なものを認識しないことで性欲が湧かないようにした。エローラが完全に詰まり切る前に循環自体を休止させ、生殖機能が死ぬことを先延ばしにしたわけだ」

「それが俺の『規制』ってわけか……」

「そういうこと。フランスのプロヴァンス地方にあった修道院で十二世紀頃に記録された似たような事例が、エロワ家旧当主の日記に引用されていた。

 結果的に慧悟は敬虔な修道士と同レベルの禁欲状態になっていたみたいだね」

「……なるほど。じゃあなんであの時先輩が見えるように?」

「『愛する人のキスで不治の病が治った』なんてメルヘンな話ではないよ?」

「…………分かっとるわそのくらい」

「いいかい、しつこいようだけれど、慧悟は『性的なものを認識できなくなった』けれど『性欲が消えた』わけではないんだ。ただ強く押さえつけているだけ。人間の欲望を刺激することに関しては長けすぎている我が妹の誘惑にも耐えきれるほどに強くね。

 そんな君が、御茶天目先輩に口づけされたら一発で大爆発だよ。はっはっは」

「はっはっはじゃねぇんだよ」

「ごめん。とにかく、彼女のキスで未だかつて無く大興奮してしまった君は、今まで押さえつけていたのもあってエローラを瞬間的に大爆発させてしまった。

 エローラは体中を勢いよく駆け巡り、ドロドロと詰まった汚れを高圧洗浄機のように押し流して綺麗にしてしまったんだよ」

「……じゃあ今の俺は――」

「なーんにも異常無し。僕のちんちんも見えるよ」

「見たくないし聞こえたくもなかった」

「それで先輩のことも見えるようになった。でもそれはつまり彼女のエローラに対する防衛機能も失うということだ。

 シュツットガルテンキューブが壊れてしまえば、君にだって為す術はなかったんだ」

「…………」

「だから慧悟、君は何も悪くないんだよ。あれは事故だ」

「先輩にもそう言ってみろよ。それで俺が彼女にしたことが無かったことになるのか?」

「……ん、僕はただ――」

「確かに人間ならみんな先輩の前ではああなるのかもしれない。でも俺だけは……絶対にああなっちゃいけなかった! 俺だけは……彼女を裏切っちゃいけなかった! 俺のせいで彼女はもう一生癒せない心の傷を受けたかもしれない……」

「――ああ」

「オリヴィエ、これから俺はどうなるんだ? もうずっとこのままなのか?」

「いや、君の『規制』の原因である性欲に対する忌避感は未だあり続けている。そのうちドロドロは溜まっていき、また『規制』は始まるだろう。それからなら先輩に会うことも――」

「今までと同じなら、また何かのきっかけで爆発する可能性は残ったままだろ。その線を完全に潰すことは出来ないのか?」

「……慧悟が、もし『規制』の治療を望んだ時のために想定していた手段が二つ――いや、三つあった」

「『規制』を治したって意味ないだろ? 先輩を見ただけで気絶する人達と同じになるだけだ」

「まあ聞けって。

 手段の一つは、わざと体内のエローラ循環を暴走させ常に過活性化状態に置くことによって、ドロドロが溜まる前に流し去ってしまえるようにすること。

 しかしこれはデメリットも大きい。エローラの暴走とはすなわち性欲の暴走だ。

 単純に性的欲求が増大するし、場合によっては君の性的な衝動の方向性が想定外の……あー、平たく言うと、変な性癖に目覚める可能性がある」

「変な性癖……? 例の石フェチとかそういうやつ?」

「動植物や無生物、或いはただの物理現象なんか相手に股間膨らませるようになったら難儀なことになるけどまだまともな方さ。

 最悪の場合――他人を傷つけたり、殺害したりといった行為に快感を覚える獣に成り果てる」

「それは……論外だな。先輩を傷つける可能性が僅かでもあるなら意味がない」

 というか、先輩に襲い掛かってしまった原因がもろにそれなんじゃないか?

 あの時の俺がまさにエローラの過活性化状態というやつだろう。

「……だよね。そういうことになるよね、今の慧悟なら…………」

「……なんだよ、早く二つ目の手段を言えよ」

「正直あまり言いたくない。理由は、こちらのデメリットも相応に大きいことと、きっと慧悟はそれでもこっちの手段を選んでしまうだろうと予測できてしまうことだ」

「いいから、言ってくれ」

「――はぁ……。抑圧されたエローラがドロドロの原因なんだから、その元のエローラを完全に絶てばいいという話だよ。

 外科的な手術ではなく、呪術的な手法で永久に封印するんだ。

 何が起きようと性欲は湧かなくなるから、エロという概念も必要なくなり、不必要な『規制』も消える。君は先輩が見えるし話せる上に、性欲が暴走することもなくなる」

「良いことづくめじゃないか!」

「忘れたかい? エローラってのは生物の種の保存欲求が源だ。そこを絶ってしまうのだから、生殖細胞が作られることもなくなる。つまり完全な去勢だよ。

 君は子孫を残す手段を永遠に失うことになるんだよ。それでも本当にいいのかい?」

「構わないよ。それで頼む」

「……今回の事故は先輩のエローラ放出量が想定より多くなったことでシュツットガルテンキューブが壊れたことが原因だが、壊れるまでは正常に作動していた。

 つまり壊れないよう改良するか、先輩がエローラの抑制方法を身に付けられれば、彼女の垂れ流すエローラを完全に抑え込むことが可能なんだよ。そうすれば慧悟が身を切る必要はない。

 自分の中の葛藤と向き合って、時間をかけて性欲へのトラウマを解消できれば、自然と『規制』はなくなる。それから胸を張って先輩と向き合えばいいことじゃあないか。

 それが三つ目の、最も平和的な手段だよ」

「どれだけ時間がかかるか分からないのに?

 なあオリヴィエ、ここは注連内の屋敷なんだろ? なんで注連内がここにいないんだ? 俺以外のことで大事な用があるからじゃないのか?

 例えば……日本祓魔師連合協会とかさ」

「……勘が鋭いね」

「…………」

「……ああ、カラオケボックスという密室で目撃者は無く、被害者は慧悟一人だけ。

 それでも御茶天目先輩のエローラの暴走は感知されてしまった。

 爛はあれから先輩を家まで送り届けた後、説明の為に日祓連に出向いている。

 オードの技術で先輩のエローラを抑制できる可能性を発見した功績を全面に出して納得を得られればいいが……過激派からの追及は免れないだろうね……」

 過激派の声が大きくなるということは、先輩の『処分』が決まってしまう可能性が増すということ。悠長に自分のトラウマと向き合っている時間は無い。

 それに、心配なことはそれだけではない。

 今の先輩は限界だろう。

 ただでさえ俺と出会った時点で、既にギリギリの精神状態だったのだ。最期の希望に懸けて体育館にふらりと出てくるほどには。

 幸運にも俺という唯一ともに居られる人間と出会えて、自分の体質を治療できそうな手立ても講じられて、やっと上手くいきかけて普通になれると思った矢先に全てを失った。

 自暴自棄になった彼女が、何をしでかすか分からない。

「時間が無い。俺は一刻も早く不安材料を潰して、先輩を安心させに行かなきゃいけない。

 もう今後絶対にあんなことが起きないようにして、今度こそ彼女の支えになれるようにならなきゃいけないんだよ。

 お願いだ、頼むよ、オリヴィエ……」


■□   □■


 テレビの液晶の中ではドラえもんが故障するという非常事態が起きている。

 あたふたして頭を抱えるのび太をぼーっと眺めながら、酔子はベッドで布団にくるまっていた。日が沈んですっかり暗くなったが、部屋の電気は消えたまま。

「散らかった部屋ですねぇ。臭いも籠ってるし……ちゃんと換気してます?」

 前触れなく声の聞こえた方に顔だけ向けると、部屋の隅の暗がりにオードが立っていた。

「こんなお部屋じゃ朝霞さんを呼べないんじゃないですかぁ?」

「…………」

「……はぁ、くっだらな」

 オードは大股で進み、酔子の隣に腰を下ろした。

「朝霞さんのこと、メルヘン世界の王子様みたいな聖人だとでも思ってたんですか?

 自分だけの理想のヒーローが現れたとでも?」

「…………」

「朝霞さんは普通の人間でただの男性ですよ。

 性欲もあるし、劣情も抱く、どこにでもいるような一般的男子高校生。

 御茶天目さんと同じですよぉ」

「…………」

「一方的に自分の理想を押し付けて、裏切られたからって勝手に傷ついて、朝霞さんのこと悪く言う資格なんてあるんですか?

 悲劇のヒロイン気取って何もせずに引きこもって――甘えてんじゃねぇよメンヘラ女」

「…………」

「人間と夢魔とどっちが上かとか拘ってあんなことをしたことは反省していますよ。

 でも女として、あたしがあなたより下になるのは我慢ならないんですよね」

「……何しに来たの」

「やっと上のお口の使い方を思い出しましたぁ?

 やだなぁ、そんなに睨まないでくださいよぉ、怖い怖い。

 あたしは眠り姫の目を覚ましに来てあげたんですよ」

「…………」

「締まりがいいのは下の口だけでよろしい。

 朝霞さんだけでなく、自分のことからも目を逸らし続けている御茶天目酔子さん。

 良かったですねぇ、朝霞さんのストライクゾーンが広くて」

「…………」

「あの時キューブはちゃんと動いてました。あたしのプログラムしたバリアも問題なかった。

 でもあの瞬間だけ急激にエローラ流量が増大してキューブが砕け散ったんですよ。

 なんでそんなことになったのか、分かってるんでしょ?

 あなたが普通の人間で、あの瞬間何が起きていたか考えれば、誰でも分かる理由ですしねぇ」

「…………」

「つまりあなたは好きな人に告白されそうになって興奮してオーバーヒートしたんですよ。

 自分が欲情して暴走したのを棚に上げて、いざ男が暴走したら被害者気取り。

 同じ女として虫唾が奔るんですよねぇ。

 しかもそんなあなたが、あたしがどんだけいやらしく誘惑しても堕ちなかった朝霞さんを、へったくそなキス一発で爆発させちゃうんですから」

「…………」

「そんなあたしよりもよっぽど魔性の女な御茶天目さんに、プレゼントを持ってきました」

 オードがポケットから取り出したのは、酔子にも見覚えのある小さなキューブ。

「! そ、それ……」

「別にこれはレアなグッズとかではないので。

 所詮は今でも作ってる工業製品ですから、ルートさえ知ってれば普通にネットで買えますよ。

 まあクッッッッッソ高いですけどね。六十万円くらいしました。

 あたし五年先までお小遣いも誕プレも無しですよ」

 文句を言いつつオードはキューブを酔子の眼前に放り投げる。

「もうプログラムはしてあります。

 さっさとあたしと一緒に出歩いて恥ずかしくない程度の身支度を整えてきてください」

「……な、なんで……? 私のために、そこまで……」

「決まってるでしょう?」

 終始不機嫌さを隠しもしなかったオードが、夢魔としての顔を覗かせた。

「お二人がちゃーんとくっ付いてくれないと、あたしはあなたから朝霞さんを寝取れないじゃないですかぁ……♡」


■□   □■


 先輩が学校に来ず、送ったメッセージも未読のまま迎えた翌日。

 俺は再び注連内の屋敷へ、今回は自分の足で向かうことになった。

 オードの「トイレが八か所ある」という言葉に見合うほど巨大な和風の屋敷。母屋だけでも五棟、他にも倉やら塔やらよく分からない建造物がいろいろ。

 そんな日本庭園風の雅な敷地内に、景観の違和感がものすごいことになっている一般的な一軒家が建っていたが、それがオリヴィエやオード達エロワ家が住んでいる住居らしい。

 付き添いのオリヴィエに従って一番奥の屋敷に上がると、全身真っ白い作務衣みたいな服に身を包んだ注連内(サラシを巻いていないのか胸元がもの凄いことになっている)に出迎えられ、一緒に迷路のように曲がりくねった廊下(呪術的意味があるとかなんとか)を進んで地下へ。

 電灯だけは現代的にLEDになっているのが余計に寒々しい土壁の通路を進むと、ところどころ錆の浮いた重厚な鉄扉が姿を現した。

「下着まで全部脱いで、これに着替えたら入ってきてくれ」

 注連内はそう言って服を俺に渡すと、軋む鉄扉を開けて一人先に入室。

 言われた通り全裸になり、渡されたものを身に着ける。

 ゆったりとした真っ白い上下セットの和服。おそらく注連内が来ていたのと同じものだろう。

「一応もう一度確認するけれど、本当にいいんだね? 今ならまだ引き返せる」

「愚問だぞオリヴィエ」

 まるで死装束だな、と思いながら腰の紐を結んだ。

「これでやっと性欲に悩まされることもなくなるんだ。さぞスッキリするだろうよ」

 鉄扉に手を掛け、力を込めて引く。くぐった先にはひんやりとした空気が漂っている。

 学校の教室の二倍ほどある正方形の部屋。

 黒っぽい木材の壁に窓は無く、床は足跡一つ無く均された白い砂の土間になっており、部屋の中心にお札を貼った榊の枝がぽつんと供えられている。

 あくまで儀式には参加しない付き添いで私服のままのオリヴィエは、入室すると端っこに突っ立って腕を組んでいた。

「やっぱり伊勢式でいくのかい」

「ああ。インカ式より確実だし、咸陽式と違って一人で出来るしな。ビザンツ式よりは痛みが強いが……まあ朝霞なら大丈夫だろう。あれは三日もかかるし。

 さて朝霞、心の準備が出来たら中央へ」

「分かった」

 すぐさま足を踏み出す。裸足で冷たい砂の感触を確かめるように榊の枝の前まで進む。

「その場で両膝をついて跪いてくれ。足首は立てたまま」

 その通りに土下座の一歩手前みたいな体勢になると、後ろから注連内が近づいてきた。

「ではまずこれを飲み干すんだ。絶対に吐き出さないように一気にいった方が良い」

 そう言われて白磁の容器に入った透明な液体を手渡された。

 量はマグカップ半分程度だろうか。仄かに薬のような匂いがする。

 軽く息を吐いてから、容器に口をつけて一気に流し込む。

「ンン……ッ!?」

 思わず吹き出しそうになるのを根性で堪える。

 不味い。すごく不味い。かなり強い酒のような風味もあるが、それ以上にエグ味と渋味と塩辛さが常軌を逸している。渋柿のジャムとぬか床を混ぜたものを床にぶちまけて洗剤で拭いた後の雑巾を絞った汁みたいな味だ。

「ゥブ……ゴェッ……ンゴ……ッ」

 毒物と判断して吐き出そうとする本能に逆らって喉の奥に押し込んでいく。

 何度か鼻に逆流しかけたせいか鼻の奥がビリビリ痺れる。

 最後の一口を呑み込んだ後、しばらく嘔吐感と戦い、なんとか胃に収めた。

「……だ、だにごれ……ゴホッ……」

「言ったら吐くから知らない方が良い。で、もう体が熱くなってきたはずだがどうだ?」

「え……? あ、お、おおっ?」

 確かに急激に体の奥が、特にヘソの奥あたりの所謂「丹田」が燃えるような感覚。

「よし、では舌を噛み切らないように猿轡を噛ませる。

 あとはこれを両手で持ってそのまま耐えろ。頑張れ」

 注連内は俺の口に手ぬぐいを噛ませて縛り、床に立っていた榊の枝を抜いて手渡してきた。

 為すがままでじっとしている俺の周りを、彼女は手を合わせて何か小声で唱えながら三周歩き、手桶になみなみ注がれたさっきの激マズ液体を柄杓で掬って口に含み、毒霧のように俺の顔面目掛けブーッと吹きかけてきた。

「もごっ!?」

 いきなりのことで目に入ってすっごいしみる。

 さらに四方八方に移動しながら何度も口から噴き出した液体で俺の全身をびしょ濡れにし、最後の仕上げか知らないが手桶を自分の頭の上でひっくり返して残った液体を全部浴びた。

 やっぱり俺と同じように下には何も身に着けていなかったらしい注連内の白装束はスケスケでさらにヤバいことになったが、俺は目の痛みに加え全身の肌が焼け付くように痺れ、体内の炎もさらに熱くなりそれどころではない。

「フゥ、フゥ、フゥ、フゥ……!」

 猿轡の奥から荒い息が勝手に漏れる。

「頑張れ朝霞! 耐えろ! 頑張れ!」

 注連内の方もボルテージを上げながら、今度は硬い藁の束で俺の身体を何度も鞭打つ。

「ンォッ! ォゴッ! フゴッ!」

「まだだぞ朝霞! その筋肉なら大丈夫だ! 耐えるんだ朝霞! ハァハァ!」

 さらに今度は火の点いたブットい和ロウソクを持ち出し、俺に向けてブンッと振る。

 スカスカの白装束の襟元などから溶けたロウが肌に付き、熱さに身もだえる。

「ンゴォ! ハフィッ!? オグゥォッ!」

「筋肉を信じろ朝霞! これまでの辛いトレーニングを思い出せ! 頑張れ朝霞頑張れ!」

 筋肉じゃ熱は防げねぇよ! と叫びたいが猿轡のせいで言葉にならない。

 っていうかおかしくない? これホントに正しい呪術的儀式?

 性欲断ち切りに来たのにマゾ性感覚醒させようとしてない?

 教義に性交も含まれてるタイプのカルト邪教?

「よし、よくここまで耐えたぞ朝霞。次で最後の工程だ」

 めちゃくちゃ動いてたので汗をかき装束がはだけて、もうただただいかがわしくなってる注連内は息を荒げながらロウソクを吹き消し、俺の目の前に立った。

 そんな恰好の女子が目の前にいても、俺は全身の血液が熱湯になったみたいになっているので正直息も絶え絶えである。猿轡のせいで窒息しそう。

「じゃあ仰向けに寝転がって脚を広げてくれ」

 朦朧としながら言われた通りにする。もちろん榊の枝は両手でぎゅっと握ったままだ。

「これを耐え切れば終わりだ。死ぬなよ朝霞!」

 怖いことを言いながら注連内は俺の両脚を持ち上げて両脇に抱え込み、逞しい右足を上げて俺の股間を踏みつけ――おいおいおいおい!?

「もごモゴォ!? モゴモグもがムガァ!」

「いくぞッ! 喰らえィッ!」

 喰らえィッて言ったよこの狂人!?

 案の定、注連内はそのまま俺の股間を素足でぐりぐりぐりぐりィと踏みにじった。

 いわゆる電気あんまというものである。

「モガ~~~~~~~~!」

 その瞬間俺の身体が跳ねた。

 普通の電気あんま(普通の電気あんまってなんだ)の衝撃とは異質な感覚。

 内臓が液状化して丹田へ吸い込まれていくような、全身の皮膚が内側から鉤爪で掻き乱されているような、生きながら血を吸われてミイラにでもさせられているような、痛いようで気持ちいいようでやっぱり痛くて肝が際限なく冷えていく感じ。

 これが、完全に性欲を殺す感覚か。

「頑張れよ! このままあと十二時間だッ!」

 意識を失ったり取り戻したりしている狭間にとんでもないことを聞いた気がしたが、どちらにしろもう俺に時間の感覚など消えていた。

 もうおちんちん十二、三本取れちゃったんじゃないの? みたいな時間が過ぎた頃、不意に刺激が止まった。

「ハフゥホィ……?」

 焦点の合わない目で注連内を見上げると、電気あんまの体勢のまま固まって入り口の方を見ていた。

 ゴンゴンゴン!

 重い音が部屋に響いている。

「今儀式中だよ! 鍵閉まってるだろう?」

 オリヴィエが声を上げている。

 その時やっと、何者かが鉄扉を外からノックしているのだと気づいた。

 さらにもう一度ゴンゴンゴンと鳴った後、誰かが扉の向こうで叫んでいるのが聞こえてくる。

「後にしてくれ! 今は中断できな――」

 オリヴィエの静止も聞かず、鉄のひしゃげる轟音と共に扉はぶち破られた。

「お邪魔しまぁす」

 オードが悠々と部屋に入ってきた。

 そうか、そういえばもうオードの触手も見えないんだな。

「オード……どうしてここが? 何しに来た?」

「場所だったら、前に可愛がってあげた祓魔師の子が玄関掃除してたから優しく尋ねたら教えてくれたわ♪」

「霧ヶ峰……罰は廊下掃除にしておくべきだったかッ」

 注連内が呆れたように唇を噛む。

「そして来た目的は……こちらの方がお話があるんですって、朝霞さんと」

 そう言って脇に除けたオードの背後から現れたのは、光っていない御茶天目先輩だった。

「モゴっ、ヒェ、ひぇんはい!?」

 どういうことだ。『規制』の働いていない今、先輩の姿を直接見たら俺でも……と思ったら、彼女は首から見覚えのあるキューブを下げていた。あれは壊れたはずじゃ?

「……入っていい?」

 先輩はオリヴィエに尋ねた。オリヴィエは驚いたような表情のまま俺をチラリと見やると、ニコリと笑顔になって「どうぞ」と彼女を迎え入れた。

 先輩はオリヴィエの前をさっさと通り過ぎ、つかつかとこちらへ歩いてくる。

 慌てて注連内が止めた。

「先輩、今はその、大事な儀式中で――」

「……なにこれ。教祖が信者にえっちなご奉仕させるタイプのカルト? いいからどいて」

 注連内をぐいっと追いやって、先輩は地面にへたり込んだままの俺の前に両膝をついた。

 髪はただテキトーにお下げにしただけで、前髪をヘアピンで上げている。以前見たフレームレスのメガネをかけ、おそらく出身中学校の小さめなジャージの上にパーカーだけ羽織っており、いかにも着の身着のまま駆け付けたという格好だ。

「なにバカみたいなカッコしてんの」

 そう言って先輩は俺の猿轡をむしり取った。

「あでっ!」

「ほら、帰るよ。一緒に古き良きしずかちゃんのお風呂シーン見よ。もう見えるんでしょ」

 先輩は俺の手を掴んで立たせようとするが、俺は踏ん張った。

「ちょっと……俺は儀式をやりとげないと!」

「聞いたよ、そんな儀式やめて」

「でも先輩と一緒にいるためにはこれしか――」

「なんでそうなるんだよバカっ! このバカ! この、えーっと……バーカ!」

「ええ……」

 顔を真っ赤にして必死に言葉を絞り出すがバカしか出てこない先輩。

「やれやれ、コミュニケーション能力も大事なモテ要素なんですよぅ?」

 脇で見ていたオードが「つまりですね朝霞さん」と顔を出した。

 こういうところはオリヴィエそっくりだ。

「人間も生物ですから、子孫を残す必要があります。だから性欲というものが必要不可欠、誰にだってあるわけです。人間とエロは常に共にあり、時には歴史をも動かしてきました。

 性欲から目を逸らしていては、人間を本当に理解したとは言えませんよ。

 御茶天目さんにも同じこと言いましたけど、勝手に相手を理想化して聖人か何かだと思い込んで、身も心も綺麗なあの人の為に汚れた自分が泥を被って万事解決やったね☆とか自己陶酔の極みなんですよぉ。

 ほんっとそういうとこですよ、人間って。キショイ。

 実際はみんな心の内は欲まみれなんですから、せ~ので泥に飛び込んで一緒に泥んこ遊びしてれば気持ちい~楽し~世界は平和~って感じなんです。

 というわけで大人の女オードちゃんのお膳立てはここまで。あとは頑張ってくださいよ御茶天目さぁん♪」

「う、うん……っし」

 オードに促され、先輩は覚悟を決めたような表情で俺に向き直った。

「えーっとね、とにかくだよ、私はね、キミにさ、性欲消されたら……困る!」

「困る、って……でも、もしまた昨日みたいに先輩を傷つけることがあったら俺は……」

「慧悟くんのせいじゃない! 昨日のは……わた、私が我慢できなかっただけで……!」

 先輩は首から下げたキューブをきゅっと握った。

「み……みんな同じなんじゃないかな……? 誰にだって人に言えない、大っぴらには出来ない欲求ってのはあって、でも普段は我慢して抑え込んでる。みんなそうやって生きてるんだよ。

 私も頑張って我慢するし、エローラを抑え込む練習もがんばるから、慧悟くんも一緒にがんばってみよ……?

 全部消しちゃうのは簡単だけど……確かに私だってあの日、全部諦めて死ぬ気だったけど……でも諦めなかったから今ここにいるんだよ。

 まだ早いよ……このまま欲と上手く付き合う方法を探してこうよ!」

「……でももし我慢できずに爆発したら? しかも俺の押さえつけてた欲望ってのが変な方に暴走して、最悪先輩を怪我させたり殺そうとしたりするかもしれないんですよ?」

「舐めんな。その時は返り討ちにして一緒に死んでやる。その覚悟は出来てるって、私言ったでしょ?

 でもまあ、そこまでじゃなければ、うん、まあ大抵の要望であれば……あの、受け入れて、叶えてやってやるのも、やぶさかじゃ、ね、うん。

 だ、だからってアレだぞ? あんまり先輩に甘えすぎちゃダメなんだからな!

 いやでも別に? そういうのがどうしても好きってんなら持ち前のバブみをこれでもかと発揮してやるのも――」

「でも……それじゃ結局今までの状況と何も変わらない……性欲がある限り間違いが起こる可能性はずっと――」

「でもでもうるさい後輩め……変わらないなんてことないって。目を逸らして見ないふりして逃げ続けるのと、ちゃんと直視して受け入れた上で我慢するのとじゃ、全然違うじゃん。

 こう、なんか、向いてる向き的な……?

 やっぱり現状を一度飲み込まないと解決には向かえないってね。うん、そういうことよ」

「だからその解決法として俺はこの儀式を――」

「ああもう議論が一周回って戻ってきた! バカ! だから! 困るでしょ!」

「困るって何が?」

「何がってそりゃさ……べ、別に今すぐってわけじゃないけど? でもほら将来的にさ……じゅ、十年くらい? そんくらいの頃だとさ? やっぱりねぇ……私としてもさ……? ほら、必然的にそういう、ね……? 時期というか関係というか、あの、ねぇ?」

「はぁ……?」

「ったくキミってやつはこういうときばっかりそういう……ほら、言ってたじゃん兄貴もさ……野球チーム作れるくらいとかバカなこと……」

 先輩は耳まで桃色にして、目をきょろきょろさせながら言った。

「……あ、赤ちゃん……欲しいなって、思う、かも、じゃん? 私だってさ……?」

「あか――」

 赤、ならぬ白になった。頭の中がスコーンと、今まであれこれぐるぐるぐちゃぐちゃしていたものが、パッと消えて真っ白になった。

「ふふ、笑えよ。重い女だと。昨日、キューブが壊れた瞬間ね、キミに告られそうになって、私の妄想は一瞬でそこまで飛翔したんだよ。

『あ、こいつの赤ちゃん産める。むしろ産んだ』って思っちゃったよ。結婚とか付き合うとかより先にね。キモいだろ。自分でもキモいわ。

 とんだ地雷女掴まされたよキミは。妄想力の逞しさなら私の方が上だ」

「…………」

「さて、口の上手くない私にゃ慧悟くんを説き伏せるのは無理っぽいので、実力行使に移ろうと思います。私が我慢も出来るよい子ちゃんだと知らしめてやるから――とうっ!」

 先輩は仰向けの俺に向かってボディスラムのように思い切りダイブしてきた。

 面食らい、互いの腹同士を打ちつつもなんとか正面から受け止めると、ちょうど先輩から押し倒され、抱き合った形になった。

「――キミもしっかり我慢してみせなさい」

 真っ赤な顔のまんまで、しかし口だけは余裕っぽく見せて、メガネも外さぬまま、先輩の唇が俺の口を塞いだ。

 昨日のように一方的な、ただ口に口を押し当てただけの口づけとは違う。しっかりと体を寄せ合い、互いの鼓動を感じながら、相手の奥の本音にまで触れよう触れようとするキスだった。

 何よりすぐ目の前に光で隠されていない、必死に俺を求める先輩の顔が見える。

 我慢しようにも、こんなの――

「私もスキ。キミのこと。慧悟くんのこと、ダイスキ」

 彼女の笑顔を見て、再び襲う、あの感覚。

「ぐあああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 腹の奥底で火花が散るような、毛細血管の先まで体中の血液が猛スピードで逆流しているような、体中の毛穴や汗腺から血が噴き出しているような――

「マズいぞ暴走してる!」

「先輩離れて! 朝霞が何するか予想できません!」

 遠くでオリヴィエや注連内が騒ぐ声が聞こえる。

 残った僅かな感覚を頼りに先輩を突き離そうとするが、彼女は逆により強く抱き着いてきた。

「大丈夫だよ」

 耳元で御茶天目先輩の声がする。

「キミになら何されたって許しちゃえるから。キミも自分を赦すことを怖がらないで。その欲望もキミのものだよ。捨てちゃダメ。迎え入れて、首輪をつけて可愛がってあげるの」

 迎え入れる。拒絶して、見てみぬ振りをするのではなく、受け入れて制御する。

 つくづく赦すって難しい。理由はきっと、人によって基準が違うからだ。

 御茶天目先輩のように甘い人もいるけれど、世間様は大体厳しい。

 世間が悪と呼ぶものを赦すのは、小心者にとってとても難しい。

 だからつい厳しくしたくなる。他人にも自分にも。自分は普通だと言い聞かせながら。

 でも結局こんなもの、何が正しいなんて無くて、人それぞれとしか言いようがない。

 母さんは父さんを赦さないけど、俺は必ずしもそうじゃなくたっていい。

 それが普通で、つまり極論どうでもよいのだ。

 良きに計らえ皆の衆。

 そしてどうでもよいなら、さっさと赦してしまった方が気が楽だ。

 不満を溜め込み厳しく当たるのは、簡単だけれど意外と体力を使う。

 俺はもう疲れた。

 自分を律するために何かを恨むのは無益だ。

 その体力は、前に進むのに使おうと思う。

 一歩先に行った彼女と一緒に歩む為に。

「あああああッ……うぅっ……はぁ、はぁ……!」

「暴走が止まった……」

「慧悟くん……?」

 俺の目を覗き込む先輩のメガネ越しの瞳に俺の疲労困憊した顔が映っている。

 体に力が入らない。気力体力共に使い果たした。すっからかんだ。

 でも不思議と感覚は澄み渡っていて、まるでずっと世界を覆っていた霧が晴れたみたいな心地よさ。

「よく我慢できました。褒めてやろう」

 先輩がにやりと笑って頭を撫でてくる。その胸にはしっかりとキューブが健在だった。

「……ホントに好きな人ではエロい気分になれない、なんて話もあるみたいなんで」

「よく言うよ、こんだけ大騒ぎしといてからに」

 先輩も疲れたようにゴロリと俺の身体から転げ下り、隣に寝っ転がった。

「で、私に何人産んでほしい?」

「その前に健全なお付き合いからでしょ」

「ハッ! ま、今日のところはそれで許してやろう、彼氏くん」

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