【4】閉塞と開放
よいこちゃん『座禅とか瞑想とか、真面目にやってはいたけど、心のどこかで「何やってんだろう私」って思う部分があったんだろうと思うのよ、やっぱりさぁ』
「はぁ」
週が明けて月曜日の地学準備室。
俺は御茶天目先輩の話に付き合わされていた。
よいこちゃん『でも私は心を入れ替えたよ。もうとことんストイックにやると決めた』
「ほう」
よいこちゃん『注連内のストイックさを見たらさ、私も先輩として頑張らなきゃなって』
「正直に言ってくださいよ」
よいこちゃん『何をだね』
「バストアップの為でしょ」
よいこちゃん『…………』
「オリヴィエからエローラ注入されてた注連内の巨乳を目の当たりにして、今からでもワンチャンあるかもとか思ったんでしょ」
よいこちゃん『悪いかよ……』
「別に悪くはないですけど」
よいこちゃん『BがDを夢見ちゃ悪いかよ! 私だってDの意志を継ぐ者になりたいんだよ!! 海賊王ヨイコ・D・ミチャダメになりたいんだよ!!!!!! ドンっ!!』
「まあ……夢を見るのはタダですから。
でも真面目な話、高二からでも成長の余地ってあるんですかね」
よいこちゃん『なんだァ? てめェ……』
よいこちゃん『キミが私の□□□□の何を知ってるというんだ。私の□□□□は私が一番詳しいんだよ。どうせ君の情報源は去年の写真だけなんだろうが』
「……まあ、はい」
体がくっついた時に何度か触れているとは言わない。
よいこちゃん『何を隠そう、去年の夏に比べて私のバストは二センチ成長しておるのだ!』
「…………」
よいこちゃん『ふふふ……ふふはは……ふっぅーっはっはっはっは!』
よいこちゃん『私だって日々成長しておるのだよ後輩クン! いずれはC、遠からずD、いずれはEだって射程圏内さ!』
「それって半ひきこもり生活のせいで太っただけとかじゃないですよね」
俺がそう言った瞬間、光る先輩が立ち上がって俺を椅子から突き飛ばした。
「ぐあっ!」
「【パンパンパンパンパンッ!】」
仰向けに倒れた上に先輩がのしかかり、両手で俺の首を絞めてきた。
「ァがががが……ッ……ぜ、ぜんぱ……!」
塞がる気道。明滅する視界。必死に先輩の腕をバシバシとタップすると、やっと解放された。
「ぜぇぜぇ……こ、殺す気ですか……」
床に落ちたスマホを拾い、文句を垂れながら椅子に戻る。
よいこちゃん『正論は時として身を滅ぼす。覚えておけ』
「正論ではあったのか……でもほら、ストレスでガリガリに痩せちゃうよりはいいじゃないですか。ちょっと肉がついてた方が健康的で」
よいこちゃん『そうかもしれないが、その言い訳に自分で満足するようになったら不健康一直線なのだよ』
「たしかに」
ぐうの音も出なかった。
「でもそうですよねぇ。色々変わってて当然か。
俺のイメージの中では先輩は去年のままですけど、一年弱経ってるんですもんね」
よいこちゃん『そうだよ。首が三本に増えて腕が無くなってるかもよ』
「ドードリオじゃねぇか」
ツッコミをいれつつスマホの壁紙を見返してみる。
去年の夏、球場のスタンドでポーズをとっている先輩は、瑞々しい笑顔を弾けさせている。
日に焼けた肌が汗で輝き、絞られた肉体はしなやかに伸びている。胸はB。
元が均整の取れた素晴らしいプロポーションだと思うし、多少肉が付いた程度ならそんなに激変ってことは無いとは考えたいが……。
「…………………………」
よいこちゃん『なんだよ、じーっと見てきて。私の顔に何かついてる?』
「肉」
俺がそう言った瞬間、光る先輩が立ち上がって俺を椅子から突き飛ばした。
「ぐあっ!」
「【パンパンパンパンパンッ!】」
仰向けに倒れた上に先輩がのしかかり、両手で俺の首を絞めてきた。
「ァがががが……ッ……ま、また……!」
塞がる気道。明滅する視界。必死に先輩の腕をバシバシとタップすると、やっと解放された。
「ぜぇぜぇ……せ、先輩が訊いてきたから素直に答えたのに……」
床に落ちたスマホを拾い、文句を垂れながら椅子に戻る。
よいこちゃん『三度目は無ぇ。次は絞め殺す』
「まあ肉のことは置いといて、今更ながら本当に先輩が去年のあの人なのかと不安になってきまして」
よいこちゃん『何よ!! 私を捨てるって言うの!! 裏切者!!』
「違いますって! 今の先輩は先輩で親しみやすくていいですけど、やっぱり一度も顔を見たことが無いので理想の中の先輩のイメージと乖離し続けているといいますか……」
去年の夏からついこの間まで、先輩に応援されることを夢見てひたすら妄想を育ててきたのだ。心の中にいる都合の良すぎる先輩はなかなか容易に捨てられない。
よいこちゃん『お前の中の勝手なイメージを押し付けるな』
よいこちゃん『相変わらず今の私の写真は見えないんだっけ』
「はい」
よいこちゃん『今更だけどさ、キミがそうなったのって何か思い当たる理由あるの?』
「あー……ある、というか間違いなく確信してる理由があります」
よいこちゃん『え』
よいこちゃん『……それって、聞いていいの。言いにくい話ならいいけど』
「いいですよ、別に」
別に隠してることでもないし。
「中一の頃、両親が離婚しまして」
よいこちゃん『そっか……』
「親父が一六股してたのが発覚したんです」
よいこちゃん『……はぁ!?』
よいこちゃん『じゅうろく!? はぁ!?』
「腹違いの弟妹が九人います」
よいこちゃん『エロゲかよ!』
「えっ、俺やったことないんですけどエロゲってそういう設定のやつが?」
よいこちゃん『墓穴掘ったな……話を続けろ』
「はあ……一応うちの母が正妻? 本妻? みたいな位置づけだったらしかったんですが、母からしたら手酷い裏切りなわけで、一時期かなり家庭内荒れてたんですよ」
よいこちゃん『うん……』
「ただ俺個人的には親父の人柄は嫌いじゃないというか、普通に良い父親だったんですよ。だから素直に親父を恨めなかった。
でも母が悲しんでる理由を何かに押し付けたくて、その結果親父の女癖の悪さ――性欲のせいだと結論付けました」
よいこちゃん『罪を憎んで人を憎まず的な』
「性欲を憎んで人を憎まずです。
親父を狂わせた人間の性欲を恨み、俺は絶対に親父の二の舞にはならない。性欲に狂わされて大切な人を裏切ってはいけない――そう思うようになったら、気が付くとエロいものが全て『規制』された状態になってました」
よいこちゃん『だから、別に治さなくてもいいって?』
「はい。俺にとってはエロいものが見えないことより、大切な人を裏切る方が怖いんです」
よいこちゃん『なるほどな』
「だから先輩を裏切るとか、そういうことは絶対しません。
俺の中の理想のイメージと違ってても、いくら無駄な肉がついていたとしても」
俺がそう言った瞬間、光る先輩が立ち上がって俺を椅子から突き飛ばした。
「再びっ!」
「【パンパンパンパンパンッ!】」
仰向けに倒れた上に先輩がのしかかり、両手で俺の首を……別に絞めてこず、胸板の上に手を置いたまま固まった。
「……先輩?」
戸惑っていると、先輩は自分のスマホに打ち込んだ文字を突き付けてきた。
『そんなに言うなら、触って確かめてみろ』
「は? 触るって? 何を?」
すると先輩は俺の右手を両手で掴み、自分の頬と思われる場所に当てた。
ぺとりと手のひらが先輩の肌に触れる。
すべすべとしていて温かい。
「い、いいんですか……?」
先輩はコクリと頷く。
俺は左手も伸ばし、先輩の両頬を包み込むように触れる。
彼女の体温がどんどん上がっているのは気のせいじゃないだろう。
「目とか入っちゃったらごめんなさい」
細心の注意を払って指を滑らせる。
「あ、耳」
指先の感覚で探り当てた耳を撫でる。割と肉厚で耳たぶ大きめ。ピアスは無し。
「【ドルルルルルルッ!】」
先輩がぷるっと震えて何か言ったので、耳から離れて髪に撫でる。
髪は細めで滑らか。写真ではポニテにしていたが、髪留めのようなものでアップにしているようだ。夏から伸ばしたのか、下ろすと肩甲骨くらいまでありそうだ。
手を頬の辺りに戻す。
ぷにぷに、ぷにぷにぷに。
「うーん……どうなんだろうこれ。
他人の触ったことないから分かんないけど、やっぱり先輩は結構丸顔――」
ぷに。
俺の親指が先輩の唇に触れた。
瑞々しくて柔らかく、ほんの僅かに開いていて、温かく湿った吐息が漏れるのを感じた。
「「…………」」
ぷに。
「!」
光る腕が伸びてきて、俺の唇に先輩の指がお返しとばかりに触れた。
俺が彼女の唇をぷにっと押すと、彼女も俺の唇をぷにっと推す。
つい互いに押し黙り、俄かに静寂が支配する地学準備室。
ぷに。ぷにぷに。
思えば先輩の柔らかい場所に自分から、しかもこんなに長く触れるのってこれが初めてではないか。
ぷにぷにぷに。
手のひらで包み込んだふわふわの頬が熱を増し、唇から漏れる吐息は湯気のようで。
ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷに。
今俺は本当の意味で御茶天目酔子という一人の人間の存在を実感したのかもしれない。
この瞬間、俺の目の前に、先輩は生きて、俺を見ているのだと。
ぷにぷにぷにぷにぷにぷに、ぷに、ぷ、に……
いつの間にやら、彼女の輝く顔面がすぐ目の前まで降りてきて――
「いやー遅くなってごめん」
「とえええええええい!?」
「【ズダダダダダダダッ!】」
ガチャリとドアが開いてオリヴィエが入ってきた瞬間に我に返ると、俺と先輩はいつの間にか互いの吐息が交わる程の近距離で向かい合っており、慌てて二人して距離を取ろうとして床の上を転げ回った。
「おやおや、お取込み中だったかな」
「うっさい。そんなんじゃないって」
ニヤケ顔で近づいてくるオリヴィエを追い払いながら立ち上がる。
「ちょっと『箱の中身はなんじゃろな』的なことをやってただけだ」
「分かった分かった。ゲームの続きは家でやってもらうとして、今日はゲストをお招きしているからね。ちょっと時間をいただくよ」
「ゲスト?」
俺と先輩が座り直したのを確認し、オリヴィエは廊下へ「いいよー」と合図。
ドアが再び開き、顔を出したのは注連内。
「ほら、入れ」
そう廊下の誰かに声をかけると、小さな少女がおずおずと入室してきた。
「あ」
「ど、どうも」
明るい室内光の下では初めましてのオード・エロワだった。
夜の住宅街で邂逅した時と同じ、おそらくは彼女の通う中学校の制服姿で、正規の手続きを踏んで校内にお邪魔していることを示す入校証を胸に付けている。
相変わらずの超絶美少女っぷりだったが、自信たっぷりの不敵な笑みは鳴りを潜め、表情にはどことなく怯えと憔悴が浮かんでいる。
「な、なんかこの部屋……虫とかいそうじゃない……? 薄汚いし湿っぽいし……ヒッ! く、クモの巣ある……! あそこ! 天井の隅っこ! いやぁ……脚いっぱいあるのいやぁ……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「……オリヴィエ」
「分かってるってやりすぎたって……ほら大丈夫かいオード。一回トイレ行く?」
「うん……行くぅ……」
オリヴィエが付き添ってオードをトイレへ連れていき、仕方ないのでその間残った俺達で部屋の中を軽く掃除し、クモの巣は全部取り除くことになった。
■□ □■
「この度は、皆さんに大変なご迷惑を何度もおかけして、本当にごめんなさい。今後はちゃんと他人のことも考えて行動する大人になれるよう、いろいろなことを勉強していこうと思います。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「う、うん……もういいから」
トイレから戻り、改めて謝罪の言葉を述べてペコリと頭を下げる女子中学生。
もうこれ以上悲壮感出されると見てられない。
「で、オリヴィエ。今日妹を連れてきたのは謝罪のため?」
「それもある。でもメインはそこじゃない。
キャンプでのことで、まだ分かってなかったことが一つあったよね。
それをオード本人から説明させようと思ってね」
「分かってなかったこと……なんだっけ?」
「まずは、どうやってあの山に侵入出来たかだ」
「はい……」
オードはぽつぽつと話し始めた。
「注連内の屋敷を抜け出した後、ウチの前におっきなキャンプ道具が積んであったので、その中の一つを袋から出して、その袋に潜り込んでました」
「え、じゃあキャンプ道具に混じってた君を知らずに俺達で運び込んでたってこと?」
尋ねるとオリヴィエが頷く。
「そういうことらしい、どおりで重かったわけだよ……」
「お前はテーブルしか運んでないだろ」
「うん……おそらく爛の運んでた中に居たんだろう。
注連内の者に運び込まれたことで『入山の許可を得た』ことになって霊山の周囲の結界には引っかからなかった。
テントの周りに張った結界は、最初から荷物はその内側に積んであったんだから意味がなかったね」
「じゃあ、早朝から夜中までずっと荷物に紛れてじっとしてたってわけ……?
すごい根性というか……大丈夫だったの? あの……トイレとか」
「…………うう……」
オードは押し黙って涙目になった。
「聞かないであげてくれ……」
「ご、ごめん……」
「あ、そういえば、ほらオード。渡すものがあったの忘れてた」
「はい……」
兄に促されてとぼとぼと近づいてくるオード。その手には紙袋を下げている。
「あの……これ、今回のお詫びと改めてのご挨拶のお土産を兼ねて、どうぞ」
紙袋から箱を取り出し手渡してきた。
「あ、どうも……なにこれ」
尋ねると注連内が「それはな!」と饒舌な説明を開始。
「お土産にぴったり。『注連内家謹製・祓魔師まんじゅう™』だ。南アルプスで採取した天然水を使用した聖水や、北海道産の祝福されし高級小豆を使った聖なる特上あんこを使っている。子供からお年寄りまで、おやつやお供え物に最適な絶品まんじゅうだぞ」
「そう……」
「御茶天目先輩も、どうぞ……」
「【パーン!】」
先輩にもまんじゅうを手渡すオード。
「……ああ、そういえば、なんで先輩に近づけるんだ?」
「そうそうそれそれ。そっちの方が本題なんだよ。説明してくれるかいオード」
「あ、はい……えっと、自分の身体の表面全体を薄く物質化させたエローラの層で覆って、先輩のエローラをシャットアウトしてるんです」
「体の表面にエローラの層を……」
彼女の全身をよく観察してみるが、特に何も分からない。
「ホントに? 光って見えないけど……」
「慧悟にも見えないほど薄いってことだね」
オリヴィエが解説を受け継いだ。
「僕らは『いかに御茶天目先輩の発するエローラを止めるか・減らすか』という視点で試行錯誤を続けてきたけど、彼女は『いかに先輩のエローラによる自分への影響を防ぐか』という逆の発想で手を打ったわけさ。
数千億トンもの濁流を止めるのは困難を極めるけれど、ドライスーツを着てしまえば身体が濡れることはないってことだね」
「なるほど……言われてみれば簡単なことだったんだな」
「いやいや言うほど簡単じゃないんだよこれ。
少しでも厚みにムラがあればそこから圧力のバランスが崩れてたちまち破れてしまうし、この薄さでそれを実現してしまうというのは彼女のエローラ物質化の技術が素晴らしいということだよ。
その技術力はまさに世界のオカモトの0・01mmうすうす【ドギュンッ!】並さ」
「『規制』されたのに分かりやすいのがくやしいな」
オカモトは世界の共通語らしいしね。
「それでここからが大事なんだけどね。
オードの技術を御茶天目先輩のエローラ対策に活用できるんじゃないかと考えたんだ」
「えっと……先輩に近づくときはみんなそのエローラバリアを張るってこと?」
「いや、それじゃあ僕らだけならまだしも、大人数となると不可能だ。先輩が日常生活を送れないのは変わらない。だからもう一度発想を逆転させる。
周囲の人間がスーツを着るのではなく、先輩自身にスーツを着せればいいんだ」
「……つまり、エローラのスーツで先輩のエローラを閉じ込めるってこと?」
「そういうこと。例えとしてはさっきのオカモトの方が近いね。
エローラの【ドギュン!】を先輩に被せて発射されるエローラを――」
「その例えはやめろ馬鹿野郎」
先輩を男性の下半身に例えるな。
「でもそんなこと出来るのか? 今まで先輩のエローラを止めようと色々やったけど全部ぶっ壊れて注連内が泣きをみたってのに」
「このままじゃ無理だね。オードのバリアは薄くて、その分消費エローラが少ないのが利点だけど、あの薄さじゃあ先輩の爆発的なエローラを閉じ込めるのはとても無理。
もっと大量のエローラを使って分厚いバリアを張らないと」
「先輩のエローラに対抗できるような大量のエローラなんてどこから……」
「目の前にあるじゃないか、膨大な量のエローラを常時垂れ流している最高のエネルギーリソースが」
「それってまさか……」
オリヴィエのイケメン面がにこやかに向けられた先に目をやった。
そこにはギラギラと眩しい御茶天目先輩が座っているだけ。
「……先輩?」
オリヴィエがニヤリと口を歪めた。
「先輩自身のエローラで先輩のエローラを抑え込む……?」
「溢れんばかりの先輩のエローラを自身を包むバリアへ転用出来れば、十分分厚くて頑丈なバリアが張れるだけでなく、バリアへ使用した分垂れ流されるエローラも減少する。
量が減れば閉じ込めるバリアへの負担も減る。実現すればいいことづくめだ」
「確かにそうか……いや、でも……そもそもそれって可能なのか?
エローラの物質化ってオードが自分のエローラ使ってやってることでしょ?」
「そこなんだよね。先輩自身に今からその技術を教え込んでたら何十年かかるかわからない。
そこで爛の祓魔グッズの出番ってわけさ」
「これを試してみようと思う」
注連内が鞄から取り出したのは、小さなシルバーのキューブが組み合わさった幾何学的なデザインの小さなペンダント。
「それは?」
「半世紀ほど前にシュツットガルトの魔術家が発明したシュツットガルテンキューブという魔術道具だ。これ自体に魔力は無いが、魔術を使う際の魔力の量やプロセスをプログラムすることで、魔力さえ補給すれば自動で特定の魔術を発動させることができる」
「突然魔術とか魔力とか新しい概念が出てきた……」
「魔力も霊力もエローラも根源は同じなんだ。自然界に存在する人には見えないエネルギーをどう解釈し、どう利用するかが違うだけでな。そこは本題じゃないから気にしなくていい」
注連内はさっさと話を進める。
「でだ、夢魔の能力も、魔力の代わりにエローラを使う魔術みたいなものと考えれば、このキューブにプログラムできるのではないかと考えたわけだ」
「つまりそのキューブに、オードのエローラバリアをプログラムして御茶天目先輩が身に着ければ、自動的にバリアが張られるってことか」
「上手くいけばな。やったことないから賭けになるが……それに今までの祓魔グッズのように先輩のエローラに耐え切れず壊れるかもしれないし」
「そっか……」
「とにかく、やってみなければ分からん。さ、朝霞」
注連内がペンダントを差し出してくる。
「既にオードによるプログラムは済んでいる。これを彼女の首に」
「分かった」
ペンダントの細い鎖を握って受け取る。
重さは普通で、一見するとただのオシャレなアクセサリーだ。
「……本当に大丈夫なんだろうね?」
視線をオードに向けつつ確認すると、彼女は真っ直ぐこちらを見て言った。
「手を抜いたりはしてませんよ。出来る限りのことはしました。御茶天目さんのエローラ放射が収まるのは、あたしにとってもありがたいことですし。
……あたしのこと、やっぱり信用できませんか、朝霞さん」
「……いや、信じるよ。祓魔師まんじゅうも貰ったことだし」
まだしょぼんとしているオードにそう冗談めかして、御茶天目先輩の正面に立つ。
「それじゃあ……どうしますか、先輩」
尋ねると、少し間が空いてからスマホが震えた。
よいこちゃん『もしもさ、これがうまくいって、私が普通に戻れたらさ』
よいこちゃん『私はみんなの前に戻れて、元々の友達とも会えるようになるけど』
よいこちゃん『大丈夫かな……バケモノだった私をみんな受け入れてくれるかな』
「――何を言ってるんですか先輩」
今更怖気づく先輩に優しく語りかける。
「『普通の女子高生』が先輩のなりたい理想なんでしょう? 迷うことなんてないじゃないですか。きっとみんな元通りになりますよ。
それに、何があろうと俺が絶対に一緒に居ますから」
俺は先輩の目らしき部分を真っ直ぐ見て、思うままを言う。
「たとえ先輩が普通に戻ったとしても、俺にとって先輩はとっくに特別な存在なので」
先輩はなんかもぞもぞ動いていたが、チャットには『よかった』と一言だけ。
「……それじゃあ、先輩」
促すと、先輩はイスから立ち上がって俺の前に立った。
よいこちゃん『うん。キミが掛けて。私の首に』
「分かりました」
ペンダントなんて初めて持ったので、少しもたつきながら鎖の金具を外す。
頭一つ低い先輩の姿を見下ろす。
さっきぷにぷに触った辺りを思い出し、首の位置に当たりをつけて、身体を抱くように腕を回し、金具を嵌めた。
キューブは先輩が放つ輝きに埋もれて見えなくなったが、それは確かに彼女の首にぶら下がったはずだ。
「……どうですか? 何か変わりました?」
よいこちゃん『別に……』
彼女が見えるようになったわけでもなく、光が弱まったわけでもない。
ただ今までの祓魔グッズのようにキューブがすぐ砕けるようなこともないようだ。
「――驚いたな」
オリヴィエがポツリと漏らした。
「素晴らしい……!」
「上手くいったのか?」
問いかけると、返事の代わりに注連内がゆっくりと歩み寄ってきた。
一歩、一歩、ずっと遠巻きにしていた彼女が、今まで立ち入ることの無かった、御茶天目先輩から二メートル圏内へ、ついに足を踏み入れた。
「やっとあなたと膝を突き合わせて話が出来ますね、先輩」
そう言って注連内が右手を差し出すと、光る手がおずおずとそれを握った。
「……注連内が、何ともないってことは――」
「ああ――」
オリヴィエはにっこり笑って頷いた。
「成功だ!」
「当然よ。あたし渾身の術式だもん」
「ああ、よくやってくれたよオード」
オリヴィエに頭を優しく撫でられ、オードは気恥ずかしそうに俯いた。
「【パンパンパンパンッ!】【パシュン!】」
御茶天目先輩に何か言葉を掛けられ、注連内が答えた。
「ええ、今はナンヨウハイイロヒヨスなどの対抗薬は何も摂取していないので、私のエローラ耐性はほぼ一般人と変わりません。きっと大丈夫です」
「……【タララッ!】」
先輩は小さい銃声で何か呟き、少しの間黙っていた。
注連内が平気ということは、他の人間も平気ということ。
今、彼女を一年半ほど悩ませていた障害が唐突に解決したのだ。咄嗟に頭が真っ白になるのも仕方ないだろう。
「――やったじゃないですか先輩! これで他の人の前にも出られるんですよ!」
「【タンッ!】……」
スマホで文字を打つのも忘れて立っている先輩。
そりゃあいきなり人の前に出るのは怖いだろう。
むやみに他人を傷つけることを気にしない人ではないはずだ。
「しかし、別に俺は先輩が見えるようになるわけじゃないんだな……」
「慧悟の『規制』はエローラ由来の現象じゃないから」
オリヴィエが解説してくれる。
「高濃度のエローラを君の脳はエロと誤認し『規制』を行う。
そのおかげで君は御茶天目先輩と接することができるようになったけど、君の脳内で『御茶天目先輩=規制対象』というイメージの膠着が行われてしまった。
先輩のエローラ放出が収まっても、その図式が変わらなければ『規制』は行われてしまう」
「じゃあ……ここから先は俺の問題ってことか」
とはいえ、先輩の問題さえ解決すれば時間はいくらでもあるんだ。
ゆっくりと進展していければいい。
俺は地学準備室のドアの前に進み出て、ノブを捻って開けた。
「さ、先輩」
振り返って、先輩を手で促す。
眩い先輩は一歩、二歩、とドアの前に歩み寄るが、あと一歩のところで足を止めた。
弱い力で腕が引かれる。
視線を落とすと、光り輝く手が俺の左手の袖をきゅっと掴んでいた。
頭一つ小さい彼女の発光する姿が、いつもより小さく見えた。
……いや、これが本来の彼女なんだろう。
自暴自棄になっていた中で見つけた俺という藁に縋りついて、離れていかないように必死で気を引こうとしてきた、か弱い少女。
「大丈夫」
その手を取って、ぎゅっと握った。
「一緒にいますよ、俺は」
ぎゅっと握り返された手が答えだった。
最初は掴みどころのない、ぶっちゃけ面倒くさい人だと思った。
頭の中で想い続けてきた理想の彼女とは似ても似つかない。
姿も見えない、表情も分からない、声色も不明で、エキセントリックなイタズラは仕掛けてくるし、すぐ拗ねるし、キレるし、先輩風吹かして煽ってくるし、その癖ふとしたことで壊れてしまいそうに脆くて……どういう人なんだか測りかねていたところがあった。
でも結局、彼女はそういう人だというだけなんだろう。
俺だって、誰かに面と向かってたら言えないような気取ったことをネットに書いてしまったりすることはある。話す相手によって態度を変えてしまうこともある。
気になる人相手に、妙に明るいキャラを演じて気を引こうとすることだってある。
人間なんて誰だって多面的で面倒な存在で、御茶天目先輩も同じというだけだ。
つまり、普通なんだ。
ちょっと俺には眩しいだけの、普通の女子なんだ。
そして普通とはすなわち、最高ってことだ。
「さあ、行きましょう。せーの――」
俺達は同時に扉の外へ一歩を踏み出した。
普通の世界。でも先輩にとっては死にたいほどに焦がれ続けた特別な世界。
放課後の校内は閑散としていて、陽光に照らされた穏やかな凪の中にいるようだった。
俺と先輩は一言もなく、西日の差し込む廊下を手を繋いだままゆっくり進む。
目的は先輩のエローラが抑えられているのか確認することなので生徒の誰かに目撃されなければいけないのだが、どこか「ずっとこのままでいたい」と思ってしまう。
極論だが、世界に俺と先輩しかいなくなってしまえば、俺達の悩みは解決するわけで。
うーん、変なテンションで感傷に浸ってんなぁ俺。
よいこちゃん『キミの手はごつごつだな』
「ん? ああ、まあ。ずっと野球やってましたからね」
手を繋いで歩きながら、空いた手でスマホを弄る男女。どう見えるんだろうな。
よいこちゃん『私の問題が解決したら、キミも野球部に入れるな』
「うーん……」
よいこちゃん『なんだよ。別に私に気兼ねなんかする必要無いぞ。放課後ずっと私と一緒にいる必要はないよ』
「いえそうではなく」
もちろん多少遅れても野球部には入りたいが、問題はそこではない。
「俺の目標は野球部に入ることじゃなくて、試合で活躍するところを、チアリーディング部の先輩に応援してもらうことです。
だから、先輩もチア部に戻ってもらわないと意味がないんですよ」
よいこちゃん『えっ』
「先輩はどうするんです? チア部に戻るつもりは無いんですか?」
よいこちゃん『うーん……』
それっきり先輩からの返事が止まってしまった。
会話は無いまま、手を繋いだまま校内のあちこちを巡る。
その間、不思議と誰とも出会うことは無かった。
まるで本当に俺達以外の人間はこの世界に存在しないかのように。
一通り巡ってから、最後に訪れたのは二年二組の教室。
「ここが先輩の教室……」
よいこちゃん『進級してから一度も入ったことないけどね』
先輩は教室内の空気を味わうように一歩一歩進み、手元の机をそっと撫でた。
よいこちゃん『私以外はみんなずっとここで普通の青春送ってたんだね』
「明日からは先輩もその一員に戻れるんですよ」
先輩は何も言わず、手近な椅子を引いて座った。なんとなく俺も隣の席に着く。
よいこちゃん『キミと普通の教室に居るというのも新鮮だな』
「そうですね。ずっと地学準備室でしたし」
よいこちゃん『留年してキミと同じクラスで授業受けるのもいいなぁ』
「何言ってるんですかまったく」
よいこちゃん『いいじゃないか二割くらい本気なんだぞ』
先輩は席から立ち上がり、窓際へ歩いていった。
後に続き、窓辺からグラウンドを見下ろすと、偶然野球部が練習をしていた。
よいこちゃん『ぶっちゃけ野球ってよく知らないんだよな。何点取ったら勝ちなの?』
「はい? そのレベルの知識で応援してたんですか?」
よいこちゃん『チア部もなんとなく入っただけだし。そんなに真面目にやってたわけじゃなかったんだよね。試合内容とか興味なくて、決まったタイミングでおんなじ動きしてればおっけーみたいな感じでさ』
「そ、そうだったんですか……」
そ、そんな……俺が一目ぼれした輝くチアリーダーは内心おざなりでやってたなんて……。
よいこちゃん『でもまあ、そんな私に憧れてくれた無垢な野球少年がいたとはね。その想いを無碍にするのも可哀想だし。それに……本気で応援したい相手もできたからな』
「先輩……」
よいこちゃん『でもせっかくなら一番でっかいところで応援させてほしいよね~』
「え?」
よいこちゃん『甲子園』
「は?」
よいこちゃん『甲子園で私を踊らせて。約束してくれるならチア部に戻ってやる』
「甲子園て……」
野球少年からしたら、甲子園なんて少年野球時代から地元でナンバーワンみたいな連中がスカウトされて集まった強豪校のレギュラー争いで勝ち抜いた天才達が死力を尽くして戦って勝ち残ってやっと辿り着く天の上みたいな場所なのだ。
そう簡単に約束なんて出来ない……が――
「――分かりました」
これは覚悟の問題だ。これからも先輩の期待に応えていくという覚悟。
「約束します。絶対に甲子園のアルプススタンドで先輩にチアダンスを踊らせてみせます」
そう返事をした瞬間だった。
「うわっ!?」
一人の知らない男子生徒が教室の扉を開き、こちらの姿を視認した瞬間驚き飛び退いた。
俺も思わず身構える。先輩は咄嗟に俺の背に隠れた。
「な、なんでこんなところに!? ヤバい今日オムツ切らしてるんだどうしよ……あれ?」
男子生徒はこちらから視線を伏せて頭を抱えたが、何も起こらないので顔を上げた。
「な、なんとも……ない? えっ? 御茶天目……だよな……あれぇ?」
「――先輩……!」
これで名も知らぬ一般生徒でも先輩の姿を見て大丈夫だと確認できた。
振り向いて見えない先輩の肩を掴むと、彼女は少しの間固まっていたが、俺の手を強く握って突然走りだした。
「うおっ先輩!?」
男子生徒を置き去りに、廊下を走っちゃいけませんなどと言う間もなく、引っ張られたままドタバタと駆けていく。
「ゲェッ! あの人!」
「えっ? えっ? 走ってくる? なんで?」
「おお? なんでウチ平気なん?」
「久しぶりにちゃんと見たなあの子……」
すれ違っていく生徒が目を見開いて驚きの表情を浮かべるのを見送る。
「【パパパパパパパパパパパパパパパパパパパンッ!】」
先輩はなんか乱射しまくっている。
楽しそうなので、きっと彼女は爆笑しながら廊下を爆走しているのではないだろうか。
楽しそうに世界に自分の姿を見せつけているのではないだろうか。
彼女はやっと解放されたんだから。ちょっとくらいはしゃいでもいいだろう。
「【パパパパパパパパパパパパパパパパパパパンッ!】」
昇降口に辿り着き、たむろしている生徒たちを騒がせながらスピードを落とさず通過する。
「ちょっと先輩! 靴! 靴!」
「【パパパパパパパパパパパパパパパパパパパンッ!】」
上履きのまま外へ飛び出し、下校中の生徒を慄かせ、ランニング中の吹奏楽部を驚きこかせ、騒ぎを聞きつけた生徒たちが窓から見下ろす中、勢いそのままにグラウンドへ雪崩れ込む。
「み、御茶天目……? ど、どういうこと……?」
テニスコートでおそらく先輩の知り合いらしき人にキラキラ輝く腕を振って挨拶し、野球部の練習を突っ切って横断し、何事かと集まってきたサッカー部の連中に乱入する。
サッカー部の中ではクラスメイトの田辺君が口をあんぐりとしていた。
「あ……朝霞……? 何してんの……?」
「俺もよく分かんなああああ」
返事を言い切る前に腕を引かれてグラウンドを後にする。
「【パパパパパパパパパパパパパパパパパパパンッ!】」
校内を一周しても相変わらず大はしゃぎの先輩。
いやはや、これで俺もすっかり良くも悪くも有名人だな。
「【パパパパパパンッ!】【パキューン!】」
そういえばまだ入学してきたばかりな俺が行ったことない校舎裏の知らない道を通って、おうちデートに行くときに使う校舎の裏口まで走ってきてやっと先輩は止まった。
「はぁ、はぁ……満足しました?」
尋ねると、先輩は膝に手をついて息を整えるような様子を見せてから、やっとスマホにメッセージが届いた。
よいこちゃん『草』
……やっぱり笑ってたか。
よいこちゃん『いやー、久々にこんな走り回った。体力落ちたなー。甲子園で踊る為に鍛え直さなきゃな』
「あんだけ爆走しといて……」
苦笑しながら言い切る前に次のメッセージが来た。
よいこちゃん『見た? みんなのびっくりしたりあっけに取られたりしてる顔www』
「そりゃあ驚くでしょうね……で、これで満足しました?」
よいこちゃん『まだまだ、溜まってたモンを舐めんなよ』
先輩はスタスタと裏門の方へ歩いていく。その先には見慣れた車が停まっていた。
先輩はその助手席のドアを前触れなく思い切り開けた。
「うぉあっ!? びっくりした!」
運転席でスマホゲームに興じていた亜半さんが跳び上がって席からずり落ちていた。
「あれ酔子ちゃんもう帰るの? 最近完全下校時刻近くまで待たされるからまだかと思ってたわ~。よっ、慧悟くん! 今日もうちに来るのかい」
「【バキュンバキュン!】【ダダダダダッ!】」
「……え? だ、大丈夫なん?」
「【パンパンパンッ!】【パシュッ!】【タララララララッ!】」
「本当に? なんかあったらすぐ連絡しろよ? あともしどっかでお泊りするんならちゃんと□□を――」
亜半さんが規制ワードを口走ったところで先輩がドアをバタンと閉めて強制終了。
亜半さんは溜息を吐き肩を竦め、笑顔で手を振ってから発進。裏門から出ていった。
送り迎え役の亜半さんを帰したということは、つまり――
よいこちゃん『下校デートと洒落込もうか、後輩クン♡』
そうチャットを送ってきた先輩は、俺の左手を握っていた右手を離し、そのまま腕を組んできた。
「――分かりました。行きましょう。今日はちゃんと正門からね」
■□ □■
まずマックに入って二人で五人分くらい平らげ、その後も街をブラつきながらクレープやらたこ焼きやらタピオカやら食べ歩きまくった。
俺も体作りのためもあってかなり食べる方だが、先輩は食い過ぎだと思う。
だから肉が付くんだよ――みたいなことをやんわり言ったら、ケツを蹴られた。
よいこちゃん『これからチア部に戻ったらめちゃくちゃ鍛え直すはめになるんだし食事制限もして痩せなきゃいけないんだから今くらいいいんだよ!』
「それにしても限度があるでしょ……これからいつでも食べに来れるんだしほどほどにしときましょうよ」
よいこちゃん『これは今日まで食べたかった分なの! 明日からはその日に食べたいもの食べるんだから別の話なの!』
「痩せる気ホントにあるのか……?」
最悪注連内ブートキャンプに放り込む必要があるかもしれない。
先輩のお腹が満足した後はこの近辺で一番デカいショッピングモールに連れていかれ、ウィンドウショッピングというものに付き合った。
この服どう思うだのこれとこれどっちがいいだの訊かれまくったが、そういうのはその人に似合うかどうかだと思うので困った上に、無理やりランジェリーショップにまで連れ込まれた。
よいこちゃん『この三つだとどれがキミの好みかな?』
なんか妙に装飾過多でテラテラした派手なやつと、なんか妙に布が足りなくて色々はみ出そうなやつと、なんか妙にスケスケで寒そうなやつを持ってきた先輩。
よいこちゃん『可愛い先輩が勝負下着でどれ着てきたらキミは嬉しいかな~?』
「…………」
そもそも先輩が何着ても見えないとか、むしろ後半二つはきっと誰が着ても見えないだろうとか、もっと一般的な選択肢もよこせとかツッコミどころはあるけども――
「それ三つともブラのカップ数デカすぎて先輩着れないやつじゃないですか?」
よいこちゃん『求めてた反応それじゃねーんだわ』
その後ゲームコーナーへ行き、対戦ゲームでボコられたり、クレーンゲームで合計数千円スッたり、俺の人生初プリクラが謎の光人間とのツーショットになったりした。
ショッピングモールを出るともう暗くなっていたが、まだ遊び足りないという先輩に引っ張られてカラオケ店に入った。
さっそくマイクを握って歌いまくる先輩だが、俺には曲に合わせて連射される銃声にしか聞こえない……ってかうるせぇ。
何が楽しくて踊り狂う白い光と鳴り響く銃声を浴び続けなければならないのか。
よいこちゃん『楽しいいいいいいいいい』
「先輩が楽しんでて嬉しいですよ俺は、ええホントに、マジで」
よいこちゃん『カラオケにもずっっっっっっっと来たかったんだよ。嬉しすぎる』
よいこちゃん『ほれどうした、キミも歌えよ』
「えー俺もですかぁ……?」
先輩にマイクを押し付けられたので、渋々知ってる曲を入れて歌い上げた。
「……どうでした?」
よいこちゃん『特に上手くもなくド下手ってわけでもなく、反応に困る』
「そういう空気になるから他人とカラオケに来たくないんですよ」
よいこちゃん『いいんだよカラオケなんて自分の歌いたいように歌ってれば。他人の反応とか気にしてもしょうがないでしょ、歌手じゃないんだから』
「まあそうですけど」
よいこちゃん『キミだって料金払ってるんだから歌わにゃ損だぞ。私はのんびりお花を摘んで参るから、気にせずヒトカラしていたまへ』
先輩は俺の肩をぽんぽんっと叩いて部屋から出ていった。
静かになった部屋に一人、軽く息を吐いてドリンクを呷る。
かっこつけていたい男心は胸の中で渋っているが、彼女の言うことも一理あるので、何も気にせずただ好きな歌いたい曲を入れた。
前奏が流れ、画面に歌い出しの歌詞が表示され、さあ歌うぞと口を開いた瞬間にドアが開かれた。
もう先輩が戻ってきたのかと思ったが、そこに立っていたのは先輩ではなかった。
何しろ光っていなかったのだから。
「お邪魔しまぁす、朝霞さん♡」
オード・エロワが蠱惑的な微笑みを浮かべてそこにいた。
「……な……なんでここに……?」
驚き固まって、マイクを口元に持ったまま尋ねた俺に、彼女はドアを閉めながら答えた。
「朝霞さんに会いに来たに決まってるじゃないですかぁ……♡」
「お前……まだ懲りてないのかよ……!」
席から立ち上がって後退りする俺を部屋の奥に追い詰めるように、夢魔の少女は一歩一歩近づいてくる。
「いやいや、さすがに懲りてますよ?
兄様のアレのせいで虫見ただけで恐怖で……今もオムツが手放せませんし、注連内家から三年間屋敷のトイレ掃除の罰を受けちゃいましたし。
注連内の屋敷ってトイレ八か所もあるんですよ? それを毎朝お掃除とか厭になりますよ。
まあ自業自得ですから……あたしも反省してます。もっと大人にならなきゃなと」
俺がドリンクを飲んだコップから溶け残った氷をひとつ摘まみ上げ、舌先でぺろりと舐め上げてから口に放り込んでボリボリ噛み砕くオード。
「ちゃんと頭を冷やしました」
「……じゃあ、なんでこんなところに――」
「前は夢魔として人間のあなたを堕とすことで優位を示すのが目的でした。
だからエローラによる実力行使もしましたが……」
オードは氷をもうひとつ取り指先で弄びながら、背中から生やした幾本もの光の触手を威圧するようにチラチラと覗かせるが、すぐに消した。
「もうあんなことはしません。さらに罰を受けるのはこりごりですし、何より今のあたしの目的には沿わないので。
あたしが暴れることで注連内が祓魔師の中で肩身が狭くなるのは興味がありますけど……」
カラオケルームの朧げな灯りがオードの整い過ぎた顔の造形を怪しく照らす。
否応なしに人間の欲望意識を先天的に引き付ける恐ろしいまでに緻密で繊細な美貌と、危ういと理解していても手を伸ばしそうになる財宝のような幼さの残る顔立ち。
彼女は自らの持つ武器をとてもよく理解していた。
「『自分達は夢魔ではなく人間だ』と兄様は言っていた。
あたしも夢魔としてではなく、ただの女の子として、女の意地を貫くことに決めたんですよ。
人間としてエローラを使わずに暴れるなら何も問題ないですよね?」
形の良い目を、獲物を見定めた獣のように細めてにじり寄る。
「一度朝霞さんを堕とすと決めたからには、女の意地にかけて絶対に陥落させる。
御茶天目さんからあなたを略奪してやりますよ、大人になったあたしの魅力だけで……!」
「大人になれってのはそう言うことじゃないと思――うおっ!?」
部屋の最奥まで追い込まれ、背中が壁にぶつかった。
その瞬間、何かを踏んで急に靴底が滑り、俺は壁際のソファーに尻もちをつく。
床は濡れており、氷の破片が散らばっていた。
見上げるとオードの濡れた指にはいつの間にか氷が見当たらない。
いつの間に俺の足の下に放り込んだ?
「ダメですよぉ、あんまり顔に見惚れてたら。足元掬われちゃいますよ?」
立ち上がる機先を制し、オードは俺の腰を跨いだ膝立ちでソファーの上に乗っかってきた。
俺の胸板に両手を添えてしなだれかかり、耳をそっと寄せる。
「……あはっ♡ すっごくドキドキいってますよ?
いいんですかぁ? デート中の彼女さんが居ない隙に、友達の妹の女子中学生とこぉんなことしてて……♡」
「……この間から言おうと思ってたんだけど」
なんとか気を紛らわせようと話題を逸らす。
「御茶天目先輩のこと彼女さん彼女さん言ってるけど、別に俺と先輩はまだ付き合ってないんだけど……」
「…………えっ、ウソぉ!?」
オードは俺の眼前で目を見開いた。
「いやいやいやいやあんなに幸せそうにくっついてて同じテントで寝ててことあるごとに『この男が私の彼ピですけどいかが?』みたいな顔でこっち見てくるのに付き合ってないんですか!? それは逆に不健全というものでは……いやでもむしろ好都合じゃないですか。お付き合いしていないのなら、あたしと何しても問題ないってことですよね?」
ずいっと顔を寄せてくるオード。ふわっと鼻腔を満たす甘い香り。
「朝霞さん、キスってしたことありますか?」
「はぁっ……?」
仰け反って距離を取るが、オードはさらにじりじりと顔を寄せてくる。
「な、ないけど……」
「あたしも実はないんですよ。あたしのお願いしたことなぁんでもやってくれる男のコはいっぱいいるけど、キス以上は許したこと無いんです。
でもぉ、朝霞さんにならあたしの初めてあげてもいいかも……♡」
とろんとした表情で自分の唇をそっと撫でるオード。
ヤバい……年下趣味はないはずなのに、魔法にかかったかのように息が荒くなる。
本当にエローラを使っていないのか? これが夢魔の素のポテンシャル……!
「……そういうの、好きでもない相手を落とす手段に使うのは感心しないぞ」
「じゃあ一発でお互いスキスキになっちゃうような情熱的なキス、しましょう……?」
オードのすべすべで触り心地の良い腕がするりと首に巻き付き、つやつやした唇が秒速二センチメートルで接近し、お互いの温かい吐息が交わる。
このままではまずいと頭では分かっているのに、美しい風景から目を離せないように彼女のエメラルドのような瞳から視線を逸らすことが出来ない。
美というパワーに脳を掴まれている。
ダメだ……もう……離れられ――
ガチャ、と再びドアが開いた。
「……【ズドンッ!】」
「ん~? あら、今いいところなので邪魔しないでほしいんですけど?」
「【ドバババババッ!】【ガンガンッ!】」
見なくても分かる。御茶天目先輩が戻ってきたのだ。
「なぁにを、まるで朝霞さんのことを自分のものみたいに。
聞きましたよ? 別にお付き合いしてるわけじゃないんでしょう?
だったら早いもの勝ちですよぉ」
「【パキュン!】……【ダダダダダダッ!】」
「エローラなんて使ってません。朝霞さんは純粋なあたしの魅力にメロメロなんですよぉ。
エローラのパワーでは勝てないかもしれませんけど、朝霞さんをあなたから勝ち取ることであたしはあなたに女として勝利するんです! そこで大人しく見ていてください。
朝霞さんの心と初キッスを奪うのは、このオード・エロワですよぉ……!」
オードは勝ち誇った笑みでこちらに向き直ると、一気に俺の口に自分の唇を押し付けた。
「んむっ……!?」
「んーっ……んふふっ♡ あひゃかひゃん……んぁ……♡」
少女夢魔は容赦がない。ほんの僅かに俺の口が緩んだ隙を逃さず舌を差し入れてくる。
「れぁんむ……るろ……♡」
いかん、抵抗しないと……と思うが、相手は華奢な女子中学生。鍛えている男子高校生の俺が考え無しに反抗すると怪我させてしまうかもしれない。そんな恐怖が頭を過ぎって初動が遅れ、オードの舌や手や足がどんどん俺の全身にしっかりとしがみついてくる。
関節技でも修めているのかと疑うほどがっちりホールドされた。
彼女は口内の俺の唾液を舐め取り、自分の唾液を送り込んでくる。
淫靡な水音がカラオケルームに響き、オードの息遣いもだんだん荒くなってきた。
彼女の肉体それ自体が触手のように俺へ絡みつき、酸欠と脳内麻薬で抵抗の意思も薄れかけていたその時――
「グエッ……!」
オードはカエルを潰したような声を漏らして後ろへひっくり返り、ソファーから転げ落ちた。
俺の口から彼女の舌が勢いよく引き抜かれ、唾液の糸が伸びて床を汚した。
何事かと顔を上げると、輝く人影がオードの服の後ろ襟を掴んで立っていた。
そこを思い切り引っ張って彼女を引き剥がしたらしい。
「せ、せんぱ――」
声を掛けようとした瞬間、俺の視界は真っ白な光に満たされた。
「っ……!?」
それと同時に、唇にぷにっとしたものが触れた。
ほぼゼロ距離で感じる鼻息。体温。肌触り。この感覚には覚えがあった。
触ったのは手だったが、さっき地学準備室で散々夢中で触った感触そのまま。
御茶天目先輩の唇が俺の唇と重ねられている。
オードのと比べたら不器用で無骨。歯も当たってちょっと痛い。
でも今俺は御茶天目先輩と口づけを交わしている――その確信に至った刹那だった。
「――んん……ん? んああああ……っ!?」
腹の奥底で火花が散るような感覚。
すぐに全身へと広がり、全身の毛が逆立ち、毛細血管の先まで体中の血液が猛スピードで逆流しているような激しい痛み……いや痛みではない、快感でもない、何だかよく分からない感覚の奔流が俺の全身を襲った。
「ああああああああああああああああっ!」
「【バギューン!】」
唇から先輩の感触が消えた。それでも俺の感覚は収まらない。
体中の毛穴や汗腺から血が噴き出しているようだ。
自分の身体を見下ろすと、感覚の通り、肌の至る所から何かが立ち上っている。
それは眩く白く光る噴水の如きもの。
「ああああああぐっ……エ……エローラ……!?」
「な、何が起こってるの……?」
オードの戸惑う声が聞こえる。
「全身のエローラが暴走してるみたいに活性化してる……?」
「【ズドンズドンッ!】【バババッババババッ!】」
「あ、あたしは何もしてないですよ! こんなの初めて見た……に、兄様に連絡しなきゃ!」
体内の肉が濁流と化したような衝撃は永遠と思えるほどに続き、何度も意識が飛びかけたがその度に脳に電流が奔るようなショックで叩き起こされるという拷問に襲われ、やっと収まった時には自分が生きているのか死んでいるのかよく分からなかった。
虹色に渦巻いた視界が闇に沈み、目が開いているのかどうかも分からない。
筋肉が溶けたかのように力が入らない。
耳は鼓膜の内側にぬるま湯を満杯まで注入された感じ。
自分が現実に存在しているのか、夢の中にいるのか、はたまたあの世へ召されてしまったのか、あやふやな世界に漂いながら、俺は微かな声を聞いた。
「――――! ――――――――――! ――――――っ!」
今まで聞いたことのない声。でもなんだかとても安心する声。
何も道標のない場所で、俺の意識はその声の聞こえてくる方向へ向かっていく。
「―――ん! ――――から……――――――――で……っ!」
闇にだんだんと光が差し、声が鮮明に聞こえてきた。肺が呼吸を思い出す。
「――くん……! ねぇ起きてよ……私を独りにしないで……慧悟くん……っ」
「――――――」
掠れたような細い声。すすり泣くような音も混じって震えている。
その人は、ソファーに寝ている俺の胸に突っ伏して声を枯らしていた。
「――――……ん……?」
「あっ……け、慧悟くん起きた……!
だ、大丈夫? わたっ、私なにかしちゃった……?
ごめんなさい、私初めてだったし何が何だか……」
焦げ茶色の柔らかい長髪は後ろで束ねてアップにし、前髪は目元が隠れがちになるほど伸ばされている。
目は茶色で垂れ目。涙を浮かべて光っている。
輪郭は丸っこく、小ぶりな鼻の脇にニキビができている。
薄いリップを塗った唇の左側には上下一つずつホクロが並んでいる。
肌はしばらく日光に当たっていないかのように白い。
そして明らかにDも無い胸元には、キューブのペンダントが揺れている。
「………………」
「……あっ、あそ、そうだスマホ……えっと……えへへ……」
取り出したスマホに慣れた手つきで文字を打ち込むと、少しはにかんでこちらを見る彼女。
テーブルに置きっぱなしだった俺のスマホが震えた。
重さが一〇倍くらいになったような身体を起こして、来ていたメッセージを開く。
よいこちゃん『まったく心配させやがってよ~! どうしたのかなぁ~? 可愛い先輩にキスされて興奮のあまり天国にでもイきそうになっちゃったかぁ?♡♡♡』
いつもの先輩風ビュービューな調子のいい文面。
でも目の前の彼女は涙を拭いつつも、心から安心したように深呼吸している。
「――御茶天目先輩……?」
呼びかけると彼女はこちらを向いて柔らかく微笑み、再びスマホをポチポチ。
よいこちゃん『んー? もっかいしてほしいって? そんなに安い女じゃないんだゾ♡』
文面を読んでもう一度彼女の顔を見ると、頬を赤く染めてチラチラこっちを見ながら次の俺の言葉を待ちつつ、そっと自分の唇に手をやってはにかんでいる。
憧れの先輩がそこにいた。
「……かわいっ」
「……ん?」
思わず呟いた言葉に、彼女は首をかしげ、すぐにスマホを持った。
その腕をパシッと握って止めてみる。
「ぁうっ……! へ? へ……?」
「文字じゃなくて、もっと声聞かせてくださいよ」
「こ、声って……えっ? ええっ!?」
先輩は分かりやすくあわあわし始めた。
「えっ、もっ、もしかして、あの……き、聞こえてる、の……?」
「はい。思ってたより高い声してるんですね」
「あぐっ……えっ? じゃ、あの、ってことは、もしかして、その……み、見えてる?」
「はい。服着ててよかったです」
「ひ……っ! ひうっ……!」
御茶天目先輩は顔を真っ赤にして両手で覆い隠した。
「ちょっと、隠さないでくださいよ。今までずっと見れなかった分もっと見せてください」
「やっ……無理だよっ……太っちゃったし、ニキビとかできてるし私……! 見たら幻滅されるもん絶対!」
先輩の両腕を握ってぐいっと開いた。
真っ赤な顔のまま、唇をひん曲げ、涙目になって上目遣いにこっちを見上げてくる彼女。
「いやいや可愛いと思いますよホントに!」
「うう……ほんとにぃ……?」
「テレビで見るより何倍も!」
「……オードちゃんとキスしてたくせに」
「おごっ……いやそれは襲われたから仕方なく……」
「仕方ないよ……オードちゃん綺麗だし……えっちだし……」
「そ、そんないじけないでくださいよ……」
ぐっ……ラインではいつもギャーギャー言い合ってるのに、いざこうやって面と向かってみるとあまり強いことが言えない……。
今までも光の向こうではこうだったのか……。
「オードちゃんには『別に付き合ってない』って言ったんだって……?
なんでわざわざそんなこと? 私をキープしたままあわよくば、とか?」
「そんなわけないでしょ! 付き合ってるのかって訊かれたから答えただけで!」
「そりゃ正式に付き合うとかそういう話はしたことなかったけどさ……もうちょっと私の気持ちとか汲んでくれても良かったんじゃないの?」
「えっ、あたし付き合ってるかなんて訊いてはいない気がするんですけど?」
「君は余計なことを言わないで!?」
口を挟んだオードに怒鳴ると、彼女は澄ました顔で胸と尻をエローラで水増ししてセクシーポーズを取った。光ることなくちゃんと本物に見えるようになったが、もうどうでもいいので先輩の方に視線を戻す。
「そうだよね……一緒にいてくれる約束はしたけどそれだけだもんね……。憧れの先輩に幻滅しちゃったところにこんな可愛い後輩が現れたら、年増なんてお払い箱だよね……」
「……はぁー……この期に及んで何なんですかそれ」
溜息を吐いた俺は先輩の頬をぶにっと挟んで顔をこっちに向かせた。
「ぁぶ」
「先輩あなたクッッッッッソめんどくさい!!」
「はぇぇ……?」
「確かにあなたは俺の憧れたイメージとは微妙にズレてたし、ちょっと肉がついたし、オードは異常に綺麗ですよ!」
「う、うん……」
「でも先輩と過ごしてきた時間は本当に楽しかったし、すっと一緒にいたいと思ったのは本心だし、太ったのがイヤなら痩せればいいし、何より先輩は普通に可愛いと思います!」
「ふ、普通に?」
「ええ、普通に。つまり最高ってことです」
俺は先輩の両肩をガッシと掴んで正面から向かい合う。
「今の俺は! 先輩に会うまで妄想してた理想の先輩よりも、目の前のあなたにより魅力を感じているんですよ!」
「うぅー……」
「だからはっきりさせましょう。今、ここで」
いい機会だ。いやむしろこのための機会だったのではと思えるほどだ。
「なんで急に俺の『規制』が無くなったのかは分かりませんけど、これが完全に治ったのか一時的なものなのか分かりません」
理由は、まあ「先輩のキスで魔法が解けた」とかそういういい感じに捉えておこう。
「だから直接言うなら今しかないと思ったので今言いますね、御茶天目先輩」
「へ? な、なに……?」
「俺は、朝霞慧悟は、御茶天目酔子先輩のこと、す」
「ちょっと待ってっ!」
「モゴ」
言い切る寸前で先輩に手で口を塞がれた。苦しいのでどかす。
「何するんですか」
「だめだよ……それ以上は、それ言っちゃったら……もう友達に戻れなくなるじゃん!」
「もっと親密な関係になるだけでしょ! だから先輩俺と付き合モゴ」
「そ、そうなっちゃったら、今後もしなんかのっぴきならないことがあって私が慧悟くんに愛想尽かされちゃったら……もう一緒にいられないじゃん!」
「愛想尽かすなんて絶対ないです!」
「あるもん! まだ慧悟くんに見せてない幻滅要素いろいろあるからね!?」
「そんなの大体誰にでもあるでしょ! 面倒くさいなホントに!」
「面倒くさい女だもん! ほらどうよ幻滅した!?」
「そういうところもなんだかんだ楽しいからOKです!」
「……別に、友達でも一緒にいられるし、楽しいじゃん。楽しかったでしょ?」
「楽しかったですよ、今までも、今日も。でも先輩は『先輩がやりたい普通の女子高生』を全部俺とやるつもりなんでしょ? 友達と一緒に遊んで楽しかったーで、先輩の女子高生生活はそれで終わって満足なんですか? 俺は満足できない」
改めて先輩の両目を真っ直ぐ見据える。
先輩は泣きそうになりつつも、真っ赤な顔を逸らさなかった。
「今度は最後まで聞いててくれますか?」
「…………ぅん……」
小さな声で頷いた先輩。俺は大きく深呼吸。改めて言うとなると緊張する。
「――俺は」
「っ……!」
「――先輩のことが」
「ぁぅ……!」
「――す」
「ぅぅぅぅぅぅ……っ!」
俺は気づかなかった。
先輩の首にかかっている、彼女の溢れ出るエローラを閉じ込めるバリアを張っているキューブは、稼働中は仄かに光を放っていることに。
そしてこの時、先輩の高ぶった感情と共に放出量をどんどんと増したエローラの激流に、どんどん光量を増していたキューブがもう限界を迎えていたことに。
結果――
「――ヤバい!」
寸前で気が付いたオードは、自分自身を守るバリアを張るので精一杯だったようだ。
俺が「す」の次にいく寸前に、キューブは静かに砕け散っていた。
制御機構を失った御茶天目先輩のエローラはたちまち爆発的に発散された。
そして『規制』を――結果的に俺を先輩のエローラから守っていた盾を失っていた俺は、そのことに気づかず、超至近距離で曝露していた。
その後のことは断片的にしか記憶していない。
必死に向き合ってくれていた先輩に対して急激に湧き上がる邪な感情を爆発させ、言葉を失った野性の欲望のままに彼女を力づくで床に押し倒し、暴力的に服を剥ぎ取りかけたところで気絶した。
意識を失う直前、きっと悍ましい表情をしていたであろう俺を見て、この世の終わりを見たかのように絶望しきった彼女の顔だけは、瞼の裏に張り付いて消えることはない。