091 特任教員ジルフォニア=アンブローズ
フリギアが解放されたことによって、ロゴスに疎開していたルーンカレッジは再びフリギアに戻ってきた。幸いカレッジは戦場から遠く外れた場所にあったので、建物は難を逃れていた。
学園長デミトリオス以下、疎開していた教職員はそのまま帰ってきたが、ロクサーヌなど一度学園を離れた者が戻ってくることはなかった。そのため学園の人口は4割ほど減り、キャンパス内にはやや寂しげな雰囲気が漂っていた。
ジルは以前デミトリオスから講師の依頼を受けていた。その時は、第二方面軍での任務を受けたばかりだったので保留にしていたが、フリギアが解放され学園が戻ってきたこと、そしてジルがフリギアに駐留することになったことから、王国の許可を受けて正式に特任教員となった。王国にとっても、ジルが教員となることはフリギアとの絆を示すためにも有効なのだろう。
特任教員とは勤務時間やコマ数に義務がある専任教員に比べ、学園が必要とする特殊な教員であり、かなり自由に授業時間などを組める。ジルの場合、任務があって半期や一年専念して教えるのは難しいため、例えば通常1コマ15時間の授業を、1日3時間、5日連続で行う短期集中授業によってこなした。
こういった授業はかなりイレギュラーであり、学生の方も時間を都合するのが難しい。だが、専任教員とはまた違う実践で鍛えられた凄みが感じられることもあり、意識の高い学生に人気がある。ジルは今年、魔法学特講と実戦魔法技術の2つの講義を集中授業で担当しているが、受講生は多く好評のようだ。
ジルが特任教員となったことを最も喜んだのは、レニ=クリストバインである。ジルの指導生であったレニもいまや中級クラスに上がり、まだ年少ながら英才として知られている。レニ自身、下級生から憧れの目で見られるようになっているのだが、そのレニが自分の手の届かぬ先輩として慕っているのがジルであった。
レニにとって嬉しいのは、ジルが教員となって学園にたびたび来るようになり、会える時間が増えたことである。もちろんジルには軍や行政での仕事もあるので長く学園には居られないが、時間を見つけてレニと会ってくれる。学園が帝国に占領されてからずっと会えなかったことを考えれば、今は非常に恵まれているのだ。この日はジルの授業が始まる前に、二人は喫茶室で会っていた。
レニは以前と比べて随分大人びて見えるようになった。この年代の女の子は、1、2年で大きく印象が変わるものだ。かつてショートカットだった黒髪は長く伸ばすようになり、華奢な体は女らしい膨らみが出て来ている。
レニは学園で上級生から下級生まで多くの男に言い寄られていたが、その全てを断っていた。その恋敵が誰かといえば、いまやシュバルツバルトの上級魔術師となり、教員となって帰ってきたジルなのだから強すぎる敵だ。
「こうして先輩とお茶が飲めるなんて夢のようですね」
レニは紅茶のカップに口をつけながら、しみじみと言った。
「どうしたんだ? 僕が教員になってからも、もう何度もお茶を飲んでるじゃないか」
「それでも、この時間が貴重なんだなって感じるんですよ。これも先輩がフリギアを取り返してくれたからですね」
ジルがフリギア解放戦争に関わっている時、レニは王宮が伝える知らせでジルのことを確認するしかなかった。このような王宮からの報道は、大抵民衆に全てが伝えられるわけではなく、数日前の情報である事も多いものだ。
だがフリギア解放の知らせだけは、シュバルツバルトの勝利でもあるだけに、ほぼ同時にロゴスでも大々的に発表された。レニにとっては、戦いの勝利よりもジルの無事だけが重要だった。学園のつてを使って調べてもらった結果、ジルは負傷したものの無事であることが確認され、レニはようやく胸をなでおろした。
この戦いでジルは大活躍したというが、出世はほどほどで良いから危ないことは避けて欲しい、それがレニの偽らざる気持ちだった。レニは同じ気持を、自分の父レムオンにも抱いていたのだ。
「今日の実戦魔法技術ではどんなことを勉強するんですか?」
この授業は、レニも受講している。レニは実戦というとまだ尻込みしてしまうのだが、ジルの授業であるし、魔術師であれば戦闘は避けては通れぬ道だ。
「今日はこのフリギア解放戦争で僕が経験したことを話そうと思っているんだ」
レニの鼓動がドキンと弾んだ。レニが詳しく知りたかった話だ。これまでフリギアでの戦いについて、ジルに詳しく聞いたことはなかったのだ。
「先輩、かなり危険な目にあわれたんですよね?」
「ああ、一時は死を覚悟したよ。どこかでボタンを掛け違えていたら死んでいただろうな」
ジルは神妙な顔で語っていた。実際、ガストンたちの南門攻略がもう少し遅れていたら、バレスたちアタナトイの到着がもう少し遅れていたら、ジルは助からなかったに違いない。
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「帝国軍の総数は5000、南北の門に1000づつ敵兵がいて、僕たちの隊は市庁舎に出来るだけ多くの敵を引き付ける役目だった。市庁舎に集まった敵は2500、それを1000に満たない戦力で相手をした。しかも敵将は『帝国の死神』と謳われたガイスハルトだ。敵兵は魔法を駆使することで何とかなったが、このガイスハルトがどうにもならなかった」
ジルは実戦魔法技術の講義で、教卓に寄りかかりながら学生たちに話をしていた。出来るだけリアルに、臨場感を持たせ学生たちがイメージし易いように工夫していた。自分に求められているのは、現役宮廷魔術師として実戦の経験を伝えることだろうからだ。学生たちは息を飲みながら話を聞いている。なにしろ自分たちがいま暮らしているフリギアをめぐる攻防の話だ。
「ガイスハルトは秘宝級の鎧を着ていて、高い抗魔力がありほとんど魔法が通じなかった。我々は魔術師だ。それだけで攻め手を塞がれたようなものだ」
ジルは講堂に集まった学生たちを見渡す。学生には初級クラスの者もいれば、上級クラスの者もいる。
「さて、君たちなら魔法がほとんど効かない相手を目の前にしてどうする?」
ジルの問いに答えるものはなく、講堂はシーンとした。ジルは何人かの学生を当てることにした。
「君ならどうする?」
一番前に座っている上級生らしき男子学生だ。当てられると思っていなかった学生は、答えが見いだせず沈黙していた。
「逃げるしかないと思います……」
その答えに講堂のどこかでクスリと笑い声がした。男子学生が恥ずかしげに頭をかいた。
「いや、必ずしも悪くない答えだ。もし逃げられるなら逃げた方が良い。魔術師は常に頭を使って戦わなければならない。魔術師自身が敵と一対一になるなんて最悪の状況だからな。でもこの状況では逃げられる状況じゃなかったんだ」
男子学生がジルの答えにホッとしていた。
「では君はどうだ?」
真ん中の列に座っている女子学生だ。考える時間が与えられて自分の考えをまとめることができていたようだ。
「魔法による攻撃が全く効かないわけではないのですから、自分に可能な最大の呪文をうち続けるしかないと思います」
女子学生の答えにジルはニコリと微笑んだ。
「それも悪くない答えだ。実際僕のインプロージョンは多少のダメージをガイスハルトに与えていた。それを何度も続ければ理論的には倒せるかもしれない。……だが、実戦でそんなことは不可能だ。敵がそんなことを許すわけがないからな。ガイスハルトに距離を詰められ斬られて終わりだよ」
「では先生はどうされたんですか」
そう、それが知りたかったのだとレニは思った。
「僕はインプロージョンが大して効かなかったのを見て、魔法でダメージを与えるのを諦めた。考えても見てくれ。自分の最大の魔法でさえ、ほとんどダメージが与えられなかったんだ。こういうのは切り替えが大事だ」
「魔法でないとしたらどうやって勝つんですか? まさか剣でですか?」
別の学生が問いかけてきた。学生たちの関心が高まってきたようだ。皆がジルの答えを集中して聞いている。
「そのまさかさ。だが当然剣だけで勝てるわけがない。魔法をいかに効果的に使うか、要は工夫次第なんだ。教科書的にしか魔法が使えない者は、案外戦場で力を発揮できない。なぜなら戦場は予想外なことばかり起こる場所だからだ。だから魔術師が『帝国の死神』と一騎打ちするような事が起こるのさ」
ジルは学生たちがついてこれるように一呼吸置いた。
「魔法は位階が高い魔法を使えれば良いというものではない。第一位階の魔法でも、使いようによっては高い効果を発揮するんだ。実際僕も第一位階のエネルギーボルトを使ってガイスハルトに一太刀いれたんだ」
ざわざわ、と学生たちのざわめきが聞こえてきた。とかく学生たちは第一位階魔法を軽視する傾向がある。中級や上級クラスの学生の中には、第一位階など初級クラス専用だ、ぐらいに考えている者も多い。ジルはそれが問題だと伝えたかった。
「ガイスハルトには確かに魔法はほとんど効かない。だが、それは“彼”にというだけだ。僕はエネルギーボルトをガイスハルトの足元に放ち、彼のバランスを崩した。そして鎧のつなぎ目に剣を突き刺し、一矢報いたのさ」
実戦での経験だけに、学生たちにとってジルの言葉には説得力があった。感心し目を輝かせる学生たちが多かった。そんな学生たちの純粋さを好ましく思いながら、ジルは話を続けた。
「要は使いようなんだ。どんなに高い位階の魔法も間違った場面で使えば、役にたたないどころか味方を巻き込んだりして有害になる。また今回のように、第一位階の魔法でも工夫次第では戦闘の状況を変えることができる。もっとも僕の場合はその後ガイスハルトにやられそうになったんだけどね」
ジルは苦笑しつつ、そう話を締めくくった。
レニはジルの話を聞きながら、本当に紙一重のところでジルが今生きていることに驚愕した。尊敬する先輩には失礼なようだが、「帝国の死神」を相手にして生きているのは運が良かったとしか思えない。レニはどうすれば自分がジルの役にたてるようになるのか、自分の将来の道について真剣に考え始めていた。自分の手でジルを守れる力が欲しかったのだ。




