090 バルダニアとの外交
――フリギア解放から半年後
帝国との戦いは膠着しつつあった。シュライヒャー領を占領して以来、レムオンが前線に立ち帝国領へ進攻していたが、帝国軍も防衛に死力を尽くし、以後帝国領へはなかなか食い込めないでいた。その要因の一つとして、シュバルツバルトも帝国との戦いに専念出来る状況になかったことがある。
帝国との戦い以前から続いていたバルダニアとの対立により、バルダニア方面へも備えなければならないからである。シュバルツバルト王宮では、現在バルダニアとの関係改善が議論されていた。いま会議室には、王国の主要な重臣が集まっていた。
「レムオン殿のおかげでシュライヒャー領を占領し、先ごろはフリギアの解放に成功、フリギアを我らの前線基地とすることが出来ました。ですが、帝国との戦線は膠着し、我が軍もそれ以上進軍できないでおります。この状況を変えるためには、バルダニアとの和平が必要と考えます」
大魔導師ユベールがそう会議の口火を切った。
「だがそう上手くいくかな? 我らとバルダニアとの争いは長年続いたものだ。お互い積もる恨みがある。おいそれとは話を聞くまい」
ヘルマン伯が難しい顔をして応じた。バルダニアとの戦はもう10年は続いている。王国貴族の中にも自らの親族をバルダニアとの戦で亡くした者は多い。ヘルマン伯も叔父や甥をバルダニアに殺されている。そしてそれはバルダニアも同様だろう。
「ですが国家的利益がからむ問題となれば、個人的な恨みを越えて結ぶこともできるでしょう。現実的に前線では兵力の不足が顕著になってきています。バルダニア方面に展開している軍を帝国に回すことが出来れば、かなり状況を改善できるはずです」
フリギアに駐留するアムネシアが、前線にいる武人として意見を示した。横に座っているレムオンも黙って頷いている。後方にいる貴族や廷臣よりも、彼らの方が戦の状況が分かっている。それだけに彼らの意見は無視出来なかった。
「ふん、バルダニアなどと結ぶというのか。誤った信仰を持つ奴らを信用できるか?」
主戦派のブライスデイル侯が吐き捨てるように言った。彼は王国貴族の最大派閥の長である。当然血族の中にバルダニアとの戦争で死んだ者が多い。彼の言う「誤った信仰」とは、シュバルツバルトとは異なるもう一つのイシス教のことである。教会の東西分裂以来、教会組織の他に細かな教義において様々な違いが生まれていた。シュバルツバルトの人間からすれば、バルダニアのイシス教は異教に等しい存在であった。
「ブライスデイル侯、いま信仰の話を持ち出すのはお控え下さい。話がややこしくなりますので……」
ユベールが口調は丁寧ながらブライスデイル侯をたしなめた。信仰の事は解決しようがない問題である。バルダニアとの和平を議論する時に話すことではない。
「ともに同盟を組んで帝国を攻めるのは難しいでしょうが、条件次第で好意的な中立というのは勝ち取れるかもしれません。我々が目指すべきはその辺りかと」
近衛騎士団のルーファスが起立し、会議室に集まった面々を見渡した。ルーファスは単なる武人としてだけでなく、優れた戦略眼を持ちわせていた。それが近衛騎士団長に任命されている理由の一つであり、王室を代表してしばしば外交も行っている。
「いまバルダニアの最大の利益は、我が国と帝国の戦争が続くことであり、それはバルダニアが中立であることに他なりません。であれば中立を約束させることは可能でしょう」
「それで、条件とは?」
第三方面軍のサイクスがルーファスに聞き返した。彼はアムネシアに代わってバルダニアとの国境を守備しており、彼の職務に直接関わる問題である。
「例えばモデルン鉱山」
ルーファスの言葉に会議室がざわめいた。他の参加者が厳しい表情を浮かべるなか、ルーファスは変わらぬ笑みを浮かべていた。
「馬鹿なっ! モデルン鉱山は王国経済にとって極めて重要なもの。それをみすみすバルダニアへ譲り渡すというのか!」
ブライスデイル侯が怒号した。出席者の多くも気持ちは同じらしい。
モデルン鉱山はバルダニアとの国境線上にある鉱山であり、貴重な鉱物資源を産出する鉱山としてバルダニアとの争いの直接的な契機になってきた。レムオンが頭角を表した第二次スリント戦役において、シュバルツバルトが「奪回」した場所である。
現在この鉱山はバルダニアとの最前線に位置し、シュバルツバルトはこの鉱山に沿って防壁を築いて確保していた。モデルン鉱山は経済的に重要なだけでなく、バルダニアに勝利して獲得した象徴的な存在なのである。
「私はルーファス殿に賛成です。我々がそう考えるからこそ、モデルン鉱山を引き渡せば向こうも我々が本気であることを信じましょう。あとは一つの鉱山とバルダニアの中立、どちらを重く見るかということです」
いままで黙って会議の行方を見守っていたレムオンが初めて口を開いた。司令官として優れた才を持つレムオンは、会議においても自分の意見を通す術を心得ていた。どのタイミングで自分の意見を提起すれば良いか、自然に理解しているのである。
レムオンの意見は重かった。帝国との最前線に立つ英雄、モデルン鉱山を「奪回」した第二次スリント戦役を勝利に導いた立役者の言である。もともとバルダニアとの和平を進めようとしていたユベールは、この機を利用し、レムオンの意見を急いで引き継いだ。
「では諸卿、モデルン鉱山を交渉の材料にバルダニアと和平を進めるということで宜しいですかな? 反対の意見がおありの方は申し出てください」
そうユベールにまとめられると、あえて反対意見を言うのは憚られる雰囲気になっていた。もともと誰もがバルダニアとの和平の必要性は理解しているのである。ユベールは反対がないのを見て頷いた。
「では次に、バルダニアとの交渉の使者についてですが……、ルーファス殿が適任と思いますがいかがですかな?」
ユベールの意見に誰も反対はなかった。会議の結論を導いたのはルーファスであるし、これまでも難しい交渉をまとめてきた実績がある。
「宜しいかな? ルーファス殿」
「はっ、かしこまりました。謹んでお受けいたします」
ルーファスが豊かな金髪をゆらし、頭を下げた。こうしてルーファスを代表とする外交団がバルダニアへと派遣されることになったのである。




