089 戦いの後
ジルが目覚めたのは数時間後のことであった。ベッドから起き上がったジルは、横に寝かされているミリエルに気がついた。彼女の方はすでに目を覚ましていたが、横たわって体を休めていたのだ。
「あら、気がついたのねジル」
そう言うミリエルに対し、ジルはその頬をそっと撫でた。それはちょうどアムネシアがジルにしたのと同じことだった。
「ちょっ、ちょっと何するのよ!」
ミリエルが顔を赤らめてジルに背を向けた。ベッドに横たわるミリエルは、いつものポニーテールを解き長い髪を自然なままにしている。それがジルにとっては新鮮だった。
「済まなかったな、お前を危険な目に合わせてしまった……」
ジルはミリエルの無謀を責めなかった。そんなことをさせた自分が一番悪いに決まっているのだ。
「き、気にしなくて良いわよ。あの時はああするのが一番良いと思ったからしたまでよ。深く考えてのことじゃないわ」
とっさの行動というのは、心の奥底を映し出すものだ。
「俺は良い仲間を持ったな」
「そうよ、感謝しなさい。わたしほどの魔術師が人間の仲間になるなんて普通はあり得ないんだからね!」
ミリエルの言葉を聞いていると、ジルはなぜかいつも一言余計なことを言いたくなってくる。
「……ああ、お前は従者だったかな」
「誰が従者よっ!」
ジルは戦いの後の一時の休息を楽しんでいた。
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フリギアの解放から一日が経ち、フリギアの新たな体制づくりが急ピッチで進められていた。アムネシアは、無事な建物の中で市庁舎から一番近い商人ギルドの建物を接収し司令室を置いた。そしてこの日、バレスを従えたアムネシアは、執務室にクリフとガストンを迎え入れていた。
「アムネシア殿、この度はシュバルツバルト王国のご協力に深く感謝いたします。フリギアが帝国の支配から解放されたのは、貴国の協力があればこそです」
クリフとガストンはアムネシアの前に立ったまま、深く頭を下げた。王国の人間であれば片膝をつくところだが、彼らは王国の家臣ではないのだ。
「いえ、王国は義心から帝国の圧政を見過ごすことはできなかったのです。貴市の解放を心からお祝いいたします」
クリフもアムネシアも、王国にとっても利があるからこそ反乱に手を貸したことは理解している。だが、外交の席では、綺麗事を通さなければならない事もある。
「今後は私、アムネシア=ヴァロワがフリギア駐留軍の司令官を務めます。基本的に貴市の自由は尊重されますが、このフリギアを防衛するためにも、一部の制限は許容してください」
「一部というと?」
来たな、とクリフは内心で思った。帝国よりはマシだろうが、シュバルツバルトとてフリギアを慈善で支援しているわけではない。完全に以前と同じというわけにはいかないだろう。
「我が駐留軍にとって不利になるような言論、結社などです。例えば親帝国の言論を振りまいたり、街角で帝国を称揚するような集会を催したり、我が軍や貴市の情報を帝国に流すような活動をしたりすることです。自由の制限は最低限にしたいところですが、我が軍が駐留する以上この点はご承知おきください」
口調は丁寧だが、アムネシアはクリフに「お願い」をしたのではなく、方針を伝えたのだ。フリギア側にそれを断る権利はない。
「それから我が軍は貴市に防衛を委任されてここに駐留しています。駐留中はその防衛費として貴市から税をいただくこと、すでに了承済みであるとジルから聞いています。それで宜しいですかな?」
当面帝国軍からフリギアを守るという名目で、シュバルツバルト軍は駐留する。その期間はまだ決まっていないが、その間フリギア防衛にかかる費用をフリギア側が負担することで話がついている。シュバルツバルトとしては、帝国との前線となるフリギアに軍を駐留させるのは軍事戦略上有効であるが、長期間駐留し続けるとなると食料調達などの費用がかさみ過ぎる。
逆にフリギアから見れば、せっかく解放されたとしても、帝国にすぐ進攻されれば勝算は薄い。いずれ自身で防衛体制を整えるにしても、その間はシュバルツバルトの力を借りるしかないのだ。
「その点は我々としても望むところと了解しております」
クリフは恭しくアムネシアに頭を下げた。こと軍事という点で、フリギアとシュバルツバルトの力関係は明白である。
「その額なのですが、我々で試算してみました。この金額でいかがでしょう?」
アムネシアが目で合図すると、バレスがクリフに書類を手渡した。クリフは書類を一枚一枚めくりながら目を通しながら、厳しい表情になっていった。
「正直なところ、戦いが終わったばかりの我々としては厳しい額ですな……。これから街の復興もあるのです」
クリフが精一杯の抵抗をしてみせたが、同時にそれが容れられることもないだろうとも思っていた。
「それは我々とて同じこと。帝国との戦いは厳しさを増すばかりです。ここでこの額が減額されるようなことがあれば、本国の人間のなかにフリギア駐留に反対する者が出てくるかもしれません」
アムネシアの言葉には脅しの色があった。平和を守るためには所詮軍事的な力が必要である。嫌なら引き上げるぞ、と言われればフリギアとしては言い値を飲まざるを得なかった。
「次にフリギア側の新体制についてですが、我々は今のところ干渉する気はありませんが、一応リストを見せてもらえますか?」
クリフは事前に用意してあった新政府の要人の名簿をアムネシアに手渡した。フリギアの伝統的な統治体制は、各ギルド長による評議会であり、評議会での投票により評議長が選出される。だが、いずれはそのやり方に復帰するとしても、この戦後の混乱の中では暫定的にクリフを中心とする新政府を構成せざるを得ない。クリフやガストンがフリギアの解放に大きな功績があるのは事実であるし、クリフとて全く野心がないわけではない。やすやすと旧体制のギルドの人間に権力を渡すことは出来ないだろう。
「いいでしょう。ただ、なにぶん揉め事を起こさぬようお願いします。我々はフリギアの内政に干渉する気はありませんが、暴動や反乱などが起こり、軍に被害がでるようなら黙って見ておれません。くれぐれも統治は御自身の力で滞りなく行って下さい」
クリフは、余計なお世話だと言いたくなるのをぐっと堪えた。今はとりあえず我慢しておく方が利口というものである。
「それで我々は都市の運営について、日頃どなたに相談すれば宜しいですかな? バレス殿でしょうか」
司令官としてアムネシアは非常に忙しい。無論大事な用件であれば話し合いに応じるが、日常の細々したことについていちいち関わっていられない。
「ジルフォニア=アンブローズとしてください。彼は我が軍で一番フリギアの内情に詳しい人物です。我が軍の参謀として、貴市に力を貸しましょう」
「相談に乗る」というのは、文字通りの意味ではない。シュバルツバルトの力を借りたフリギアは、自由に全てを自分たちだけで決定することが出来ず、シュバルツバルトにお伺いを立てなければならないのだ。ジルは王国の内意を確かめる窓口になるわけだ。
「ジル君が? ああ、いえ、ジルフォニア殿がその任についていただけるのですな」
クリフの言葉を聞いてアムネシアは軽く微笑んだ。
「あなた方とジルとの関係は、彼から聞き及んでいます。いつもの呼び方で結構ですよ」
「助かります。ジルとはルーンカレッジからの付き合いなので」
ガストンが物怖じしない様子でアムネシアに答えた。
「あなたがガストン殿ね。ジルから話は聞いています。ジルもそうだけど、今回の件ではあなたもまだ若いのにご活躍とか。将来が楽しみね」
アムネシアは如才なくガストンに接した。ガストンは、自分が統治する都市の重要人物の一人である。友好関係を築いておいて損はない。何かと計算高さを見せるクリフよりも、息子のガストンの方が扱いやすそうだ、アムネシアはそう思った。
「いえ、俺は大したことはしていません。でもジルは王国の上級魔術師になり、あなたの軍でも活躍しているようです。あいつをよろしくお願いします」
アムネシアはガストンの顔を見なおした。指導者としての才覚はともかくとして、人間的には信用できそうだ。軍や宮廷での政治には向いてないだろうが、都市の長などは案外こういう人間が向いているかもしれない。アムネシアは、初めて会ったガストンに対してそう肯定的な評価を下したのである。




