088 フリギア解放の日
「ミリエル!!」
ジルは自分に駆け寄るミリエルを見て怒鳴った。ジルには彼女が何をするつもりなのか分かったのだ。
だが、ミリエルは、ジルではなくガイスハルトに駆け寄りながら急いで呪文を唱えていた。
「フライ!!」
「なにぃっ!?」
ガイスハルトは意表をつかれた。彼は自分たちに駆け寄るミリエルを見て、ジルをかばいに来るのだと思った。それならばいっそまとめて殺してやろう、そう思っていたのだ。
だがミリエルはフライで高速に飛びながら、ガイスハルトに体当たりしたのである。
ゴガッ!!
鈍い音がして両者の体が吹き飛んだ。いや、吹き飛んだのはミリエルであった。肩からガイスハルトの鎧にぶつかったミリエルは、その衝撃で弾き飛ばされていた。固い鎧に高速でぶつかったのだ、無事であるはずがない。
しかし一方ガイスハルトの体も弾き倒されていた。鎧で衝突のダメージは軽減されたものの、中の体へ確実に衝撃は伝わっている。こちらもダメージがなかったわけではない。
だが、どちらかと言えば、これはミリエルの自爆行為であった。魔法が通じない以上、ミリエルにはこれしか思い浮かばなかったのだ。しかしその代償は大きい。必死の思いでジルを救ったは良いが、彼女は大きなダメージを受け、もはや動くことは出来なくなっていた。
「ふふふ、大した女よ。今日はなんという日なのだ。これほどの戦いが出来るとは、ワシも果報者よ。女、しばらくそこで眠っておれ」
ガイスハルトは勇敢な女を殺す気になれなかった。古風な戦士であるガイスハルトは、女を殺すことに美学を感じなかったのである。
ガイスハルトはもはや笑みを浮かべてはいなかった。ジルやミリエルを見る表情には敬意があった。ガイスハルトが再びハルバードを振りかぶる。
ジルは死を覚悟した。何もしなかった人生だとは思わないが、もっと多くの事がしたかった。とくに自分は一体何者なのか、その問いに対する答えをまだ見出していないのが無念であった。
その時、戦局が再び一変した――
怒声をあげながらシュバルツバルト軍が雪崩れ込んできたのだ。ジルはそれを見て、南門を制圧する作戦が成功したことを薄れゆく意識の中で悟った。市庁舎前には、第二方面軍副司令官バレスが率いるアタナトイが集結した。
「ジルっ、大丈夫か!!」
いつも余裕ある態度のバレスであるが、この時は焦っていた。ジルを死なせないよう、アムネシアに厳命されていたのだ。
「副司令、大丈夫です。深い傷を負っていますが、命に別状はありません。気を失っているだけのようです」
それは良かった、とバレスは一つ溜息をついて安堵した。彼は戦場で何者も恐れないが、アムネシアの叱責だけは恐怖していた。
そう彼は戦場で何者も恐れない、例えそれが「帝国の死神」であったとしても。
「あなたが帝国の死神さんだな。随分やられているみたいじゃないか」
バレスは、仁王立ちになったガイスハルトの全身を一瞥した。ところどころ血を流し、鎧がひしゃげている。かなりの激戦をうかがわせた。
「お主、この男の上役か? 良い部下を持っているな」
ガイスハルトは、遅れてやってきたとぼけた男に語りかけた。
「そりゃどうも。言われなくても俺もそう思っているがな」
自分を目の前にして、これほど軽口を叩く男も珍しい。ガイスハルトはふと目の前の男に興味を持った。
「……お主にも一応名を聞いておこうか」
「語るほどの名ではないがね。第二方面軍副司令のバレスだ」
「なんと、あの『狂戦士』か。ふふふ、面白い。一度手合わせしたいと思っていたところよ」
「あんまり、有難がる名前じゃないけどなっ!!」
そう言いながらバレスはガイスハルトに打ちかかっていった。『狂戦士』の二つ名は、アムネシアの指揮の下、アタナトイが武勇を挙げるほどに名が知られていった。常に『不死隊』の先頭に立って突撃する恐るべき男として、『狂戦士』の名は、その戦いぶりからつけられたあだ名である。
そのバレスからすれば、手傷を負った男との一騎打ちなど不名誉なことだが、ここは戦場である。個人的な美学を優先するわけにもいかない。それにガイスハルトは確実に討ち取っておくべき脅威なのだ。
だがここでバレスにとっても予想外なことに、ガストンら反乱軍の兵士たちが無秩序に乱入してきた。ガストンとしては南門の開放が遅れたことから、ジルの身を心配して駆けつけたのであるが、それがバレスの計算を狂わせたのだ。バレスは軽く舌打ちした。ガイスハルトとバレスの間に反乱軍が割って入り、両者を遠く引き離してしまったのだ。
他方でガイスハルトは戦いの負けを悟っていた。彼は優れた戦士だが、それだけに自分の負けを快く受け入れる度量も合わせ持っていた。
「ふふふ、“想定”の範囲とはいえ、ワシが負けるとはな」
ガイスハルトはニヤリと笑みを浮かべると、部下を率いてまだ占領されていない北側の門を通って退却していった。
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戦いの後、アムネシアはバレスに案内され市庁舎の前まで来ていた。市庁舎の建物は大きく傷つき、周囲の建物はほとんど崩壊していた。それだけで、ここでの戦いの凄まじさが分かった。
「これは再建するのが大変ね……」
アムネシアは傍らのガストンにそう語りかけた。
「まあ、大変は大変ですが、それも勝ったからこそぼやけると言うものです」
「そうね……」
アムネシアは彼女の横に寝かされたジルを見た。一時的に気を失ったジルは、この戦いの功労者である、
「よくやったわね、ジル」
アムネシアは目覚めぬジルにそう語りかけ、そのほほをそっと撫でた。バレスはその光景を見ていたが、何も見なかったことにした。だがアムネシアはその視線に気づくとバレスに歩み寄ってきた。
「なんだ、バレス。貴様もしてもらいたいのか? 今回は貴様も『大活躍』だったらしいからな」
アムネシアは嫌がるバレスの頬も撫でてやった。だから嫌だったのだ、バレスは溜息をついた。今回の戦いでバレスは大した功績をあげていない、それは自分が一番良く分かっていた。それをアムネシアにあげつらわれたのであった。




