087 死戦
「あれが『帝国の死神』か……」
近年帝国はほとんど戦争をしていないが、以前はシュバルツバルトやバルダニアと戦を繰り広げていた。そしてガイスハルトは、当時から戦いで遅れをとったことがことがない無双の勇者として知られていた。いまでもシュバルツバルトやバルダニアの軍人、貴族の中には、ガイスハルトを『死神』として畏怖する者が多くいるのだ。
ガイスハルトは身長2メートルを超える。筋肉質の体はその身長以上に彼の体を大きく見せ、まるで一人だけ別の生き物のようであった。彼が使う得物もまたよく知られており、彼の体躯に相応しい巨大なハルバードであった。ハルバードは斧と槍が一つになったような武器で、斬撃、突く、払うなど、持ち主次第で多くの使い方ができる武器である。ひとたび彼がそれを使って敵軍を薙ぎ払えば、血の雨が降ることになるだろう。
そのガイスハルトが、市庁舎に群がる反乱軍を蹴散すため陣頭に立ったのである。ガイスハルトは漆黒の装飾性の高い鎧を身につけ、兜はかぶらずその精悍な素顔を晒していた。恐らくは自らの剛勇を誇示するためであろう。
「あの装飾、ルーンが刻まれていて高い抗魔力を持っているわよ。魔法による攻撃はほとんど期待出来ないはず」
ミリエルがガイスハルトの勇姿を見て、そう忠告した。この世界でマジックアイテムは二つに分けられる。一つは現在の人間が工夫を凝らして作りだすことのできるものである。古来から伝わるマジックアイテムの研究によって、その装飾を模倣することで抗魔力を上げたりすることが出来るようになっている。ジルが王より下賜されたローブはその代表的なものである。
これに対し、現在の人間には製作できない秘宝級のマジックアイテムというものもある。これは極めて貴重なもので、所持している者は極一部の人間に限られる。大抵は古来から伝わる一族の家宝であったり、地方や国に伝わる秘宝であるが、極稀に古代の遺跡から発見されることもある。ガイスハルトは帝国を代表する将軍として、その魔法の鎧を身に着けていた。
陣頭に立ったガイスハルトは、文字通り無双の戦士であった。彼がハルバードを左右に振るう度、5、6人の反乱軍がなぎ倒された。大げさではなく、彼の歩む前には死体の山が築かれていったのである。
「あの化物を一体どうするのです!?」
マルセル司祭に聞かれたジルも、答えることが出来なかった。ガイスハルトを甘く見ていたわけではないが、ここまでとは思っていなかったのである。
エルフのミリエルも、未だかつて見たことがない人間の戦いぶりに恐怖していた。マルセルのブレスがなければ、逃げ出していたに違いない。
「とにかく奴をどうにかしないと、戦線が崩壊しますぞ!!」
迫り来る恐怖に抵抗するようにマルセルが怒声を放った。
「とにかく魔法を試してみよう」
ジルは自分の持つ最大の攻撃魔法を試みることにした。かつてヴァルハラ祭の魔法闘技大会で、アスランが使用した第四位階の魔法インプロージョン(爆裂)である。この魔法は中心部から放射線上に爆発が広がる魔法であり、爆発の中心部はとりわけ大きなダメージを与える。アスランが大会で使っていたのを見て以来、ジルも個人的に研究して使えるようになっていたのである。
ジルはガイスハルトと距離をとったところから複雑な呪文を唱え、身振りで複雑な印を結ぶ。インプロージョンは大気にあるわずかな爆発性の分子を一つに集め、破壊の力とする魔法である。呪文の詠唱とともに、ジルの頭上に黒い磁場のようなものが発生し、大気に存在する元素を吸い上げているかのような現象が起きた。
「インプロージョンっ!!」
ジルの魔法がついに完成した。ガイスハルトを中心として光点が収束し、そして広範囲に爆発が広がった。
ズゴォオオオンン!!
爆音と爆風、そして爆炎が当たりに撒き散らされる。ガイスハルトの周囲にいた帝国軍の兵士が大爆発によって遠くに吹き飛ばされた。その凄まじい威力を見て、ミリエルは改めてジルの天才性を思い知らされた。確かにエルフであるミリエルは、ジルよりも高い魔力を持っているが、それは種族的な特徴に助けられたものである。魔法に対する知識や技術、そして情熱において、自分は遠くジルに及ばない、そう自覚していた。だがその認識もまだまだ低い評価だったのかもしれない。
これならあるいはガイスハルトを倒せたかもしれない、そうミリエルが思った矢先、彼女は煙の中からガイスハルトが姿を表すのを見た。
ミリエルは大きく口を開き、言葉がでない。言葉に出すことができたのはマルセルだった。
「ばかな……!?」
ジルは口を強く横に結び、厳しい表情を浮かべていた。ガイスハルトは片膝を付きうずくまってはいたが、それほどの傷を負ったわけではなかった。
ガイスハルトは自分に魔法をかけた者を探した。すでに薄くなった反乱軍兵士の壁の後ろに、よく目立つローブを着た若い男が立っていた。左右に人を従わせているところを見ると、その男が指導者に違いない。
「ふふふ、やるのぉ。この鎧を着ていなかったら死んでおったわ」
ガイスハルトはそう語りかけると、ジルの方へゆっくりと歩き出した。それは自然な歩き方だった。まるでジルとの間に何者も存在しないかのように。
反乱軍の兵士の幾人かがそれを妨げようとガイスハルトに打ちかかったが、ハルバードの一閃で肉塊に変わっていった。恐怖に駆られた反乱軍は、ガイスハルトをただ見送るだけとなり、彼はついにジルの前に立ちはだかった。
ジルは逃げ出すことが出来なかった。見栄や誇りではない。恐怖で体がすくんでいたのもあるが、より以上に大きかったのは責任感である。彼が逃げ出せばこの戦線は完全に崩壊する。それはこのフリギアの反乱計画自体を失敗させることになるのだ。ジルにはそれができなかった。
ジルはガイスハルトが近づいてくる間に、ヘイストの魔法を唱えていた。魔法が効かない以上、武器で戦うしかない。しかしガイスハルトとの実力差は獅子と赤子のようなものだ。その差を少しでも埋めるため、副作用を無視してヘイストを唱えたのである。
魔術師であるジルが「帝国の死神」ガイスハルトと武器で戦うのは、ほとんど狂気の沙汰である。ジルは腰の剣を抜いていたが、その貧弱な剣ではハルバードを防げまい。受ければ容易く折られてしまうだろう。
だからジルは最初から回避することに専念した。重い鎧を身につけたガイスハルトとヘイストをかけたジルでは、速さの点ではジルに分があった。ジルはガイスハルトのハルバードを、屈んだり前転したりして避けていった。しかしハルバードを避けるとき、暴風がジルの顔を撫でて寒気が襲う。
「魔術師がわしの攻撃をこれほど避けるとは初めてのことぞ。褒めてやろう」
ガイスハルトはハルバードを肩に担ぎ、楽しそうにジルに語りかけた。
「名を聞いておこうか?」
「……シュバルツバルト王国上級魔術師のジルフォニア=アンブローズだ」
ジルは一瞬ガイスハルトの問いを無視しようかと思ったが、それはあまりに狭量だと思い直し正直に答えた。ガイスハルトは少なくとも卑怯な敵将ではなかった。
「その名、お主が死んでからも覚えておこう!」
その言葉とともに、再びガイスハルトがジルとの間の距離を詰めた。上段より振り下ろされたハルバードを、ジルは左に前転してよける。そのまま距離をとるためにバックステップする。その間、ジルは短い魔法を小声で唱えていた。ガイスハルトは視線の端でジルの動きを捉えていたが、とくに警戒もしなかった。いまさら魔法など意に介する必要はないはずだった。
(確かにお前に魔法は効かない)
「そう、お前にはなっ!!」
ジルは第一位階のエネルギーボルトをガイスハルトが立つ地面に放った。
「おぉおおお!!」
足元の地面に穴が空き、ガイスハルトは足を取られて大きく姿勢を崩した。
ジルは考えていた。非力な魔術師が「帝国の死神」にまともな戦い方で勝てるはずがない。ジルには勇敢に死ぬ趣味などない。彼の非力な剣がガイスハルトを傷付けられるとしたら、それは鎧のつなぎ目を狙うしかない。ジルはよろめくガイスハルトに近づき、必殺の一撃を脇の下の隙間にねじ込んだ。
勝った!! そう思ったジルは、自分の腹部が灼熱し、激しい圧迫が加えられていることに気づいた。
「ぐはぁああ」
ジルがガイスハルトに剣を放ったと同時に、ガイスハルトの左拳がジルの脇腹に食い込んでいたのである。ジルの軽い体は吹き飛んだ。
一方、ガイスハルトも呼吸を荒げ、脇から血を流していた。とっさに拳を放ったことで致命傷は避けられたが、深い傷を負ったことに違いはなかった。だが、動けない程ではない。彼の長い戦歴の中では、より深刻な傷を負いながら生還したこともあるのだ。
「ふふふ、わしがここまでの傷を負うとは久しぶりよ。ジルフォニアとやら、本当によくやった。わしの部下に欲しいくらいよ」
ガイスハルトはそう言いながら、目の前の男が決して寝返るような男でないことを悟っていた。
「その体ではもはや自由に動けまい。名残惜しいがワシには他にやることがあってな、ここで死んでもらうとしよう」
横たわり動けないジルを前にして、ガイスハルトはハルバードを振り上げた。
その光景を見ていたミリエルは、不思議な焦燥感にかられていた。
「ジルが死んでしまう……」
言葉にすると、強い喪失感が襲ってくる。いつから自分にとってジルはこれほどに大きな存在となったのだろう、ミリエルはそう思いながらガイスハルトに駆け出していた。
「ミリエルっ!!」
ジルは自分に駆け寄るミリエルを見て怒鳴った。ジルには彼女が何をするつもりなのか分かったのだ。




