064 重大な任務
ゼノビアとジルは、エルンスト=シュライヒャーの身柄引受人に指定されたことから、大魔導師ユベールに呼ばれた。細かい段取りについて説明があるのだろう。
「ゼノビア殿、ジルフォニア殿、この度はご苦労をおかけする」
王宮の一室に呼ばれたゼノビアとジルは、ユベールからそう労いの言葉をかけられた。
「いえ、これも私の任務のうちです。そもそもの発端がアルネラ様の誘拐事件にあった以上、私にとっても人事ではありません。ただ、彼=ジルはまだ正式に叙任されたわけではありません。今回の任務は危険な役目、私は仮に死んだとしても仕方がないことですが、彼は……」
ゼノビアが言いよどみ、ユベールが後を引き継ぐ。
「君はこの国の正式の魔術師ではない。この任務は、帝国との戦闘に巻き込まれる可能性が高い危険な任務だ。我々は君にやれと強制することはできない。どうする? もし君がこの任務についてくれるなら、成功すればそれなりの褒美を約束しよう」
「やります。エルンスト=シュライヒャーの使者が来た時から、その覚悟を決めていました」
ジルは間髪を入れず即答した。ここまで来て、結果を見ずに手を引くというのはありえない。
ジルが十分な覚悟を持っていることを認め、ユベールが深く頷いた。
「ありがとう。十分に気をつけてくれたまえ。任務が成功した暁には、私からも君の活躍を陛下の耳に入れよう」
その後、二人はユベールや彼の部下から、細かい段取りについて説明された。エルンストの亡命が帝国に感づかれた場合、国境付近まで帝国軍が追いかけて来るかもしれない。そのような場合の対応について打ち合わせをしたのだ。
「断っても良かったのだぞ? わざわざ危険な任務につかなくても良かったのだ」
ユベールと別れた後、ゼノビアがジルの方を振り返って言った。そう言いつつ、ゼノビアは嬉しそうだった。ジルが断っていたら、さぞがっかりしたことだろう。
「いえ、自分で選択したことです。ここまで来て、人任せにすることはできません。それに……」
「ん?」
ゼノビアがジルの目を見つめる。
「それに、ゼノビアさんを一人にはできないじゃないですか」
ジルの言葉に、ゼノビアの心臓が大きく鼓動した。真面目な顔をしようとしても、どうしても表情が緩んでしまう。
「そ、そうか。ありがとう、ジル。嬉しいよ」
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ゼノビアとジルは装備を整え、王宮を夕方に出発した。エルンストに指定した待ち合わせ場所につく頃には、夜になっているだろう。極秘に王国へと亡命するのだ、時間は目立たない夜の方が良い。
出立にあたり、ゼノビアは革製の鎧に身を包んだ。いつもの白銀の鎧では、音がたって隠密行動に向かないからだ。ジルは魔法の詠唱の邪魔にならぬよう、服の下に鎖帷子を着込んだ。最悪の場合、命を失いかねない任務だ、できる準備は全てしておかなければならない。
「ゼノビアさん、ちょっと待ってください」
ロゴスの街を出たところで、ジルはゼノビアに声をかけた。
「なんだ? 分かっているだろうが、ここでゆっくりする時間はないぞ?」
「ミリエル! いるか?」
ジルは辺りに呼びかけた。すると――
「いるわよ。随分前からね」
何もないところからミリエルが姿を現した。騎士として物事に動じないたちのゼノビアも、これには流石に驚いた。
「エ、エルフ!? 本物?」
「本物ですよ。以前お話した協力者のミリエルです。監視役として送ったのに、見つかって使者になって帰って来た奴です」
「ちょ、ちょっと! 妙な紹介しないでよっ」
ジルの辛辣な言葉に、ミリエルが抗議の声を上げる。
「そ、そうか。例のエルフだな」
ゼノビアは咳払いを一つすると、ミリエルに手を差し出した。
「私は、シュバルツバルト王国近衛騎士団副団長のゼノビアだ。今回は協力ありがとう」
「……」
ミリエルは差し出された手をじっと見つめていた。そして意を決してその手をつかむ。
「礼には及ばないわ。全てはジルのため、エルフのためよ」
「どういうことだ?」
ゼノビアは不審そうにミリエルとジルの二人を見た。
「話すと長くなりますので、その話はまた今度……それよりも今回の任務にはミリエルにも協力してもらいます。ミリエルはエルフの魔法で透明になれますし、フライも使えますから」
ゼノビアは若干戸惑ったようだった。普通の人間にとって、エルフは得体のしれない存在である。会っていきなり信用しろというのが土台無理な話しなのだ。とくに今回の任務は王国の公的な任務だ。しかし――
「分かった。ミリエル、我々と一緒に来て欲しい。王国のために協力を頼む」
「あなたはエルフを信用するの?」
「正直なところ、君一人では信用しなかっただろうな。私はジルを信頼している。そのジルが君を信頼しているから、私も君を信用するのだ」
「なるほどね……まあ、成り行きだからエルンスト=シュライヒャーをここへ連れてくるまでは付き合うわ」
ミリエルが合流し、ジルとゼノビアは三人で帝国との国境まで馬に乗って行くことになった。
「ミリエル、お前馬に乗れるか?」
「いえ、出来無いわ。エルフには馬に乗る文化がないのよ」
「そうか……じゃあ俺の馬の後ろに乗れ」
どうやって乗るというのだろう、戸惑っていたミリエルにジルが馬上から手を差し出す。
「ほら、つかまれ」
「……」
エルフは家族以外の異性に触れることは滅多にない。例外は将来を約束した相手である。
「俺の腰に手を回せ。馬を走らせるから、振り落とされないようにな」
ミリエルは恐る恐るジルの腰に手を回す。見た目は華奢だが、実際に手を回してみると思ったよりもたくましい。女性とは根本的に違う身体の作りだ。ミリエルは走る馬の上で、ジルの背中に顔をうずめた。
「……」
夜の闇の中、ジルの後ろで走る馬に身を任せる、これから大変な任務が待っているというのに、今はそれが気持ちがいい。。エルフのミリエルにとっては、国家の任務の重さなど実感できないのかもしれない。
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「約束の場所は、この対岸だな」
3人は帝国との国境になっているアム河の岸辺に来ていた。シュバルツバルトと帝国との間には、天然の国境としてアム河が流れている。この河は河幅が広く、水深が深い。したがって橋もなしに渡ることはほぼ不可能である。
以前ジルたちが弔問団の使者として帝国に行った際には、国境の街ランスからベルンまで架かっている橋を渡り、正式なルートで渡ったわけだが、当然今回そのようなルートは使えない。ジルとミリエルがフライの魔法を使い、河を渡ることになっている。
「マルドゥール・アルダイダ・リーンフォール・スールシュロム ジリエスタ・グロス・ハンス・レルムス 万能なる偉大な力よ 我が双翼となりて飛翔せよ」
ジルとミリエルが同時に呪文を唱える。ゼノビアはジルが連れて行くことになっている。
「ゼノビアさん、それでは飛びますよ。後ろから僕にしっかりつかまって下さい。落ちると危ないですから」
「わ、分かった。お手柔らかにな……」
ゼノビアが後ろからジルの首に手を回してのしかかる形になる。ちょうどオンブのような形だ。ジルは背中にゼノビアの豊満な胸が押し付けられるのを感じていた。
「ひゃぁあ」
ふわりと身体が浮かび上がったことで、ゼノビアは思わず妙な悲鳴をあげてしまった。何しろ空を飛ぶというのは初めての経験なので無理もない。
アム河の河幅は約300メートル、ゼノビアは短い空の旅を味わった。上空50メートルほどから対岸へと着地する。空を飛ぶというのはこれほどまでに爽快なことなのか、とゼノビアは思った。魔術師ならぬ身、空を飛ぶなどということを味わう機会は今後そうそうないだろう。
(またジルに頼んでみよう)
辺りは月の明かりだけ、水の流れる音以外に音をたてるものはない。近くにまだ人気はないようだった。
「魔術師は良いな、こんな風に空を飛べるんだから」
やや興奮気味にゼノビアが感想を語った。
「魔術師なら誰でも飛べるわけじゃないのよ。フライは第四位階の魔法、ごく一部の上級の魔術師にしか使えないんだから」
「そ、そうなのか。ジル、お前凄いやつなんだな」
ゼノビアは改めてジルを見なおした。魔術師としての実力良し、弁舌良し、性格良し、そして顔も良し……。
「エルンスト=シュライヒャーはまだ来ていないようですね」
ジルの言葉にゼノビアは現実に引き戻された。
「ああ、まだ約束の時間まで20分ほどある。順調ならもうじき現れるはずだ」
ゼノビアが懐中時計を見て言った。河の近くは平野となっていて遮るものはない。500メートル先から林になっているが、近づくものがあればすぐに分かるはずだ。
それから30分後――
「遅いですね……、何か手違いがあったのでしょうか」
「そうだな。このような場合、時間を厳守するのが鉄則だ。もし我々が引き返してしまえば、エルンストはお終いなんだからな」
「ジルっ! 何かが近づいてくるわよ!」
夜目がきくミリエルが警告を発する。確かに夜の闇の中で何かがこちらにやってくるようだ。数は一人、エルンストだろうか……。しかしエルンストであれば供も連れずに一人というのは考えにくい。
「相手は我々がここにいることを知っているようです。明かりをつけましょう」
ジルはライトの呪文を唱える。ジルの周囲数メートルが魔法の明かりによって照らされる。そして姿を現したのは、中年の騎士風の男だった。
「王国のゼノビア殿とジルフォニア殿か!?」
「そうだ。貴公は誰だ?」
ゼノビアが聞き返す。
「私はエルンスト=シュライヒャー様の家臣、バリオスという。お願い申す、エルンスト様をお助けくだされっ!」




