063 会議の行方
「なぜエルンスト=シュライヒャーは、我が国へ亡命、いえ、帝国を裏切ろうとしているのか? それは彼の娘レミアが帝国の特務機関『黒の手』の首領によって殺害されたからです」
ゼノビアの投じた爆弾発言により、会議室はざわついた。その意味するところをひそひそと話している。
外務の大臣が手を挙げて発言する。
「そ、それはつまり、アルネラ様の誘拐事件は帝国の特務機関による犯行だ、ということか?」
ゼノビアは一拍の間を空け、簡潔に答えた。
「その通りです」
――ざわざわ
会議室はもはや騒然となっていた。長く犯人が分かっていなかった事件の真相が、エルンスト=シュライヒャーによって明らかにされるとは予想外のことだ。そしてこのことは、王国と帝国が戦争になりかねない問題である。少なくとも、王国としてこの事件を放っておくことはできないだろう。
「だが、その情報は確かなのか? エルンスト=シュライヒャーが虚偽を述べている、あるいは彼自身は真実だと信じているとしても誤りである可能性は?」
レムオンがそう発言した。情報の内容が内容だけに、もし虚偽であったら取り返しがつかない。
「それは正直なところ分かりません。しかしエルンスト=シュライヒャーほどの名将が、それまで仕えた国を捨てるというのは尋常ではありません。その状況を合わせて考えると、信頼性は高いと思います。ただこればかりは、本人に証言を求めなければなんとも言えません」
「そのためにも、まずエルンスト=シュライヒャーを確保しなければならないか」
ルーファスがそうつぶやいた。王都の警備責任者である彼にとっても、アルネラの誘拐事件は人事ではない。
「だが、その行為自体が帝国との決定的な対立を招きかねないのだぞ? 帝国は当然身柄の引き渡しを要求してこよう。それをはねつければ、これは明らかな敵対行為となる」
これはアムネシアの発言である。
「仮に帝国と戦争になった場合、勝算はどの程度と考えてらっしゃるのかしら? レムオン殿」
クリスティーヌがレムオンを指名してたずねた。この会議室には3人の軍司令官がいるが、実績から言ってやはりレムオンが最も重きをおかれているのは間違いない。
「……そうですな、現在の我が国の戦力を10とすると、帝国は8くらいでしょう。それに帝国はここのところ戦争をしておらず、我らの方が戦慣れしている分有利かと思います。ただし、バルダニアの出方が問題ですな。我が国はバルダニアと長年戦っているところです。そのバルダニアが帝国と手を結ぶとなると、かなりマズいことになるでしょう」
「英雄レムオンとも思えぬ言いようだ。帝国に必ず勝つ、と言うべきところだぞ。今回の件は千載一遇の機会、シュライヒャー領は後のためにも併合しておかねばならぬ」
レムオンの説明を聞き、ブライスデイル侯が不満の表情を浮かべて反論した。エルンスト=シュライヒャーの領土は王国との国境近くにある。これを併合することができれば、帝国に対する橋頭堡とすることもできる。
ブライスデイル侯は、王位継承争いにおいてルヴィエ派の筆頭である。それゆえアルネラの誘拐は彼にとって好都合のようにも思える。しかし、それは国家の体面というものを軽視した見方である。シュバルツバルト王国の王女が、帝国によって誘拐されようとしたのだ。王国の名誉からすれば、これは必ず帝国に相応の裁きを与えねばならないことだ。
そして、ブライスデイル侯は王国の臣であるため、アルネラの排除を露骨に喜ぶわけにもいかない。貴族として本心を隠し、場にふさわしい態度をとることが求められるのだ。
さらに言えば、ブライスデイル侯はもともと対外強硬派である。帝国がアルネラを誘拐しようとした思惑がなんであれ、これを帝国進攻の絶好の機会ととらえても不思議ではない。
「何にしても、事を起こすなら事前に万全の準備を整え、一端行動に移せば敵に悟られるより前に目的を達することです。帝国に策をとらせる時間を与えてはなりません」
レムオンはそう締めくくった。
「いまバルダニアと険悪な関係にある時に、帝国とも争うことになって良いのか? どうにか穏便に済ませる方法はないだろうか」
財務大臣がそう慎重論を唱えた。彼としては、戦争による財政的負担に思いを致さないわけにはいかない。
「しかし、我が国の王女が帝国に誘拐されようとしたのだぞ! これを見過ごしては王国が弱腰だと侮られるではないか!」
ブライスデイル侯が興奮して反論する。言い方はともかく、これは正論と言わざるを得ない。財務大臣が沈黙する。
ここで、出席者の議論を促すために沈黙していた大魔導師ユベールが、手を挙げて発言した。
「どうだろう、差し当たりここはエルンスト=シュライヒャーの身柄を確保するだけにしておき、彼の言うことが真実だと分かった段階で正式に帝国に抗議するなり、戦争に及ぶなりするというのは。今の段階で彼の領土を武力で併合するというのは、他国から見れば一方的な侵略に映りかねないのではないか」
これは穏当な主張であったが、出席者の多くを納得させるまでにはいたらなかった。とくに対外強硬派のブライスデイル侯や彼の派閥に属する諸侯、第三方面軍司令官サイクス=ノアイユらは、シュライヒャー領の併合を強く主張した。どうせ戦争になるであれば、帝国領に一つ楔を打っておくことにより、軍事戦略上で優位に立つべきだというのは、必ずしも悪くない考えである。
このような場合、どうしても主戦論の立場が強くなる。穏健的な意見というのは、弱腰、売国奴などと思われかねないため主張するのが難しくなるからだ。司令官のうち、レムオンとアムネシアは帝国への侵攻に消極的であった。他の出席者は、なかなか態度を決めかねているようにみえる。
「仮にエルンスト=シュライヒャーの亡命を認める場合、どのような段取りになるのだ?」
ヘルマン伯がゼノビアにたずねた。
「彼は自領を脱し、王国との国境まで来ることになっています。彼は私と、ここにいるジルフォニア=アンブローズを身柄引受人に指定していますので、我々が彼を王宮まで連れてくることになるでしょう」
「ジルフォニア殿を? なぜ彼が指名されるのだ?」
ゼノビアは横にいるジルの方に顔を向けた。
「ジル、自分で答えられるか?」
ジルは静かに頷き、立ち上がった。
「みなさま、わたくしはジルフォニア=アンブローズと申します。そもそもエルンスト=シュライヒャーに亡命の意思を伝えられたのは私なのです」
ジルは会議の出席者たちに、エルンストとの間に起こったことをについて話した。弔問団に行ってエルンストの態度に不信を抱いたこと、エルフのミリエルを使ってエルンストを探らせたこと、ミリエルが見つかり逆にエルンストの使者として帰ってきたことなど。
「なお、エルンスト=シュライヒャーは、娘のレミアだけでなく、過去に息子のエミールも帝国の人間に殺害されています。したがって帝国を裏切るという彼の言は、確度が高いものと推察されます。また、帝国はエルンストがそのことに気づいているのではないかと疑い、彼の周囲を監視しています。時間をかければ彼の身が危うくなることを、付け加えさせていただきます」
諸侯ら会議の出席者たちは、ジルが思いの外弁舌が立つことに軽く目を見張った。御前会議のような重大な会議で自分の意見を述べるのは、大きなプレッシャーになるものだ。堂々たる態度は、まだ14歳の少年とは思えなかった。
会議は結局決を採ることになった。事態は緊迫しているので、時間をかけるわけにはいかないからである。
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御前会議の結果、王国はエルンスト=シュライヒャーの亡命を受け入れ、その領地を併合するためレムオンの軍を派遣することが決定された。結局のところ、主戦論が慎重論に勝ったのである。もともと帝国から独立したという歴史があること、そしてなにより帝国が王女誘拐を画策し、恐らくは王位継承に干渉したことが、出席者の対帝国感情を悪化させた結果である。
「レムオン殿、これでよろしかったのでしょうか? 大変な任務になりますね」
会議が終わった後、アムネシアは隣のレムオンにそう語りかけた。レムオンの軍がシュライヒャー領に進攻することになった。それが成功すれば、彼は帝国との戦争の最前線に立つことになる。今後はレムオンが帝国方面の最高指揮官になるだろう。
「仕方がないでしょう。我々は軍人、命じられたことを遂行するのみです。ただ、今回の件は必ずしも悪手だとは限らないかと。我が国の王位継承に干渉するということは、もともと帝国の方にこそ王国と敵対する意思があったと考えられますから」
隣でアムネシアが頷いた。これから忙しくなる、彼女もそう覚悟を決めた。第二方面軍もレムオン軍をバックアップするとともに、バルダニア王国にも備えることになるのである。




