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シュバルツバルトの大魔導師  作者: 大澤聖
第二章 動乱の始まり編
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057 エルンスト=シュライヒャーの苦悩

 エルンスト=シュライヒャーは、帝国の農民の子として生まれた。エルンストには二人の兄がおり、実家の農家は長男が継ぐことになっていた。そのため、エルンストは小さな頃から自由に育てられた。


 そのためだろうか、エルンストはこの小さな村で腕白な少年として育った。近くの少年を集めてグループをつくり、ガキ大将的な存在となって子ども社会の中では一目置かれるようになっていた。


 エルンストが14才の時、帝国はシュバルツバルトとの小競り合いに軍を派遣するため、この村から兵を募った。表向きこれは希望者を募る方式ではあったが、村には人数の割当があり、実質的には徴兵と変わらなかった。希望者がいなければ抽選でもして必ず決められた人数を出さねばならなかったのである。


 少年たちは戦争の過酷な現実を知らずに、英雄になることを夢見がちである。とくにエルンストの村のような田舎では。村への割当4人のうち、3人まではそうした若者が自ら志願した。ところが残りの1人がなかなか現れない。このままでは村の男の中でくじ引きをして、兵として戦争におもむく者を決めなければならない。ここでエルンストは自分から手を上げ、戦争に行くことを希望したのである。


 エルンストの両親は驚き止めようとした。いささか腕白で手に負えないところもあるが、実の両親である。可愛くないわけではない。父親も兵として戦争に駆りだされたことがあり、戦争の醜い現実を知っていた。エルンストにはまだ早い、あの子には戦争というものが分かっていないのだ、そう思ったのである。


 しかしエルンストの意思は固かった。彼には彼で自分なりの考えがあったのだ。将来実家は兄が継ぐことになり、自分は家をでなければならない。それがこの世界で次男以下に生まれた者の宿命である。


 ゆえにエルンストは何かで身を立てなければならなかった。農民になる気はさらさら無かった。どうせ独立してやっていくなら、もっと男の一生をかけるようなことがしたい、エルンストはそう思っていたのである。


 自分には何が向いているだろうか、そう考えた時に、エルンストは自分が幼い頃から少年たちのリーダーであったことに思い至った。自分には集団を指揮する力がある、そう確信にも似た思いを持っていた。それはもしかしたら、青少年が抱きがちな過信かもしれなかったが、彼はそれに自分の一生をかけるつもりだったのだ。


 結局、エルンストは両親の反対を押し切り、一兵卒として戦いに参加した。彼は戦いの技術を専門的に学んだことはなかったが、敵兵の何人かを倒し、そして敵の副指揮官を討ち取るという功績をあげた。エルンストはこの戦いで、軍での階級を一つ上げた。以降エルンストは戦に赴くたびに出世を繰り返していった。


 エルンストにとって追い風となったのは、レオニッツ4世の改革により、平民出の人間に科せられた制限が解除されたことである。従来はどんなに大きな戦功を挙げ、能力のある人間であっても、平民であれば下級指揮官が出世の上限だったのだ。せいぜいが100人規模の部隊の指揮官にしかなれない。


 だが、その制限はレオニッツ4世の改革によって取り払われた。エルンストは異例の出世を遂げ、一軍の指揮官、そしてついには全軍の指揮官にまで登りつめた。彼は帝国の軍事情勢にまで大きな影響を与えるようになり、「帝国を支える一柱ひとはしら」とさえ呼ばれるようになった。そして長年の戦功から、男爵に列せられ領地も与えられた。これは平民として異例の出世といって良い。


 しかし出世が認められることと、受け入れられることとはまた別問題である。貴族たちは彼を遠ざけ、露骨に嫌悪感を示す者もいた。平民であるエルンストに指揮されることは、特権意識にこり固まった貴族にとって我慢ならないことだったのである。宮廷におもむくたび、彼は自分が場違いなところにいることを思い知った。


 彼は帝国という国家に幻滅しつつあった。やはりこの古い国にあって、平民であるということは、それだけで未来を奪われることになるのだ、そう思い知った。


 しかしだからといって、帝国を出てどこに行くあてもない。気軽にシュヴァルツヴァルトやバルダニアに亡命するには、すでにエルンストの名声は軽いものではなくなっていた。平民出の将軍エルンストの名は、大陸中に鳴り響いているのだ。いくら帝国に幻滅していようとも、このまま現状を受け入れてやっていくしかない、そうエルンストは諦めていた。


 そんなエルンストにも、楽しみにしている未来があった。それは家族である。彼は妻との間にエミール、レミアという子どもを授かった。とくにエミールは幼い頃から、後継者として自ら剣の稽古をつけてきた。そのせいか、エミールはエルンストからみても立派な戦士に成長した。娘のレミアはどうやら魔法の方に才があるようだった。エルンストにとって、エミールやレミアの成長を見守ることだけが楽しみとなっていた。


 エミールが20(はたち)になった時には、彼の名は一人の戦士としてすでに有名になっていた。帝国の剣闘大会では上位に食い込み、軍でも戦功を立てていた。さすがはエルンスト=シュライヒャーの子よ、エルンストに好意的な者はそうエミールを評した。人の口から彼の名を聞くたびに、エルンストは目を細めた。エミールには厳しい父親の顔をしていても、実は甘い父親であった。


 ところが――


 その未来もエミールの死とともに砕け散ったのだ。村を襲った魔獣の討伐隊に指名されたエミールは、そのまま生きて帰ってくることはなかった。エルンストの悲嘆は想像を絶するものであった。彼も武人として多くの敵の命を奪ってきた。だから、いつか自分が命を失う時が来ることは、覚悟していた。しかしそれが自分ではなく、最愛の息子に振りかかるとは思ってもいなかったのである。


 気落ちした父を、レミアは励ますすべを持たなかった。レミアは知っていた。父は自分を深く愛してくれたが、それ以上に兄エミールを愛し、期待していたことを。だから父がレミアに戦士となることを提案してきた時、レミアは断ることができなかった。幼い頃から魔法に興味があり、魔法学校に通う夢を持っていたが、それを諦め徹底的に戦士としての訓練を受けることになった。


 だが魔法への夢を捨てられなかったレミアは、父に掛け合い、より強い戦士になるためと説得してルーンカレッジへと入学した。恐らくは自分のエゴで戦士としてしまったが、レミアには戦士としての資質がそれほどないことにエルンストも気づいていたのだろう。


 ルーンカレッジに入学したレミアは、魔法戦士としてメキメキと上達していった。エルンストは、レミアの成長を見守ることに新たな生きがいを見出していた。


 そして――


 今から約1年前、シュヴァルツヴァルトの王女アルネラの誘拐事件に巻き込まれたレミアは、誘拐犯と交戦して命を落とした。この報が自宅に届けられた時、エルンストは衝撃でよろめき膝をついた。人生の終わりが近づきそうなこの時に、相次いで子どもを亡くすという最大の悲劇が襲ってこようとは、思ってもいなかった。エルンストは暫くの間、使用人たちが心配するほどに放心状態だった。


 数日後、シュヴァルツヴァルト王国から弔問の使者が訪れた。使者は、誘拐されたアルネラの捜索に当っていたゼノビアという騎士だった。エルンストも武人であり、娘の死に関して彼らに責任がないことは理解していた。


 だから、彼はどうしても大声を張り上げて怒鳴りたくなる気持ちを抑え、丁重に使者を迎えたのである。だが、使者の一行の少年から伝えられた事実は、エルンストを驚愕させた。ミリエルを殺した誘拐犯が、“頬に三日月形の傷を持つ男”であったという事実である。


 実は“頬に三日月形の傷を持つ男”について、エルンストには心当たりがあったのである。


 彼はかつて部下からその男について聞いたことがあった。その部下には、子どもの頃からずっと会っていない幼なじみの友人がいた。その友人が、ある日突然自分の家を訪ねてきたという。部下は友人の来訪に驚き、そしていぶかしんだ。何しろ互いに20年は会っていなかったのだ。友人は食事と一夜の宿を求めた上で、自分の身の上を語りだしたのである。


 彼は大人になってから身を持ち崩し、闇社会の一員となった。盗み、強盗、誘拐、何でもやった。そしてある日、組織の根城に一人の男が彼をスカウトにやって来た。その男にはある外見的な特徴があった。頬に三日月形の傷が刻まれていたのである。どこから彼のことを聞いてきたのか、その腕を見込んで仲間になって欲しいということだった。


 彼は闇社会の一員に落ちたことで、半ばやけになっていたから、男の組織がどんなところであろうと構わないと思った。そして傷の男に言われるがまま、その組織の一員となったのである。その組織とは帝国の特務機関「黒の手」であった……。


 エルンストはこの話を聞いた時、とくに何も感じることはなかった。「黒の手」とは自分の知らない組織であるが、どんな国にも裏の組織があるのは当然であり、帝国にあっても不思議ではない。彼は軍人で多くの敵兵を殺してきたが、それでも表側の人間である。暗殺やスパイを任務とする特務機関については知らなかったし、特別興味もなかったのである。


 だが――


 レミアを殺した誘拐犯と、「黒の手」の「頬に三日月形の傷を持つ男」が同一人物であるとすれば、彼の娘を殺したのは帝国の人間だということになる。なぜ「帝国を支える一柱」の自分の娘が、同じ帝国の人間に殺されなければならないのか?


 そしてもしそれが本当だとすれば、アルネラを誘拐したのは帝国の仕業だったということになる。エルンストはこれまで謀略に縁のない生き方をしてきた。それゆえ、帝国がなぜアルネラを誘拐しなければならないのか理解できなかった。


 エルンストは、この事件の真相を確かめなければならないと決意した。それは、二人の子どもを失った彼が、残りの空虚な人生を生きていく目的となるかもしれない。

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