051 ミアセラとの別れ
アリア祭が終わった後、ジルはアルネラにせがまれて自分が経験した出来事を語っていた。王宮から出ることのできないアルネラにとって、ジルの話は想像力をかきたて、面白さに満ちていた。ジルはそんなつまらない話を面白がって聞くアルネラが、いささか不憫であった。このような事で彼女の気が紛れるなら、出来るだけ会いに行ってさしあげよう、ジルはそう思っていた。
ジルがロゴスからカレッジへと帰ってきたのは、もう夏休みが終わろうとしている時期だった。この時期になると、帰省を終えた学生たちがカレッジに帰ってくる。それぞれ実家に帰っていたガストンやミアセラなども続々とカレッジへと帰ってきていた。
新年度の授業が始まるまで、まだ数日ある。ジルは魔術師コースの面々、ガストン、イレイユ、ルクシュ、ミアセラ、そして初級のレニ、メリッサとともに学園内のプールに行った。互いに夏の土産話を交換するのと、夏の思い出をつくるためである。
とくにミアセラはすでにカレッジを卒業しており、バルダニアの宮廷魔術師になることが内定している。いまは友人たちと別れを告げるためにカレッジに残っているが、あと数日で帝国へ帰ることになるだろう。これはミアセラの送別会を兼ねていた。
カレッジの敷地の中には、プールが設置されている。これは魔術師にも体力づくりが必要だ、というカレッジの教育方針に基いたものだ。ジルやミアセラたちは思い思いの水着でプールに入っていた。夏ももう終わりに近づいているが、まだまだ暑さは続いていて水の冷たさが気持ちいい。
「あなたがジルフォニアの指導生だった子ね! 噂はいつも聞いていたわ。私はイレイユっていうの。こっちで恥ずかしそうにモジモジしているのがルクシュ。今度ジルと一緒に上級クラスに上がることになってるの。よろしくね!」
面積の少ないビキニを着たイレイユがレニに話しかける。誰に対しても物怖じしない少女だ。ミスコンで見たが、見事な体型をしている。一方レニの方は白いワンピース型の若干地味な水着を着ている。まだ幼いレニにはよく似合っていて可愛らしい。
「イレイユも故郷に帰ったんだよな? カラン同盟のミゼルファースだったか?」
カラン同盟は、ジルがぜひ一度訪ねてみたいと思っている所だ。
「そうよー。カラン同盟の盟主のね」
カラン同盟とはシュバルツバルト、帝国と国境を接する商業都市国家群である。それぞれが独立した商業都市であるが、帝国や王国と対抗するため同盟を組んでいる。その同盟の盟主になっているミゼルファースは、「“北海”の真珠」と呼ばれ、交易で栄えるだけでなく、強力な海軍も有している。イレイユはそのミゼルファースの商人の家の出である。
「ジルはそのレニちゃんの家にお呼ばれしてたのよね。どうだった?」
「あのレムオンさまに会ったんだろ? うらやましいぜ」
ガストンが身を乗りだしてきた。ガストンはカレッジの地元フリギアの出身なので、実家に帰るといっても両親に会うだけで、環境はほとんど変わらないはずだ。それでも年に一回、両親のもとへ帰ることで気分がリフレッシュするものだ。
「ジルさん、今度は私の家にも遊びにいらっしゃい。歓迎するわ」
そう提案してきたのはミアセラである。ミアセラは豊かな胸が強調される黒の三角ビキニを着ている。とても艶めかしくて、ジルは目のやりどころに少々困っていた。
ミアセラはバルダニアの侯爵家の令嬢である。在学中誰にも教えことはなかったが、ミアセラはカレッジで一つの目標をたてていた。それは自分の結婚相手をカレッジで見つけることである。通常貴族の家では、親の都合で幼い頃に許嫁が決められてしまうが、ミアセラはそんな親や習慣に反発していた。それで意地でも在学中にこれはという相手を見つけようとしていたのだ。
だが結局侯爵令嬢である自分と釣り合う人間、何より彼女が魅力を感じる人間をついに見つけることはできなかった。そう、ジル以外には……。
ジルにいまそのことを言ったとしても決して受け入れてもらえないだろう。今までの付き合いでミアセラはその事をよく分かっていた。それに、ジルの身分ではミアセラの両親が相手として認めるとは思えない。いずれバルダニアとシュバルツバルトの宮廷魔術師同士として再会すれば、その時にはチャンスがあるかもしれない。
「ミアセラさん、今年卒業ですよね。寂しくなります……」
ジルは初級クラスだったころからミアセラを知っていた。セードルフと対立していた頃から、折りにふれジルをかばい、助言を与えてくれた上級クラスの美女だ。ミアセラがいなくなるということは、カレッジに尊敬すべき先輩がいなくなることを意味する。
「私もよ、ジルさん。カレッジは私にとって思い出深い場所。それにはあなたも含まれているのよ」
ミアセラはそう寂しげに微笑んだ。
その夜、プールに行ったメンバーでミアセラの送別会を行った。このメンバーでミアセラと親しいのはジルとガストンだけだったが、みな上級クラスの有名人としてミアセラを知っていた。バルダニアの侯爵家の令嬢にして宮廷魔術師、自分とは歩む道が違うが気持よくカレッジを送り出してあげたい、そう思っていたジルの気持ちに応え、みなもミアセラとの別れを惜しんでくれた。
「ミアセラさん、いつ帝国に帰るんですか? その日は見送りにいきますよ」
「3日後よ。明日は上級クラスのみんなとお別れ会、明後日は出発の準備をしないとね。帰る日はたぶん沢山の人が来てくれるから、あまり話せないかもしれないけど良いかしら?」
「ええ、構いませんよ。ミアセラさんは知り合いの方が多いですからね」
ミアセラは、上級クラス一の魔法の使い手にして美人ということもあり、男だけでなく、女子学生からも人気があった。ミアセラに憧れて、そのスタイルを真似る女子学生が中級クラスにも多いのだ。恐らく彼ら、彼女らも見送りに来るのだろう。
「私だけではなくて、その日は上級クラスの卒業生で国に帰る学生が多いのよ。カレッジの正門前は凄い人出になるでしょうね」
確かに新年度が始まる直前は正門前が混みあう事が多い。もちろん、バルダニアに帰る学生だけでなく、シュバルツバルト、帝国、そして数は少ないがカラン同盟やモングー、キタイなどに帰る学生もいる。みな長いカレッジでの生活を終え、それぞれの新たな生活を始めるのである。この時、多くの学生はカレッジに特別な郷愁の念を抱くものらしい。
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そしてミアセラが帰国する日、ジルは一人でミアセラの見送りに行った。ガストンやレニはあいにく用事があって来られないとのことであった。
予想通り正門前は多くの学生や職員でごった返していた。その中でひときわ大勢の人間に囲まれているのがミアセラであった。近づくことも難しいので、ジルは遠目にミアセラを見ていたが、やがてミアセラがジルに気づいてくれた。
「ジルさん! 来てくれたのね。ありがとう」
「卒業おめでとうございます。もうなかなかお会いできないでしょうね。寂しくなります」
送別会でもそうであったが、今日は本当の別れになると思えばその思いも一塩である。
「私もよ、ジルさん。早くカレッジを卒業して宮廷魔術師におなりなさい。そして出世したあなたと再会したいわ。そうすれば……」
ミアセラはジルを長い間見つめ、やがて万感を込めてそう言った。周りには大勢の人間がいる。そう目立つことはできない。ミアセラはジルをひとしきり抱きしめた。それは友人同士が別れを惜しむような光景にも見えた。




