043 レムオンの問い
ジルはレムオンの書斎へと通された。戦争の英雄と称されるわりには、意外にもかなりの蔵書量である。聞けばこの部屋に入りきれない本がまだ地下に保管されているという。
「このクリストバイン家は、本当は兄が継ぐはずだったのだ。だから私は若い頃から呑気に家で書物ばかり読んでいた。それが兄が戦争で死んだものだから、私に出番が回ってきてしまった。今では書物を読む時間などほとんどないのだ」
レムオンは肩をすくめ、いかにも残念だという仕草をしてみた。ジルの知るレムオン=クリストバインという男は、バルダニアとの戦争で若き英雄として頭角を現し、現在は軍の重鎮として強い影響力を持った人物だ。ジルにとって意外な過去であった。
「さて、君も飲むかね?」
レムオンは酒のボトルの前にグラスを2つ置いていた。シュバルツバルトでは酒に関する法はない。男であれば14歳ですでに一人前と認められることもあり、酒を飲むこともそう珍しいことではない。しかしジルは過去に一度しか酒を飲んだことがない。それもわずかに口をつけた程度である。
「宮廷では当たり前のように酒が出てくるぞ。貴族の付き合いで酒が飲めないのではやっていけない。まあ君も試してみるといい」
他ならぬレムオンの言うことでもあり、ジルは酒をもらうことにした。シュバルツバルト特有の蒸留酒で、かなりの高級品らしい。ジルは口をつけ、酒を微量口に含んでみると、火に焼けそうな感覚に襲われ、思わずむせてしまった。
「ははは、この酒はちょっと強かったかな。ではワインにしておこう。738年物の良いのがあるんだ」
レムオンは棚から赤ワインのボトルを取り出し、ジルと自分のグラスに注いだ。口をつけてみるとまろやかな口当たりで、ジルでも飲みやすいワインだった。
ジルは部屋を見渡してみた。改めて見ると、その蔵書量に驚かされる。
「この書物の山も無駄ではなかったんだ。幼い頃から家にこもって書物ばかり見ていたが、それが軍人になってから敵や味方の心理を推測したり、敵を打ち破る戦術の知識を得るのに役立ったよ。人間何が役に立つか分からんものだ」
レムオンは冗談めかしてそう話しているが、かなりの実感が込められた言葉のように感じられた。レムオンにはきっとまだ話していない何かが過去にあったのだろう。
「さて、ジルフォニア=アンブローズ君。娘から聞いたのとは別に、私も君のことは聞いていたよ。むろんアルネラ様の一件でだ」
レムオンの声のトーンが先程までとは打って変わり、ジルも居住まいと正す。レムオンの顔はすでに笑みを浮かべてはいない。そこには、さきほどレニやアニスに見せた顔とは違う顔があった。王国軍の重鎮として、あるいは名門貴族として、そしてジルはそれとも何か違う奇妙な圧力をレムオンに感じていた。
「君はこの一件で一躍有名となった。君自身は意識していないかもしれないが、私のところにも名前が聞こえてくるくらいだからな」
「それで、だ。もし、君がレニを妻にしたいと考えているのなら、早く地位を昇りつめることだ」
「いえ、私はそんな――」
突然レムオンがレニとの結婚について言い出したので、ジルは思わず慌ててしまう。
「まあ、待ちたまえ。君が娘のことをどう思っているかは分からない。それは今は聞かないでおこう。しかし、娘がどう思っているかは私には分かるつもりだ。少なくともあれは君の事を必要としている。それを前提として、もし君が娘と結ばれたいと思っているなら早くしなさい、と言っているのだ。いま娘のところにはひっきり無しに縁談が来ている。あのブライスデイル侯からもな」
「ブライスデイル侯からもですか?」
「君は侯に会ったことがあるのかね? 私を自派に引き入れようとする見え透いた政略結婚だが、侯の孫であれば相手としては悪く無い。私としてもいつまで断り続けられるか分からん」
アニスが言っていたように、王国内部の政治状況によっては、レムオンとしても生き残るために貴族たちの派閥へ入らざるをえなくなるかもしれない。その時、ブライスデイル侯の要求を果たして断れるだろうか。
「私はこれでもレニの父親だ。出来ることなら、レニには好きな相手と一緒になって幸せになってもらいたいと思っている。だからレニが欲しければ早くしなさい、と言っているのだ。君の身分ならせめて魔導師にはなってもらわなければな」
ジルの貴族としての身分は「騎士」である。これは半貴族と称されるような低い身分であり、到底伯爵家と比較できるようなものではない。それゆえ婚を結びたければ地位を高めよ、というのであろう。
貴族の結婚は親類縁者の意向や、なにより伯爵家の存続という見地からするものであり、たとえレムオンといえど自分一人で決められるものではないのである。
とはいえ、レムオンの気の早い話に、ジルはいささか戸惑っていた。レニのことは憎からず思っているが、正直なところそこまでのことは考えていない。第一、レニも今はカレッジでの勉学を再優先にすべきではないか、ジルがそう考えていたところ、レムオンが思わぬ問いを投げかけてきた。
「君は将来に何を望んでいるのかね?」
突然の質問に、ジルの心臓は早鐘のように鼓動を打った。レムオンはジルの内面を探る核心をついた質問を投げかけてきたのである。
「君の望みがもし宮廷魔術師として出世するだけなら、私がその手助けをしてやってもいい。クリストバイン家の力と私の政治力を使えば、下級の宮廷魔術師の人事などどうとでもできる。君の望みは何だ?」
ジルにはレムオンの真意がどこにあるのか掴みかねていた。これは娘と親しい男に対する身体検査のようなものなのか、それとも軍人や宮廷人として何か政治的な意図があるのか。
いずれにしても、この人には誤魔化しはきかない、ジルは直感的にそう悟った。恐らくその場しのぎの誤魔化しを言えば、レムオンには気づかれるだろうし、所詮そのような者として切り捨てられる、そんな予感を覚えたのである。
「私の望みは大魔導師になることです」
「シュバルツバルトのかね?」
レムオンはとくに驚いた様子もなくそう聞いた。
「いまのところは。王国が私を宮廷魔術師としてくださりますので、一番の近道ですから」
「君の望みは大魔導師という地位なのか?」
レムオンは全てを見通そうとするかのようにジルの眼を見つめた。
「私の生涯の目標の一つは魔法を極めることです。その遠い魔法の修練の先には、自然と大魔導師があるのではないかと」
「自分にはそれだけの魔法の才があると思っているのだな?」
「ええ、はばかりながら」
ジルは一旦言葉を切って、心を落ち着ける。
「ただ私が大魔導師になろうとするのは、単に地位だけのことではありません。私は大魔導師として国政に参画することにより、様々な情報を手に入れたいのです」
「情報? どういう類のものだ?」
レムオンはジルの意外な言葉に興味を持ったようだ。
「一つは、この世界の真理に関するものです。我々の生きるこの世界には、まだ明らかになっていない事が数多くあります。例えば帝国の『魔獣の森』や『エルフの森』の実態、遠い東の果てのモングーについて、そして魔法の原理についてもまだまだ分からないことばかりです。私は自分の生きるこの世界の在り方を解き明かしていきたいと思っているのです」
「ふむ、なかなか興味深い視点だな」
「二つ目は、私の出生についてのことです」
「……」
「私はシュバルツバルトの元上級魔術師ロデリック=アンブローズの子とされていますが、実はそうではないのです。父ロデリックは14年前、私を聖地グアナ・ファルムの神殿の前で拾ったのです」
「本当かね……」
「私もつい最近知ったことです。ルーンカレッジに入学する際、父に打ち明けられました。父によれば、私が寝かされていた籠は貴族が使用するものだったということです。私は自分が一体何者なのか、その出生について知りたいと思っているのです」
「それで君は自分のことを不幸だと思っているのか?」
「いえ、聞いたのがつい最近ですので、戸惑っているというのが正直なところです」
これは事実だ。13になるまでそうと知らずに育てられて来た。父ロデリックに思うところは色々あるが、少なくとも子どもの頃の自分は不幸ではなかったのだ。
「そうだな、この世界に不幸な者など幾らでもいる。冷たいようだが、捨て子など珍しくもない。君には養親が居ることだし、今生きていられるだけで幸せかもしれないのだ。それに、弱い立場の者ならばともかく、君なら自分で道を切り開いていくこともできるはずだ」
レムオンの言葉に、ジルは自戒のような響きを感じ取っていた。
「失礼ながら、レムオンさまも御自身で道を切り開かれてきたのですか?」
「いや――私は常に状況に流されて来ただけだ。流され続けて英雄にまつり上げられるというのも珍しいものだが」
レムオンの口調や表情には自嘲の色が表れていた。なぜレムオンが恥じ入る必要があるのか、ジルには分からなかった。
「ジルフォニア君、君のことが少し分かった気がするよ。今日こうして話すことが出来てよかった。君の出生について、私の方でも気にかけるようにしておこう。何か情報をつかんだら、君に知らせるよ」
こうしてレムオン=クリストバインとの話は終わった。ジルはレニの父、「英雄レムオン」の新たな一面を知ったのである。




