042 クリストバイン家の人々
アニスの手料理は本当に美味しかった。久しぶりに娘のために腕をふるったとのことだが、恐らく普段から自分でも料理しているのだろう。通常貴族の家では、使用人に料理を作らせることが当たり前となっているので、料理が趣味というのは珍しいかもしれない。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」
ジルは素直にそう感想を述べた。母が居なかったジルは、いわゆる家庭らしさというものを味わって来なかったので、こうしてみなでテーブルを囲み食事をすることも含め、レニの家での出来事が貴重なものに思えた。
「あら、お粗末さまでした。お世辞じゃないなら明日も作ってあげるわよ」
顔をほころばせながらアニスが答える。
「お母さまは、普段腕を振るう相手がいなくて寂しい思いをしてるんです。ですから遠慮せずにリクエストしても良いんですよ」
レニが居なくなり、夫も留守がちとなれば、アニスも寂しい思いをしているのだろう。
「嘘などではありません! ぜひ明日もお願いします」
アニスはジルの答えに微笑むと、自らティーポッドにお湯を注ぐ。通常は給仕の使用人がいるものだが、今日は家族水入らずで過ごそうということなのだろう。
「お父さまは何時くらいになるかしら?」
「そうねぇ、今日は出来るだけ早く帰ってくるということだったから、もうすぐではないかしら」
ジルたちは食後の紅茶を飲みながら会話を楽しんでいた。
「アニスさまはレムオンさまといつご一緒になられたのですか?」
もちろん聞いたのはジルだ。これくらいは聞いても失礼にならないだろう。
「……いまから15年前のことよ。ちょうど夫がこの家を継いで、戦争で活躍した時なの。当時夫は伯爵家を継いだものの、いい歳をして妻も許嫁も居なかったのよ。しかも英雄として祭り上げられてしまって、貴族の中で注目されてたの。そんな夫に妻も居ないのでは格好がつかないでしょう? それでクリストバイン家は急いで相手を探したみたいね」
アニスは面白がって話していた。
「もともと私の祖母はクリストバイン家の出身で、私の家はクリストバイン家と関係が深かったの。それでその時まだ結婚していなかった私に話が来たってわけ。一応会ってから返事をすることにしたのだけれど、私の方が一目で夫を好きになってしまってね。すぐに縁談がまとまったの」
「お母さまには、当時許嫁がいたってきいたけど?」
「まあいやね、誰に聞いたの? でも事実なのよ。といっても親同士の形式的なもので、貴族としての爵位も向こうの方が遥かに低かったから特に問題なかったわ」
アニスはいたずらっぽく微笑んだ。
「私は自分の直感を信じて、いま幸せになっているけど、みながそんなに上手くいくわけではないわ。レニも充分注意して選ばないとね」
「お母さま、私はまだルーンカレッジの1年で、まだまだ卒業するまでに時間がかかるのよ。結婚なんて考えられないわ」
レニはさも心外だ、という顔している。
「そうは言ってもねぇ。今もレニには縁談がひっきり無しに来ているのよ。もちろんルーンカレッジに入ってることを理由にして断っているけど」
「今まで通り断ってくれれば良いでしょう?」
アニスはやや真剣な顔になっていた。
「レニ。貴族の家では自分ではどうにもならないこともあるのよ。今はお父さま縁談を断っているけど、状況によっては断れない縁談が来るかもしれないでしょう?」
「……」
レニもいつかは、と覚悟していたことだ。しかし望まぬ男と結婚するくらいなら……。
「奥方さま、旦那さまがご帰宅されました」
3人の会話を遮るように召使いが部屋に入ってきて、レムオンの到着を告げた。
「まあ、思ったより早く帰ってきてくれたみたいね。やっぱり早くレニに会いたかったのねぇ」
アニスが顔をほころばせながら、玄関まで迎えに行く。やはり父を迎えに行くレニに、ジルも玄関までついて行った。
玄関には長身で細身の男が立っていた。
「おお、レニ! 帰ってきたな。一年ぶりかぁ!」
「はい、お父さま! 今日戻りました」
レニは父に抱かれるため、腕の中に飛び込んだ。懐かしい父の匂いだ。
やがてレムオンはレニの体を引き離し、その顔を見つめながら言った。
「どうだ、ルーンカレッジは? 少しは魔法が上達したか?」
「はい。少しづつですが魔法も幾つか覚えました。ここにいるジル先輩のおかげです」
レニは後ろに控えているジルを父に紹介した。
「おお、君が噂の“ジル先輩”か! レニから聞いてるよ」
アニスと同じで、レニの手紙で知っていたらしい。レニは一体どんな風に書いていたのだろう、ジルはそれがちょっと気になった。
「ジルフォニア=アンブローズと申します、閣下。お会いできて大変光栄です」
アニスに対するのとはまた別に、レムオンに対しては敬意を示した。なんと言っても、レムオンはこのシュバルツバルトで最も有名な人物のうちの一人である。
「ははは、ここはレニの家であって、王宮や軍ではないのだから、そのような礼儀は必要ないぞジル君。私もアニスの作ったものを食べながら、ルーンカレッジでの出来事を聞かせてもらいたいな」
それからレニとジルは、カレッジであったことをレムオンに話した。レニとジルの出会い、レニが初めて魔法の詠唱に成功した日の話など。レムオンがとくに面白がったのは、ヴァルハラ祭で2人がベストカップルに選ばれたことだった。
「ははは、レニはジル君との仲が認められて嬉しかったのではないか?」
「もう嫌です、お父さまったら……」
レニは顔を赤くしている。誰も見ても分かるような反応だ。
レムオンやアニスは、親としてレニのことはよく分かっているつもりだ。館に帰ってきてからのレニの態度を見れば、ジルに好意を持っているのは明らかだ。親としてはからかいたくもなるし、ジルとの関係を許して良いものかとも思う。もっとも、まだ14歳のレニのことだ。たとえ恋心を持っているとしても、それが長続きする類のものかは分からない。
レムオンは食後、ジルを自分の書斎へと誘った。レニやアニスを置いて2人で話そうというのである。レニが軽く抗議をすると、レムオンは「男同士の話ってものがあるんだよ」と軽口を叩いたのであった。




