036 ヴァルハラ祭 〜魔法闘技大会3
決勝を前にして、控室にはレニが来ていた。先輩のために最後の応援をしようというのだろう。ジルはレニを隣に座らせて、試合を映すモニターを見つめていた。
Bの決勝は予想通りミアセラが勝ち上がってきた。もう一人は上級クラス5年のアスランである。このアスランという男は一部で有名な学生であった。
一般にルーンカレッジの上級クラスは3年で修了することが多い。優勝な学生ほど早く卒業していくのは言うまでもない。セードルフとミアセラは現在3年で、今年卒業する予定である。したがってアスランの5年というのは、彼があまり優秀でないという印象を与えることになる。
しかし実際の彼は非常に優れた魔術師である。アスランは宮廷魔術師になること、地位や名誉などというものに執着がなく、魔法を極めることに全てをかけている学生である。それゆえいつでも卒業できる資格がありながら、カレッジに在籍し続けている。学生でいる方が、時間を全て魔法の研究に費やすことができると思っているのだろう。
一言で言えば変人であるが、アスランは教員からも一目置かれていた。将来のカレッジの教員候補なのではないか、そんな噂すらある。
そしてジルもアスランには敬意を持っていた。アスランとの魔法談義は、ジルにとって非常に心地よい時間であり、月に何度かアスランの部屋を訪れている。カレッジの学生たちからは変人として遠ざけられ、本人も進んで他人と交わろうとしない性格であったが、どういうものかアスランの方でもジルのことを歓迎している節がある。魔法を極めんとする同好の士として、友情らしきものを感じているのかもしれない。
これはなかなか面白い勝負になりそうだ、ジルはそう思っていた。しかしアスランはこうした人目につく場所に出てくることは嫌いだったはずだ。なにか心境の変化があったのだろうか……。
一方、ミアセラもアスランが大会に出てくるとは思っていなかった。トーナメント表を見た時から、アスランとの勝負になる、そんな確信があった。しかし、ミアセラとて上級クラスで一、二を争う評価を得ているのだ。決して引けをとらないはずだ。そうミアセラは自己を鼓舞していた。
ミアセラは最初から飛ばしていくことに決めた。唱える魔法はファイアーボールである。彼女の計算ではアスランが防御系魔法を使わない限り、ファイヤーボールを2発当てれば勝てるはずであった。
(いくわよ! ジルと決勝で戦うのは私なんだから。貴方はどいてなさい!)
「メルキオール・イシュリーダ・バルトリート・ヘリクス ジス・オルムード・ウルス・ラクサ 火の精霊よ集まりきたれ 我ここに汝が枷を解き放ち 破壊の力となさん!」
ミアセラとアスランの魔法が完成したのはほぼ同時であった。ミアセラの頭上に火球が生まれ、激しい炎をまとわせてアスランへと放たれる。一方アスランの方は……彼の周囲に黒い磁場のようなものが発生し、大気に存在する元素を吸い上げている、そんなエフェクトが見えた。
「あの呪文は、まさかインプロージョン(爆裂)のスペルか!? アスラン、まさか君は……」
ジルが身を乗り出してモニターを凝視する。
「先輩、インプロージョンって……?」
「第四位階の攻撃魔法だ! 高い破壊力を持つ非常に危険な魔法だ。まさかこんな大会で使うなんて」
ジルはミアセラの身を心配する。たとえ結界があるとしても、ただでは済まないかもしれない。
ドゥガァアアアーーーーン!
ミアセラのファイアーボールとアスランのインプロージョンが、正面からぶつかり合う。呪文の威力はインプロージョンの方がはるかに勝る。アスランのインプロージョンは、ファイアーボールを弾き飛ばしてミアセラに襲いかかり大爆発を起こした。
競技場は黒い爆煙がもうもうと広がり、しばらく何も見えなくなっていた。ジルは競技場の中を凝視しているが、ミアセラの姿はなかなか見えない。
となりではレニも、魔法の威力にただただおろどいていた。ジルの魔法といい、上級魔法の威力とはこれほどのものなのか。
時間にして1分ほど経ったであろうか。次第に煙が晴れてきた。
(ミアセラさんは無事か!!)
競技場の端でミアセラが片膝を立てながら座り込んでいた。身にまとった服がところどころ破けているが、身体には大事ないようだった。ジルはホットして、やっと腰を落ち着ける。ディスプレイにはダメージポイント200が表示されていた。アスランの勝利である。
しかしジルにとってはそんなことはどうでも良かった。とにかくミアセラが無事で良かったのが幸いである。
(アスランの奴め……なんて危険な魔法を使うんだ)
だがこれは人事ではない。次にそのアスランと対戦するのは自分である。インプロージョンに対して何か対策を立てなければならないが、正直なところ対抗する術が思いつかない。先に攻撃をあてて、乱戦に持ち込むしか無いだろう。ジルはギリリと唇の端を噛んだ。そんなジルをレニは心配そうに横から見ていた。
次はついに魔法闘技大会の決勝である。最後まで勝ち残った選手として、ジルは競技場に上がらなければならない。
「そろそろ競技場に行くよ。レニは客席の方に戻っていてくれ」
「先輩……」
レニは何といえばよいか分からなかった。大丈夫ですか? などと言えばジルのプライドを傷つけることになるかもしれない。
そんなレニの肩を心配するな、というようにポンポンとたたいてジルは競技場へと歩き出した。
ところが――。
大会の係員が小走りでジルのところに駆け寄ってくる。
「ジル!! 決勝の試合は中止だ。君の優勝だ!」
「――何が起こったんですか!?」
「もう一人のアスランが棄権を申し出たんだ。それで君の優勝が決まった」
あまりのことにジルは驚きを隠せない。アスランは準決勝で負傷でもしたというのか? 何が何やら分からぬまま、ジルは控室の方に戻ることになった。
レニはこの話を聞いて非常に喜んでいた。何よりジルを再び危険な目に合わせないですんだことが嬉しかったのである。
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ジルは大会が終わってから、会場を出ようとしていたアスランをつかまえ事情を聞いた。
「アスラン、どうして棄権したんだ? あのまま決勝をやっていたらきっと君が勝っていたじゃないか」
ジルはアスランを責めるような口調になっていた。自分が勝利を譲られたと思っていたのである。
「ははは、ジル、それは僕を買いかぶり過ぎだよ。棄権したのは別に君のことを思ってのことじゃない。本当に試合を続けられなかったんだ」
「怪我でもしたというのか?」
「いや、魔力切れだよ。恥ずかしいことに、決勝に上るまでに既に大分魔力を使ってしまったんだ。それであのインプロージョンを使っただろう? あれで完全に魔力が切れてしまったのさ」
アスランは大して残念そうでもなく、淡々と理由を話した。
「どうしてだ? ならインプロージョンを使わなければ良かったじゃないか」
「……ジル、君はどうして僕がこの大会に出たと思ってる? 君なら僕がこの手の大会には出ないと知っているだろう?」
「それは僕も不思議に思っていた。ならなぜだ?」
アスランはかすかに笑みを浮かべた。
「実戦でインプロージョンを使うためさ。僕は魔法の訓練はしているが、実戦で使うような機会はなかなかない。これでは魔法の実用という経験を得ることができない。まあこれはカレッジにいつまでも残っていることのデメリットだな。で、この大会は実戦とは違うかもしれないが、僕が体験出来る中では一番実戦に近いだろう? 試合でインプロージョンを使ってみること、それが目的だったのさ」
「呆れたな……。まさかそんなことを考えていたなんて」
「戦うことに恵まれている君からすれば、くだらないと思うかもしれないけど、僕にとっては必要なことだったんだよ」
他人は彼を馬鹿だと思うかもしれない。
――が、ジルはそれを責める気にはなれなかった。アスランがそのような人間であればこそ、ジルは敬意を抱いているからである。
「君はミアセラのところにも行くんだろ? 彼女に宜しく言っておいてくれ。危険な魔法を使ってすまなかったと」
アスランはそう言い残して、去っていった。
アスランに言われた通り、ジルはミアセラに会いに行くつもりだった。本当は先にミアセラに会おうとしたのだが、治療中で会えなかったのである。
ジルはレニやメリッサとともに、競技場にある治療室へと向かった。ミアセラに指導を受けているメリッサも神妙な顔をして心配している。どうやら治療はもう終わったようだ。
治療室のドアを開けると、思ったより元気そうなミアセラがベッドに腰掛けていた。服がところどころ破けているのが、インプロージョンの威力を物語っている……と、ジルの視点が一点に注がれる。ミアセラは上半身裸の状態で、その上から包帯が巻かれていた。包帯の隙間から豊かな胸が見えていた。その視線に気づいたミアセラは……
「ちょ、ちょっとジルさん、出て行ってください!」
「す、すみません」
ジルは慌てて治療室から出る。突然のことで心臓がドキドキとしていた。
しばらくすると、治療室からレニが顔を出してきた。
「先輩……もう入って良いですよ」
レニがやや軽蔑するような目をしていたのは気のせいだろうか。
「さっきは、すみません……」
「もうそれは良いです! 繰り返さないで下さい」
ミアセラは忘れてくれと言っているようだ。
「え、えーと、思ったより元気そうですね。アスランの奴がインプロージョンを使った時は血の気が引きました」
「……そうですね、もし結界がなければ確実に死んでいました。それと私が放ったファイアーボールがインプロージョンの威力を弱めたようです。それがなかったら、いくら結界で弱められるとは言っても、もっとダメージを受けていたでしょうね」
「なるほど。相打ちになったことで助かったということですか……。アスランの奴も危険な魔法を使って済まなかったと言っていました」
「彼に会ったのですね。別に彼に含むところはありません。ジルさんは、アスランと仲が良いのでしょう?」
「……ええ。と言っても魔法のことを良く話すだけですが。魔法で行き詰った時などに、彼と話すとヒントをくれるような気がします」
ジルにとってアスランは貴重な存在であった。こと魔法に関する知識でいえば、カレッジの教員の幾人かよりもアスランの方が頼りになる。
「そんな人ですから、勝負で手を抜くことなど出来ないのでしょう。私もインプロージョンの魔法を初めて目にすることができました。自分の身を持ってですが……」
フフっ、とミアセラが初めて笑った。その姿を見て、ジルはこれなら大丈夫だろうと安心した。
次回第37話「ヴァルハラ祭 〜祭りの後」で第一章「ルーンカレッジ編」が終了します。お楽しみに!




