002 運命の出会い
「では、勝負は2人の争いの元になったフレアでの勝負とします。相手を行動不能としたほうの勝ちよ」
ミアセラがそう決闘の条件について説明した。
フレアとは第2位階の魔法で、詠唱時間が短く威力もあるため、高位の魔術師もよく使う火の元素系魔法である。そもそもこの決闘騒ぎの発端は、ジルがフレアの威力を上げるため詠唱文に手を加えようとしたことに対し、セードルフが強く反発したことにあった。セードルフにとって、ジルは自分が指導する学生であるが、入学して以来自分の言うことを一向に聞こうとしない生意気な後輩であった。
一方で、ジルは魔法をもっと創意工夫することができるものと捉えていた。教科書的な詠唱文を覚えるのは初歩の初歩であり、そこからどう自己流にアレンジするか、それこそが魔法の研究であり、発展につながると考えていたのである。それだけにセードルフとは魔法に対する考え方が全く合わなかった。
ミアセラのみるところ、セードルフは学生代表に選ばれるほどの秀才だが、それゆえ教科書的な決まり事に固執するきらいがあった。二人はジルの入学当初から言い争いが絶えなかったが、ついに一年たって爆発したのだ。
「はじめっ!」
ミアセラの合図でついに決闘が始まる。
二人は同時にフレアの詠唱に入った。この勝負のポイントは、どちらが先に呪文を完成させるかという点にある。ジルの方が詠唱文にかなりのアレンジを加えているため、普通ならセードルフの魔法が先に完成するはずだった。
ところが――
わずかの差だが、ジルの呪文が先に完成した。これは呪文の詠唱速度で、ジルの方が遥かに優れていることを意味していた。10歳の時から毎日魔法の詠唱を一人で訓練し、磨いてきた成果だ。
ジルの父ロデリック=アンブローズは、シュバルツバルト王国の宮廷魔術師だった。ジルは魔法に憧れ、父に教えてくれるようしつこくねだった。根負けしたロデリックは、気が進まないながらも魔法の初歩を教えてくれた。その日からジルは魔法の魅力に取りつかれ、毎日一人で試行錯誤してきたのである。
(ずっとひたすら魔法を磨いてきたのだ。その俺の技術が、表面的な学びしかしてこなかったセードルフに負けるはずがないっ!)
詠唱が終わると、ジルのかざした掌から、大きな火球がセードルフへと放たれた。
「ぐぉおおおおお」
セードルフの体が炎に包まれる。通常のフレアよりも明らかに立ち昇る炎が大きい。ジルの威力を上げたフレアは、通常のものと比べて約1.5倍の威力がある。まともに食らえばただでは済まない。セードルフは両手、両膝を地面につき、もがき苦しんでいた。炎によって呼吸が苦しくなっているはずだ。客観的に見て、誰が見てもこれ以上の戦闘の継続は不可能である。
「勝者、ジル!」
ミアセラが審判役の権限でジルの勝利を宣言した。重傷を負ったセードルフは、同級生の男子が宿舎に連れて帰った。
「やれやれ、ついに決闘までしちゃったわね」
ミアセラがジルに近寄り、そう言葉をかけた。二人は以前からの知り合いである。セードルフと同じ上級クラスであったミアセラは、ジルがセードルフと対立するたび、間に入って仲裁してくれたのだ。
「別に僕が望んだことではないんですけどね」
「いずれこうなるとは思っていたわ。あなたたち、これ以上ないってほど相性が悪かったから。指導生の制度も考えなおす必要があるんじゃないかしら」
ジルは黙ってなにも答えなかった。自分が悪いとは思わないが、先輩であり、曲がりなりにも自分の指導生であったセードルフを傷めつけることになり、後味が悪いことこの上ない。
「あら、ジルの知り合い? 可愛らしいお嬢さんが後ろに居るわよ」
ミアセラの言葉に、ジルも後ろを振り返る。なるほど、ジルと同じ歳くらいの少女がそこに立っていた。黒髪のよく整った顔をした可愛らしい少女である。
「あの、ジルフォニア=アンブローズさんでしょうか?」
少女は若干緊張気味にそうたずねてきた。
「そうだけど、君は?」
「私はレニ=クリストバインと申します。今年入学する新入生で、先輩が私の指導生だと警備の方に教えていただきました。お会いできて光栄です」
「光栄? ……そうか、バイロンさん=警備兵に僕のことを聞いたんだな。彼の話は話半分に聞いた方が良いぞ」
ジルは肩をすくめてみせた。
「改めまして、僕がジルフォニア=アンブローズだ。皆ジルと呼んでいるから君もそうしてくれ。よろしくな」
ジルは気さくにレニに応じた。ここに居るということは、彼女はセードルフとの決闘を見ていたのだろう。だとしたら、自分を怖い人間だと思っているかもしれない。不器用だが、ジルなりに気を使ったわけだ。
「それよりクリストバインと言ったね。君はあのクリストバイン伯のお嬢さんなのか?」
「そうです。父をご存知なんですか?」
「もちろん! レムオン様は僕も尊敬している。そのお嬢さんに会えるなんて、僕の方こそ光栄だよ」
「あの、先輩のアンブローズ家は貴族なのでしょうか? 私、失礼ながら存じあげないのですが」
レニが躊躇いがちにそうたずねた。レニは伯爵家の令嬢である。貴族というものは幼い頃から礼儀作法や貴族社会について厳しく教えこまれる。当然、国内のめぼしい貴族の家については全て知っているのだ。
「ああ、知らないのも当然さ。一応うちは貴族の一員だけど騎士なんだ。名ばかりの貴族だから知らないのも無理は無い」
ジルには何も後ろめたいことはなかったが、レニは若干申し訳無さそうな顔をしていた。というのも「騎士」というのは半貴族とも言うべきもので、最下級の貴族の身分なのだ。大抵の場合、功績を立てたことが認められ、その恩賞として平民が「騎士」を名乗ることが許される。
「僕の父親は宮廷魔術師をしていてね。と言ってもそれほど高い身分ではないのだけど、長年シュバルツバルト王国の宮廷に魔術師として仕えたんだよ。父が引退する時にお情けでもらえたってことじゃないかな」
最下級の貴族とはいえ生活に困ったことはなかった。というよりも、困窮する貴族も多いなかで経済的には相当に恵まれていたのである。
騎士は確かに身分としては低いものの、ある程度裕福な者がその地位につくことが多い。アンブローズ家も宮廷魔術師としての給金と領地からの収入で、金には困っていなかったのだ。
「それで父君の後を継いで魔術師になろうと思われたんですか?」
「いや、そういうわけでもないんだよ。父には親愛の念はある。でも生意気に聞こえるかもしれなけど、魔術師としてはちょっと物足りなくもあるんだ。僕は魔法を極めたいと強く願っているけど、父にはそこまでの情熱がないようなんだ」
魔術師となったからには、全てを捨ててもこの飽くなき興味の対象である魔法に身を捧げるべきだ、ジルはそう考えている。だから宮廷魔術師であった頃から魔法の研究を疎かにしていた父を尊敬出来なかったのだ。
レニは自分の父親に対してそこまで言うジルに驚いた。ジルは自分と一歳違うだけのまだ少年なのだ。
「すまなかった。嫌なことを聞かせてしまったかな。とにかく僕は魔法を探求し、その上で宮廷魔術師になりたいんだ。そう、できれば大魔導師にね」
大魔導師とは魔術師の頂点に君臨する地位である。一口に宮廷魔術師といっても幾つもの階級が存在する。宮廷魔術師の最下級の身分が「魔術師」である。これは一般的な呼称の魔術師と同じなので、少々紛らわしい。「魔術師」はまだ若く能力も低い者がなり、採用される人数も多い。
そして技術と経験を身につけ、集団を取りまとめる力が認められると、指導的な地位の上級魔術師となる。上級魔術師は軍で言えば部隊長のようなものだ。ジルの父ロデリックはこの上級魔術師どまりだった。
さらにその上にあるのが魔導師である。魔導師は国政に参加する資格を得、魔法だけでなく幅広い知識や識見、つまり賢者としての能力が必要とされる。国によっても異なるが、魔導師は各宮廷で5人程度しか存在しない狭き門である。
そして全ての宮廷魔術師の頂点に立つのが大魔導師である。大魔導師は王の傍らにあり、最高顧問として国政に干渉する強い力を持つ。王より強大な力を持つことも少なくなく、国家の盛衰をも左右する存在だ。ジルは14歳にしてその大魔導師を目指そうというのだ。ルーンカレッジに入ったばかりのレニにしてみれば、正直なところ雲をつかむような話である。
「さて、じゃあ指導生としての役目を果たさなきゃな。レニ、宿舎へ送っていくついでにこの学園を案内するよ」
ジルは優しい眼でレニを見つめ、そう提案した。
「ミアセラさん、今日はありがとうございました。いつもお世話になりっぱなしですね。この御礼はいずれまた。今日はこれからレニを宿舎まで送っていきます」
ジルはそう言い残し、レニとともに校舎の方へと歩いて行った。
これがレニと大魔導師ジルフォニア=アンブローズとの初めての出会いであった。後年レニは、この出会いの様子について、昨日のことのように思い出すことが出来たのである。




