021 帝国への使者2
屋敷の中は華美なものはなく、いたって質素と言ってよかった。貧相とまではいかないが、余計な物を置かない主義らしい。兵士から将軍になったエルンスト=シュライヒャーの為人を、そこからうかがい知ることができる。
エルンストは応接間で一行を待っていた。ゼノビアが室内へと入ると、奥の机からエルンストが立ち上がりこちらへ歩み寄ってきた。
「私がエルンスト=シュライヒャーです。わざわざ娘のために遠くから良くおいで下さった」
「いえ、我が国の事件にお嬢様を巻き込んでしまい忸怩たる思いでおります。我が王、そして姫もエルンスト殿に非常に申し訳なく思っており、とくに私が派遣された次第です。お嬢様のことは大変残念です。王国はここに最大限のお悔やみを申し上げます」
「……」
エルンストはやや上を向きながら、感情の爆発に耐えているようであった。
「……王や姫からのご好意、かたじけなく思っています。さあ、どうぞ皆様、ひとまずそちらへお座りください」
ソファーは大人数が座れるようなものではなかったので、ゼノビアとキルクスが座り、ジル、サイファー、ガストンはその後ろに立って控えることにする。
「あれも未熟とはいえ武人として生きることを誓った身。命を危険にさらすことも覚悟していたでしょう。王や姫をお恨みするようなことはございません」
本心かはともかくとして、エルンストはゼノビアに対してそう答えた。親が子を思う気持ちを考えれば、今のが必ずしも本心とは限らないかもしれない。ゼノビアは知らないことだが、レミアの告白を聞いたジルやサイファーはエルンストが息子と娘を短い間に続けて失ったことを知っている。その心情を推し量るなら、胸が引き裂かれる思いなのではないか。
「ルーンカレッジに残されていたレミア殿の遺品を持って参りました。彼らがカレッジの友人であり、今回の件でレミア殿とともに巻き込まれた者たちです。レミア殿の御最期については彼らにお聞きください。ジル」
ゼノビアに促されジルが前に進み出る。3人の中では一番弁が立つので、大抵ジルが指名されるようになってきている。
「ジルフォニア=アンブローズと申します、閣下。こちらはサイファー、そして彼がガストンです。我々はルーンカレッジの軍事演習に参加するため、演習場所を目指していました。ところがその途中、シュバルツバルト王国のアルネラ姫の誘拐事件に偶然遭遇し、姫を追ってきた敵と戦闘になりました。レミアさんは勇敢に戦い数人の敵を倒しましたが、最後は敵の指揮官らしき男に倒されました……。今でも思い出すと胸が痛む思いです」
「そうか、君たちがな……。君たちは娘の良き友人だったのであろう。こうして娘のために、わざわざ帝国まで来てくれたことからもそれは分かる。娘と仲良くしてくれてありがとう」
遺品の木箱をジルから受け取って、エルンストは感極まったように眼から涙を溢れさせた。
「……失礼。私も長い間戦場を駆け抜けて大抵の事には動じないはずのですが、歳を取って涙もろくなってしまったようです。お笑いください」
「……」
ジルやサイファーはそれぞれの思いもあって、もらい泣きしてしまう。ガストンも鎮痛な表情になっている。
「そうか、娘は勇敢に戦ったか……。戦士として立派な最期だったのだろう」
「はい、お嬢様のおかげで我々は命を保つことができました」
実際にはレミアに命を救われたわけではないが、このような場合多少の脚色は罪のない嘘である。
「誰かはまだ分かりませんが、お嬢様を殺した敵は恐るべき手練でした。ここにいるガストンも私も、あの傷の男に殺される寸前のところで助かったのです」
エルンストの顔がピクリと反応した。
「傷の男?」
「そうです。頬に三日月形の傷を持つ男です。敵の一団の指揮官のようでした」
「……」
エルンストは何やら考えこみ、押し黙った。その様子をキルクスが見つめている。サイファーはさらにそれを後ろから注視していた。
「エルンスト殿はお嬢様を亡くされ、気を落とされているご様子。目的はこれで果たされたでしょうから、我々はもう引き取ってはいかがでしょうか?」
キルクスがゼノビアに提案する。一見もっともな提案であるが、彼の立場を考えれば余計な干渉にも映る。キルクスには何か思惑があるのかもしれない。ただ帝国から正式に派遣された案内人であるだけに、その提案を拒否するのも角が立つ。ここは自国ではないのだから、従っておくほうが無難である。
「分かりました。我々はこれで御暇することにしましょう。エルンスト殿、改めてレミア殿のことお悔やみ申し上げます。王国は姫が救われたことを決して忘れません。お嬢様のことで何かご要望がありましたら、私までお知らせください」
ゼノビアが最後に丁重に礼をする。
「これはご丁寧に……。わざわざありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
一行はシュライヒャー邸を出て、再びベルン砦へ戻る。王国の使者が、帝国で予定にない行動をとることはできない。必要最小限の場所にしか行くことは許されないのである。砦につくとキルクスが御役御免ということで、一行に別れを告げた。
ジルたちは無事に砦の関所を通過し、王国側のランスへと帰ってきた。帝国側にいた時は、不測の事態に備え緊張を強いられてきたので、王国側に入るとやはりホッとする。ゼノビアも使者の役目を果たせたことで、責任から開放された様子である。
ゼノビアの後ろで馬を歩かせていたサイファーは、隣を行くジルに問いかけた。
「ジル、エルンスト殿の反応どう思った?」
「傷の男のことを聞いてから態度が変わったことか?」
「そうだ、やはり気づいていたか。単に悲しんでいただけにも見えるが、あれは普通じゃない反応だった」
「エルンスト殿が男のことを何か知っていると?」
「ああ」
「ただそれにしては反応が弱い気もするな。思い当たる男はいるが事件に関わっているのが信じがたい、あるいははっきりしたことは全く分からない、そんなところだろうか?」
「そんなところかもな。いずれにせよ、エルンスト殿に心当たりがあるということは、エルンスト殿と敵対する人間か、或いはいま現在の味方か……帝国の人間だろうか」
ジルはしばし考えこむ。
「まだそうとは限らないだろうな。ただレミアさんが事件に巻き込まれたのは偶然のはずだ。エルンスト殿の事情が事件と関係があるとは思えないな」
「それもそうか。しかしいままで全く敵の情報がなかったんだ。エルンスト殿の線で何か分かれば一歩前進ではないか?」
「サイファー、それは楽観的だろう。エルンスト殿がそれを我々に教えてくれるだろうか。たとえ彼にその意思があったとしても、王国と帝国には物理的な距離以上の隔たりがあるのだから」
サイファーはジルの言葉にうなづきながら、話題をかえる。
「それとキルクスのことも気になる。奴はエルンスト殿の表情をしきりに気にしていた。会談を終わらせたのも露骨だったしな」
「ひょっとして帝国は、何らかの理由でエルンスト殿を監視しているのかもしれない。帝国では軍の重鎮のはずだが、あの方の置かれている状況について知る必要があるな」
レミアのため、誘拐事件の真相を調べる。そう誓ったジルであったが、今回の件でそのきっかけがつかめたかもしれない。
一行は長途ロゴスへと到着した。帰りは途中で泊まることなく、王都へと帰ってきたのである。ジル、サイファー、ガストンには、王室が王宮の中に部屋を用意してくれていた。3人には侍女が一人づつついて、用をうかがうようになっていた。
「明日はみなさまを歓迎する晩餐会が催されます。それまではどうぞ旅の疲れを癒やされますよう」
若い侍女がジルにそう案内する。晩餐会は明日の夜6時から開かれるらしい。アルネラを救ったジルたちに対する感謝と、弔問団の労をねぎらう意味があるとのことだ。
晩餐会には身分の高い貴族も大勢やってくる事だろう。貴族とはそのような晩餐会を開き、参加することが仕事のようなものだ。彼らはそうして宮中の情報を交換し、人脈を作り、時にはその場で政治の実質的な決定をなす。宮廷とは伏魔殿のようなところだ。
ジルにとっては正直気が重いことであったが、地位を上りつめるためには、このような事も無難にこなさなくてはならない。高位の貴族とは関係を持っておいて損はないのだ。
(とにかく、今日はさすがに疲れた……。考えることは多いとしても、今日ぐらいはもう何も起こるまい)
ジルはベッドに横たわると、すぐに意識が眠りへと沈んでいった。




