020 帝国への使者1
レミアの実家、帝国のシュライヒャー家は武門の家として名高い。だが代々の名門というわけではない。レミアの父エルンスト=シュライヒャーは、兵士からの叩き上げで将軍にまでなった帝国でも異数の人物である。
神聖グラン帝国は現存する国家の中では最古の国家であり、古代にはこの大陸全体を統一していたこともある。その後シュバルツバルト=バルダニア王国が独立し、両国との戦いで次第に領土が縮小していった。
帝国は古き伝統があるがゆえに、貴族を中心とした身分制が政治や軍事を強く規制していた。無能な貴族が戦を指揮し、有能でも身分のない者は力を発揮することができなかった。その辺りに帝国が衰退していった理由があったのだろう。帝国は緩やかな滅びの道を歩んでいる、それは帝国も含めて多くの人間が共有する事実であった。
ところが、ここに一人の傑物が登場する。先々代の皇帝レオニッツ4世である。レオニッツ4世は優れた統治感覚を持ち、帝国を再び繁栄へと導いたことで「帝国中興の祖」と称された。
彼は古き帝国の制度を改革し、多くの新たな制度を確立した。例えば、従来平民が軍でつくことができるのは最高でも下級指揮官止まりであったが、彼の改革によって、優れた功績さえあげれば平民でも制限なしに出世できるようになったのである。
当然これには旧習に慣れた貴族層から強い反発を招いたが、レオニッツ4世は時に反対派の貴族を弾圧して取り潰し、時に懐柔するなどして巧みに貴族たちを自分の改革に従わせていった。レミアの父エルンスト=シュライヒャーは類まれな才能をもった軍人であったが、この改革がなければ、部隊長になるぐらいがせいぜいであったろう。
そしてレオニッツ4世の改革は、皇族にも及んだ。無能な君主=皇帝が即位すれば、帝国全体を衰退させる。レオニッツ4世はそれを憂いていた。彼には5人の息子たちがいたが、すぐには後継者や継承順位を定めなかった。
彼は息子たちが成人するまでの言行をつぶさに観察し、息子たちの才と性格、そして家臣からの評判を細かく評価した。そして最終的に後継者を定めると、それを紙にかいて封印し保管したのである。彼が死んだ後、その封が解かれて初めて後継者が分かるという仕組みである。
一度定めた後継者は、その後の息子たちの行状によって変更されることもある。レオニッツ4世の判断しだいで封印書の名前が書き換えられる可能性があるのである。それゆえ、彼の息子たちは長い間極度の緊張を強いられた。皇帝の息子という権力者ではあったが、優れた才能を示し、家臣からの信望が厚くなければ、後継者となることはできず、父の死後に冷や飯を食うことになりかねない。
それだけならまだ良いが、後継者争いに勝利した者は、往々にして競争相手であった兄弟を抹殺するのが常である。息子たちは、時に意にそぐわぬとしても家臣たちの歓心を買うようなことまでしなければならなかった。レオニッツ4世の考えでは、それぐらいのことに耐えられない者は、この斜陽の帝国を率いることなどできないのである。
そして現皇帝ヴァルナードは、このような熾烈な後継者争いに勝利して皇帝に即位した。先代皇帝が比較的若く死んだため、ヴァルナードが即位したのは22才の時であった。彼には2人の兄と3人の弟がいたが、有力な貴族を味方につけ、家臣の評判を高めることに意を使い、優秀な兄を罠に陥れ皇帝の座を射止めたのである。
ヴァルナードは若くして強力な指導力を発揮し、レオニッツ4世の再来と称されていた。いずれ彼の名を受け継ぐ子孫が現れ、ヴァルナード1世と称されることになるだろう。
ジルたちが向かう帝国とはそんな国であった。シュバルツバルトはもともと帝国から独立したため、関係は良くないはずであった。ところがともに独立したバルダニアとの対立が生じ、二つの国家に分裂したことから、むしろシュバルツバルト・バルダニア間の関係の方が悪化している。帝国との関係は友好的とは言えないまでも、相対的に悪くはなかったのである。
レミアの実家シュライヒャー家は、シュバルツバルトとの国境近くを領地としている。小競り合いが起こる国境地帯にこの有能な軍人を領主として封じたのは、先代の皇帝であった。これはなかなかに人事の妙と言えるだろう。
さて、シュライヒャー家の領地まで行くためには、国境を通過して帝国領を行かねばならない。当然それには、事前に帝国に許可を得る必要がある。シュバルツバルトは皇帝ヴァルナードに信書を送り、弔問団派遣の許可を申請した。
これはとくに害のあることではないから許可された。その上で、シュバルツバルトはシュライヒャー家に使者を送り、弔問団を派遣する許可をとったのである。
レミアの遺品は女子用宿舎にあったため、任務とはいえジルたちが立ち入るわけにはいかない。遺品は、ルームメイトが整理して木箱に入れ、ジルたちに引き渡された。レミアはそれほど物持ちのいい方ではないらしく、遺品は木箱一箱に収まった。遺品の木箱を前にして、3人は厳粛な気持ちにならざるを得ない。どうしても彼女の死を再認識させられることになったからである。
王宮に行った時とは違い、ジルたちは正装を荷物の中に入れ武器と防具を装備する。何か不測の事態が起こらないとも限らない。シュライヒャー家に到着する直前まで正装を着用することはないだろう。すでに戦いを経験したジルとガストンは、準備を念入りに行った。何が生死を分けるか分からないことを、身をもって知ったからである。
3人は迎えに来た王室の馬車に乗り、王宮へと向かう。前回は客人として招かれてのことであったが、今回は形式的にせよシュバルツバルトの人間として任務につくことになる。ゼノビアの態度もこれまでほどは甘くないだろう。ジルたちは、自然に身が引き締まる思いであった。
王宮へ着くと、すでにゼノビアが弔問団の一行をまとめて出発の準備を整えていた。ジルたちはその一行に加わり帝国を目指す。弔問団はゼノビア、ジル、ガストン、サイファーに加え、ゼノビアの部下の近衛騎士が2名、そして護衛の騎士が4名という構成であった。もちろん全員馬に騎乗している。ジルとガストンは一応馬に乗ることはできるが、普段乗り慣れていないのでいささか危なっかしい。
シュバルツバルト王国から帝国へと向かうには幾つかのルートがある。今回は両国が外交を行うときに通常使うルートを通る。つまりロゴスから国境の街ランスまで出て、河を渡り帝国側の砦ベルンを通過するルートである。
帝国との東部国境にはアム河が流れ天然の国境を形成している。王国と帝国はランスからベルンまでの間に橋を架け、互いに国境の出入りを管理・警備している。アム河はかなり河幅が広く、水深も深いため、橋を通らずに渡るのは困難である。
一行はその日のうちにランスに到着すると、ランスの行政庁の中に部屋を用意してもらい一夜を明かした。むろんランスに到着するとすぐにベルンへ使者を送り、翌日訪れる旨を通告してある。
ジルは帝国へ行くのは初めてであった。本を読んで知識として知っていることは多かったが、実際にこの目で見たわけではない。こんな機会でもなければ、なかなか訪れる機会はなかったであろう。
帝国の歴史ある都ドルドレイの古からの街並みはどんなだろうか、レミアの兄が亡くなる原因を作った「魔獣の森」には何が生息しているのか、興味は尽きなかった。不謹慎かもしれないが、ジルは自分がやや興奮しているのを自覚していた。
そして翌日。よく晴れた爽やかな日であった。弔問団はランスを出て、帝国側へ架かる橋を進んだ。すると向こう側に厳重に防備が固められた関所が見えてくる。これが帝国側の砦、ベルンである。先頭を行くゼノビアの部下が大声で来訪の目的を伝える。するとガラガラガラ、と大きな音とともに砦の門が開かれていった。
「ようこそおいでくださいました。御役目ご苦労さまです」
そう出迎えた男は、爽やかな笑顔の裏でひとクセありそうな人物であった。
「申し遅れました、私は帝国宮廷から派遣されましたキルクスと申します。こたび帝国側領土において皆様の案内役を務めることになりました。どうぞなにかご不明な点などがございましたら何なりとお聞きください」
「ご好意いたみいる。我々は帝国領内の事は何も分からぬ身、シュライヒャー領までの道中ご案内宜しくお願いいたす」
ゼノビアが丁重に協力を要請する。
「分かりました。すべてこの私にお任せください」
一行はベルンを抜け、帝国領内へと入る。キルクスはゼノビアの隣で何かと帝国の状況について話をしている。ただし本当に重要な事は当然言わないはずだ。
「あの男のことどう思う?」
サイファーがジルにたずねる。
「案内役と言っているが、監視役というところだろうな」
「………」
「帝国としても我々がスパイ活動をしないという保証はないわけだから、監視役をつけるというのは理解できる話だ」
他国の使節が自国領を通過するとなれば、どうぞ御勝手にというわけにはいかないのが普通である。
「それだけだと良いのだがな」
サイファーはもうその可能性については考慮していたようだ。その上でなお気がかりがあるというのだろう。
「どういう意味だ?」
「何か他に目的があるのではないか、ということさ」
「監視役の他にか? まさか我々を襲撃するということはないだろうに」
そのようなことになれば帝国とのシュバルツバルトとの戦争になる。現状では帝国がそんな態度に出るとは考えにくい。
「監視役と言っても何を監視するのか、その目的は我々が考えていることとは違うかもしれないぞ」
「……」
「まあ考えても分からないだろう。だがあのキルクスという男はこちらも目を離さないようにしておかないとな。何を考えているか分からん男だ」
サイファーはキルクスをかなり警戒しているようだ。
道は次第に緑の多い美しい景色になっていく。視界の先に綺麗な水をたたえた湖があり、緑との対比が美しい。
「ここからがシュライヒャー家の領地になります。エルンスト殿の邸宅は、ここからあと1時間ほどした所にありますからそう遠くありません」
キルクスがゼノビアに説明している。
シュライヒャー邸は、一般的な貴族の邸宅であった。領民が住む地域とは少し離れた、小高い場所に大きく壮麗な屋敷が建っている。馬車が来ることは事前に使者で知らせてある。屋敷の前に到着する時には、初老の執事が召使の女性たちを引き連れて出迎えの準備を済ませていた。
「ようこそ、遠くからいらっしゃました。私はこの屋敷の執事を務めるハンスと申します。ご滞在の間精一杯勤めさせていただきます。主は屋敷でお待ちしております。どうぞこちらへ」
ゼノビアを先頭に、隣にキルクス、その左右を近衛騎士が固め、その後からジル、サイファー、ガストンが続いて屋敷へと入った。




