139 第二次リングガウの戦い2
「やはりここか……」
帝国軍の旗「双頭の鷲」を遠目に見て、ジルはとくに感慨もなくそうつぶやいた。シュバルツバルト軍と帝国軍は、アルスフェルトの手前にあるリングガウ平野でにらみ合い状態になっていた。両軍がここで激突するのはこれで二回目である。
リングガウが戦いの舞台となることは、事前に予想されていた。王国の進攻ルートからして、帝国がそれを迎え撃つのに都合の良い場所はそう多くはない。
一度目はアムネシア軍が勝利をおさめたのであるから、王国にとって決して不吉な場所ではないはずである。だが、ジルやアムネシアの表情は固い。それは帝国軍がこの戦いに総力をあげてくることが分かっていたからである。
一方、王国とて本国に残された戦力は決して多くない。もしこの戦いに敗れ、兵や将の多くを失うことになれば、帝国や両者の戦いを模様眺めしているバルダニアに攻め込まれることになりかねない。決して負けることが許されない戦いであった。
「あの軍旗は双頭の鷲、どうやら皇帝自らお出ましのようね」
アムネシアの視線の先には、金で縁取られた2つの頭を持つ鷲の紋様があった。帝国の皇帝が代々用いてきた皇帝旗であり、つまりは皇帝ヴァルナードの親征を意味していた。
「そのようですね。敵の士気が一段や二段高いことを想定しなければなりません」
ジルにとって皇帝が自ら出陣してきたことは意外ではなかった。名君と噂さされるヴァルナードであれば、この戦いの重要性は良く分かっているはずである。よもや戦に怖気づいたりはしまい。
「おいおいおい! 帝国軍の先頭を見てくれ。黒地にクロスした剣の旗、あれはガイスハルトの軍旗だぜ」
嬉しそうにバレスが指差す方を見ると、確かに「死神」ガイスハルトの旗が翻っていた。この三人とは縁の浅からぬ敵である。結果として勝てたとはいえ、ジルは殺される寸前のところであったし、バレスは一騎打ちを邪魔されて倒せなかった相手である。アムネシア軍の先陣を務めるようになって以来、「死神」バレスが倒せなかった相手など片手の指に余るのだ。
「やはり帝国軍も総力をあげてきたとみえる。一番の名将に先陣を切らせ、主導権をつかむつもりのようね」
アムネシアは腕組みをして、一層険しい顔を作っていた。その横顔を見て、ジルは美しいと思っていた。アムネシアの美しさはやはり戦場でこそ最も輝く。そんなことを考えているジルは、戦いを重ね、自分が図太くなっていることに気がついた。
「大丈夫です。俺が奴を倒しますよ」
バレスが舌舐めずりをしながら、アムネシアに応えた。
「簡単に言うけど、あの『死神』よ? いくらお前でも簡単には勝てない相手だわ」
「そりゃ簡単にはいかないでしょう。俺も死力を尽くさねば倒せない。この戦いはそういう戦いだ」
バレスの眼が挑戦的に光り、その表情には強い決意が見られた。
バレスが戦いを軽く見ているのならたしなめよう、アムネシアはそう思っていたが、どうやらその心配はないようだった。バレスはバレスなりに、この戦いの厳しさを感じているのだ。
「それよりジル殿下。君は戦がやばくなったら逃げるんだぜ。俺たちはここで負けてもまだ次はある。殿下には本国に戻って再戦をしてもらわなきゃならないんだからな」
バレスの忠告にアムネシアも頷いた。彼らは最悪の場合、自分の命を捨ててジルの退路を確保するつもりでいた。本国には兵はいても、指揮官は不足している。まして全軍をまとめることが出来るのは実質ジルしかいないのだ。
もしジルが居なくなれば、国王アルネラは軍を率いることが出来ず、ブライスデイル侯やヘルマン伯が代わりをつとめたとして、もう一方からの支持を得ることは出来ないだろう。王国軍を一つにまとめるためにも、王族のジルは死んではならないのだ。
そのことはジルもよく自覚していた。心情では二人を見殺しになど出来ないが、王族として、そして総指揮官としての義務というものがあった。
「アルメイダ、もしもの時はジルを頼んだわよ」
アムネシアの短い言葉には重い響きが含まれていた。
「お任せあれ。我が主君クリスティーヌ様の名にかけて、命に替えてもお守りしよう」
王国一の強者・アルメイダの言葉には彼女たちを安心させるものがあった。
「サイファーや秘書のアルトリアも一騎当千の騎士です。必ずや彼らが守ってくれるでしょう」
ジルは側近たちをそう評した。彼らが活躍するような状況は想定したくはないが、アルメイダも含め十分に頼りがいのある護衛であった。
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ジルの視線の先に、アタナトイがあげた砂埃が見える。その規模の大きさが、騎馬隊の数と突撃の勢いをうかがわせる。その向かう先は帝国軍の先頭部隊である。
いつものように、アタナトイの先頭にはバレスがいた。急速に近づいてくる帝国軍の重装騎兵の姿が眼に入っていた。そしてその中に旧知の人間の姿を認める。すなわち帝国の大将軍「死神」のガイスハルト。シュバルツバルト・帝国双方とも、先陣を最も強力な将に任せていた。先陣の戦いのゆくえによって、戦い全体の帰趨が左右されかねないからだ。
「ふぉおおおおおおおおお!!」
いつもそうしているように、バレスは知らずのうちに雄叫びをあげていた。気分が高揚しているのが自分でも理解できる。全身の血が沸騰するような感覚。バレスは大剣を頭上に掲げ、先頭を走る帝国の騎士に振り下ろした。