130 処女王の戴冠
その日は清々しく晴れた日だった。シュバルツバルト王宮に人の行列ができ、王国内の貴族という貴族、官僚たちがみな王宮へと伺候していた。
シュバルツバルト王宮の戴冠の間は、戴冠式行うためだけに存在し、歴代の国王が即位式を行ってきた。先代の王ギョーム6世の病死によって、弟ルヴィエとの王位継承争いが起こる前に、アルネラが次代の王位をルヴィエ派に譲ることを約束し、内乱を回避することができた。
そして今日、シュバルツバルト王国第19代国王として、アルネラの戴冠式が行われる。彼女の即位により、王子ジルフォニアはもはや王子ではなくなり、王弟にして公爵の身分を授かることになっていた。王弟殿下、あるいはジルフォニア公と呼ばれることになるだろう。彼自身の環境も大きく変わるが、今日の主役ほどではない。
ジルは戴冠式の準備をするアルネラの私室へ入っていった。今まさに侍女たちによってドレスの着付けが終わり、化粧が施されているところであった。ジルからはアルネラの後ろ姿が見えていた。
「姉上、準備は順調ですか?」
「ジル? ええ、もうすぐ終わるところです。あなたはどうなのです? エスコートをお願いしているのですから、ちゃんとしてくれないと困りますよ」
表情は見えなかったが、きっと悪戯っぽい笑みを浮かべているに違いない。ジルも今日の戴冠式では、アルネラの側に付き従うという大役を負っていた。他ならぬアルネラ直々の指名によるものである。
「まあ!? ジル、素敵ですね。礼服が映えるわ」
準備が終わったアルネラが後ろを振り返った。青年となり、体格も良くなってきたジルは、以前より威厳を感じさせるようになっていた。一方、ジルからすれば、豪華なドレスを身にまとったアルネラは、美しさが一層際立っていた。我が姉ながら結婚しないというのは勿体無いことだ、ジルはその姿を見ながらそう思っていた。
「今日はあなたの婚約者も来てくれるのでしょう?」
「当然です。彼女はクリストバイン伯爵家の当主なのですから」
レニは、父レムオンが死んだ後、正式にクリストバイン家の家督を継いだ。まだ後を継いだばかりで慌ただしい状況であるが、王国の名門貴族として戴冠式に参列しないわけにはいかない。今日、戴冠の間の中でもかなり良い場所で式を見ることになるだろう。
「お二人とも、準備はお済みでしょうか? 戴冠の間では諸卿がすでにお待ちです」
ゼノビアが催促にやってきた。彼女は近衛騎士団の副団長として、二人の警護をすることになっている。これは地位もさることながら、彼女がアルネラをずっと警護してきた経緯もあるのだろう。団長のルーファスは戴冠の間で部下を配置し、警備計画の全責任を負っている。
「準備は出来ましたが、少しジルと二人にしてください。すぐに行きますから」
「……分かりました。私は部屋の外でお待ちしております」
アルネラに微笑みを向けられたゼノビアは、若干考えた後その言葉に従った。今日は王国で最も重要な式典が行われる日にして、アルネラの人生の大きな転機となる日である。王ともなれば、これまでとは全く環境が変わってくる。何か二人で話したいことでもあるのだろう、ゼノビアはそう配慮したのだ。
部屋を出て行くゼノビアの背を見ながら、アルネラはジルに語りかけた。
「ちょっと彼女には悪いことをしましたが、王となる前に姉弟だけで話をしたかったのです。今日はずっと周りに人が居ましたから」
戴冠式の前の話だ、内々で何か重大な話があるに違いない。ジルは神妙な顔でアルネラの言葉を待った。
「今やあなたは私の補佐役として知らぬ者はおりません。私が王となれば、あなたも自然宰相の地位となります。宜しいのですか? 楽な道ではありませんよ」
アルネラは微笑を浮かべていたが、内容は真剣なものであった。
「いまさら何を仰るのです? 姉上を王とするため、また王となられた後はその治世を守るため、とうに身を捧げる覚悟をしております」
「ふふふ。そう言ってくれると思っていましたが、一応念のためです」
アルネラはジルに近づき、その手をとった。そして親愛の情を示すように、そっと身体を抱きしめた。
「あなただけには正直に言いましょう。これも私の天命と思い王となることを決意しましたが、これからの責任を思うと身が震えてくるのです。私には頼れる人が多くありません。ジル、あなたは側で私を支えてくださいね」
「必ず。あなたに王となるよう強いる形になってしまったのは、私にも責任があります。少し前までは、私も自分が王家の人間であるとは思いもしませんでした。それがこのような立場になるとは、これも天命なのでしょう。私も自分のなすべき責任を果たすつもりです。決して姉上を見捨てはしません」
いつも優しい微笑みを浮かべているアルネラ。ジルは彼女の様子を見て泰然としたものだと思っていたが、その実内心では強いプレッシャーと戦っていたのだ。内外の情勢が難しいなかで王となるのだ、無理も無いことだろう。
ジルはアルネラの背を優しくポンっと叩くと、その身体をそっと引き離した。
「さあ、そろそろ参りましょう。戴冠の間では皆があなたを待っているでしょう。きっと一生忘れられない式になります」
ジルはアルネラをエスコートし、ゼノビアの待つ部屋の外へと出て行く。
生涯未婚を守ったことから、後世「処女王」とも呼ばれた女王アルネラ。その戴冠式がいま行われようとしていた。
第四章完
これで第四章も完となりました。長くお付き合いいただいていますが、次章で完結となる予定です。第五章が始まるまで、また少々お待ちいただくことになりますが、どうぞ最後までお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




