126 悪魔再来
「シュライヒャー領の戦い」でレムオンを破った後、帝国軍は二週間ほど現地に駐留した後、アムネシアが守備するフリギアへと向かった。帝国軍にとってはガイスハルトが占領して以来、二度目の進攻であった。そのため、帝国軍は攻略の仕方を熟知していることが予想された。
「しかし、なぜすぐにこちらへ向かって来なかったの。レムオン殿を破った後、そのままフリギアへ攻めてくれば、準備が不十分な我らを攻めるのは容易だったろうに」
城壁の外に待機する帝国軍を眼下に眺めながら、アムネシアは疑問を口にした。日頃フリギアの防衛を怠ったことなどないが、レムオンが敗れてからは更に防衛に力をいれ、万全の備えをなすことが出来た。
「そうですなぁ」
相槌を打ったのは、副官のバレスである。アムネシアはバレスの方をチラと見たが、もとよりバレスに参謀の役目は期待していない。戦場では勇猛なことこの上ないが、謀などを相談出来る人間ではない。
「ひょっとしたら、例の召喚魔術と何か関わりがあるのかもしれませんね」
そう意見を提起したのは、ジルである。帝国軍がフリギアに迫っていると聞き、アムネシアに無理に頼んでここまで来たのだ。目的はレムオンを倒したという召喚魔術をこの眼で見ることである。対策を立てるにしても、魔法の詳細が分からないのではどうしようもないからである。
「王子、何か根拠がおありなのですか?」
アムネシアがジルの方に向き直った。以前二人は上官と部下の関係にあった。むろん司令官たるアムネシアが上官で、上級魔術師のジルは部下だった。だが、以前は部下であったとしても、いまやジルは彼女を越えた存在になっていた。
「アムネシアさん、この三人でいる時は改まった話し方をやめていただけると助かります。私はいまでも、この第二方面軍にいた時のことを良い思い出だと思っているのですから」
「それはこちらも望むところだわ」
アムネシアだけでなく、バレスも頷いた。ジルは二人のことが好きだが、二人の方でもジルに好感を持っているのだ。
「それで、召喚魔法と関係があるというのは何か根拠があるのかな?」
バレスが話を元に戻した。
「レムオン殿の軍を打ち破ることが出来たのは、どうやらその魔法の力が大きいようです。そこまで強大な魔法であれば、すぐにこのフリギアも落とせたはず。それをしなかったというのは」
「いうのは?」
バレスのオウム返しの問いに対して、ジルはやや間をとった。
「これは私の推測にすぎないのですが、かの魔法が強大であるからこそ、進攻に時間を要したのではないかと思うのです。つまり、あの魔法はそう連続で使えるようなものではなく、次に使うまでにそれなりの準備が必要なのではないかと」
「あり得ることね。このフリギアの防衛には役に立たないだろうけど」
腕を組みながら、アムネシアが難しい顔になる。
ジルの推測が当っているとして、それを考慮に入れて戦略が立てられるのはこの戦いの後になるだろう。防衛責任者のアムネシアとすれば、まずフリギアを守ることこそが最優先である。だが、アルネラの参謀たるジルとしては、その先の王国対帝国の全体的な戦いに思いを致さないわけにはいかない。
王国はいまだ敵の魔法について対策を立てられていない。帝国軍がフリギアの攻略に「悪魔」を使ってくれば、かなりの高い確立で敗北することになるだろう。したがって、重臣会議の決定により、最悪の場合フリギアは放棄しても構わないことになっていた。
「クリフ氏やガストン殿には撤退のことは話した?」
「ええ、すでに」
「素直に従った?」
アムネシアはフリギア市長のクリフの顔を思い浮かべた。フリギアを解放してから、防衛司令官として都市のことはずっと彼と図ってきたが、交渉相手としてなかなかに手強い相手だった。レジスタンスを率いていたリーダーである。強い信念を持っているのも当然だ。
「帝国がフリギアを再占領したとしても、住民を無闇に殺すことはないでしょうが、レジスタンスのリーダーであったクリフさんやガストンを生かしておくとは思えません。彼らもそれは分かっているでしょう」
クリフやガストンを説得するのは難しいことではなかった。彼らにはフリギアを死守して死ぬという発想はなかった。ここで死んだとしても、未来に希望などないのだ。今頃彼らも撤退の準備をしているはずである。
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「フリギアの様子はどうだ?」
フリギアの高い城壁を見ながら、皇帝ヴァルナードがザービアックに問うた。
「我々の進攻が伝わっていると見えて、相当な防備を整えているようですな。ご苦労なことです」
ザービアックが皮肉げな笑みを浮かべた。いかに通常の防備を強化したとしても、いまや「悪魔」を使える帝国の進攻を食い止めることはできないのだ。
「あの高い壁は、普通の方法ではなかなか攻略できるものではありません。前回我々が放棄することになったのも、都市の内部から城門を開けられたことが原因です」
「ああ、ガイスハルトが守っていたのだったな。彼には損な役を与えてしまった」
「帝国の死神」と名高いガイスハルトは、命令に従ったとはいえ、形としては負け戦をすることになってしまった。彼の名誉を少なからず傷つけることになってしまったかもしれない。
「将軍は御自分の任務を重々分かっていらっしゃいます。気になさることはございません」
ヴァルナードはザービアックの言葉に頷いた。
「しかし奴ら、我々がフリギアに進攻した本当の目的に気づいてないのだろうな。なぜ容易く放棄したかも」
「それはそうでしょう。我々が欲していたのが、ガスパールの召喚に必要な呪文書だったとはまさか思いますまい」
前回帝国がフリギアを占領したのは、都市の攻略が目的ではなかったのだ。ヴァルナードが密かに研究していたガスパールの召喚に、ルーンカレッジの地下書庫にある呪文書が絶対に必要だと分かったからである。
フリギアを統治していたガイスハルトには、攻められた場合無理に守る必要はないと指示を与えていた。それゆえ、彼はあまり抵抗することなく撤退したのである。
「さて、それではフリギアに攻めかかりましょう。私はこれから召喚の準備に入ります。陛下は将軍たちに攻撃の準備をさせてください」
そう言い残してザービアックが去ってから20分後、フリギアの城壁の内部にあの「悪魔」が姿を現した。




