124 「過去の英雄」
後ろには巨大な化物、前面と周囲を帝国軍本軍に囲まれている状況で、アレクセイはレムオンの救援に向かうため重大な決断をした。
いかなる犠牲を払おうとも突破口を切り開き、レムオンの元へと駆けつけることである。シュバルツバルト軍一万のうち、アレクセイが率いる先頭部隊はおよそ3000。下手をすれば、その3000の部隊が全滅するかもしれない危険な賭けであった。
だが、アレクセイにとってレムオンの生こそが最も優先されるべきものだった。自分や兵たちの替えはいくらでもきくが、レムオンはそうではない。実力はもちろんのこと、その実績によってレムオンの常勝無敗は神話のように人々に信じこまれ、シュバルツバルトにおいては精神的な拠り所にもなっているのである。
「なんとしても血路を開き、レムオン様の元へ帰還するぞ!」
アレクセイ自身が先頭にたち、帝国軍の比較的層が薄い左後方に突入した。常に自分を守ってくれた信頼すべき部下たちが帝国軍へとおめきかかり、部隊が通れる道を作り出そうとする。その過程で少なからざる者たちが討たれていく。アレクセイは心の中で部下や兵士に謝罪しつつ、一点突破を図った。
アムネシアの不死隊と並び、シュバルツバルト王国で最も勇猛であると名高いアレクセイの隊の突撃を受け、さしもの帝国軍の精鋭たちにも綻びが生じた。その僅かな隙間を見逃すアレクセイではない。
ついにシュバルツバルト軍は包囲網に開いた穴から外へと抜けだした。だが、その背後から帝国軍が迫っている。いったいどれくらいの人数が生きて出られるのか、それはアレクセイにも分からなかった。
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突如前方に現れた「悪魔」は、アレクセイの前衛には見向きもせず、レムオンの本軍約7000に攻撃を集中させていた。この「悪魔」が敵の魔術師の命に従っているのか、自分の意思で彼らを攻撃しているのか、レムオンには判断がつかなかった。
「随分と好かれたものだな。皇帝に、今度は『悪魔』か」
緊迫した状況にあるにも関わらず、レムオンは自嘲の笑みを浮かべていた。現状からして、敵の作戦にまんまと嵌められたことは否定出来ない事実であった。恐らく帝国軍は前衛のアレクセイをわざと本軍まで引き入れ、アレクセイと自分の本軍との間に「悪魔」を召喚して分断したのだ。
そして敵の狙いは、総司令官たるこのレムオン=クリストバインの命であろう。自分の死は単に一人の軍人が死ぬというだけのことではない。見栄やうぬぼれではなく、彼は自らの重要性を十二分に自覚していた。
レムオンは王都ロイドに居るレニの顔を思い浮かべた。先日、レニとジルフォニア王子の婚約の儀を父親として見届けることが出来た。いつかはレニが結婚する時が来ると思ってはいたが、それは予想よりも早かった。もちろんまだ婚約しただけだが、ジルは約を違えるような男ではない。間違いなく数年後二人は結ばれることになるはずだ。
レニが生まれた16年前、虚無に満ち、生きることに光を見いだせなかったレムオンは、生まれてきた赤子に希望を見出したのであった。その子が一人の女として大きくなり、他の男と一緒になろうとしている。月日の流れるは早い。どうせなら結婚の儀までをしっかりと見届けたいものであった。
「とりあえず、ここを生き延びなければな……。アレクセイと合流し、王都へ戻るか」
レムオンはそう決意すると、部下の一人に命じた。
「撤退の準備をしろっ! お前が指揮する部隊は私とともに前に出て、味方のために時間をかせげ」
「はっ!」
「済まないな、辛い任務を与えることになって」
部下は微笑みを浮かべると、何もいわず駆け出していった。
あの「悪魔」に対して有効な対処法はないが、敵は間違いなく本軍を繰り出し、撤退するシュバルツバルト軍を追撃するだろう。
レムオンは約1000の兵を率い、撤退する味方と合流するであろうアレクセイのために時間をかせがねばならなかった。アレクセイの置かれている状況は分からないが、彼ならば必ず生きてここまで突破してくると信じていた。そう確信するだけの信頼を、長い戦いの中で得ているのだ。
レムオンたちは、最前線に出て押し寄せる帝国軍を防ぎに回った。一度は簡単に突破された帝国軍とは思えないほどに、追撃の勢いは強かった。
「ちっ、やはりあれは策略だったようだな」
軽く舌打ちすると、レムオンは剣を抜き放った。普段彼は滅多に剣を抜くことはない。危険な状況に陥ること無く戦に勝ってきたからである。これほど追い込まれた状況になったのは、彼が「英雄」となったバルダニアとの戦以来であった。
レムオンは一振りで眼前の敵を打ち倒し、側面から襲いかかってきた剣を受け止めた。戦士にはとても見えない容貌とは裏腹に、彼は一人の戦士としても強かった。数は少ないが、ともに殿として残ってくれた戦士たちが横に並んでいる。この者たちの多くは味方を逃すために犠牲になるだろう。もとより殿とはそのような役割なのだ。
――そして15分後
どれだけの敵を倒したか分からない。味方の数も大分減ってきて危険度は更に増してきた。本軍の味方はほとんどが撤退に成功しているが、アレクセイとはまだ合流できずにいた。果たしてまだ無事なのか。そして、ここまでたどり着くことが出来るのだろうか。レムオンは重大な判断を迫られていた。
戦友であるアレクセイを見捨てたくはないが、そのために多くの部下を犠牲にするわけにもいかない。レムオンが自らも撤退する決断をしようとした時――
帝国軍の背後から、突如シュバルツバルトの軍が現れ襲いかかった。先頭にたつ騎士は、どす黒い血に鎧を染め、恐るべき形相を浮かべた戦士であった。
「あれはアレクセイだっ! 奴を助けるぞ!」
レムオンは声を張り上げ部下に命じた。
と、その時。彼の声を聞き取ったのか、「悪魔」がレムオンに眼を向けた。「悪魔」とレムオンの視線が交差する。ゾワリっ、レムオンは背筋が寒くなる感覚に襲われた。「悪魔」は単なるバケモノではなく、なにか恐ろしいほどの神気を感じさせた。ある種のカリスマ的な魅力である。
「奴はいったい……」
レムオンが思わずつぶやくと、「悪魔」は呪文を詠唱し始めた。何の言葉かは分からないが、人間には理解できない言葉のようであった。
「魔法がくるぞ! 警戒しろ!」
そう部下たちに命じつつ、レムオン自身がその効果に懐疑的であった。「悪魔」の振るう魔法の力に、どのように抵抗したら良いというのだろうか。
だが、結果として部下たちの命が危険にさらされることはなかった。「悪魔」の魔法は、レムオンにこそ向けられていたからである。
「矮小ナル人間ヨ。死シテ闇ニ帰ルガヨイ」
「!?」
突如人の言葉を話し始めた「悪魔」に、レムオンが驚く。「悪魔」は両腕を横に広げ、呪文の詠唱を続けた。そして「悪魔」の詠唱が終わった時、強力な魔法の力場が辺りを覆っていた。
「悪魔」はレムオンを指差すと、ただ一言のみを告げた。
「デス」
魔法が身体を束縛するまでのわずかな時のなかで、レムオンの頭の中には多くのものが去来していた。
「アニス……レニ……」
生まれ出てから41年、ついにレムオンに最初にして最後の死が訪れたのであった。




