121 レント伯クリスティーヌ
「まさかあの子が王子であったとはね。私の人を見る目もなかなかのものだわ」
クリスティーヌは冗談混じりに側近の「剣聖」アルメイダへ語りかけた。いまレント伯クリスティーヌは、自領で王位継承争いの成り行きを見守っていた。当初ルヴィエ派、つまりはブライスデイル派が圧倒的に有利であったかに見えたが、最近では形勢が変わりつつあった。
まず第二方面軍司令官のアムネシア=ヴァロワがアルネラ派につき、そして先日アルネラ派の一人であった上級魔術師ジルフォニア=アンブローズが王子であると発表された。さらにそのジルフォニア王子がレムオン=クリストバインの娘と婚約したという。これは明らかに、レムオンをアルネラ派へと引き入れる政略結婚だ。
レムオンまでがアルネラ派についたとなると、継承争いは予想外に混沌としてきたと見るべきだろう。そしてこれはクリスティーヌにとって好都合の事態であり、アルメイダの眼に映る彼女は上機嫌だった。
「まったくだ。だが、これでクリスティーヌ殿が打った布石が役に立つというもの」
その言葉を聞いてクリスティーヌは会心の笑みを浮かべた。
「ふふふ、まぁ事はそれほど単純ではないけれどね。とりあえず、私が苦境に陥ったとしても、あの坊やに渡りをつけておいたことが役に立つでしょう」
彼女はいつでも複数の活路を用意するため、一方の側にのみ肩入れはしない。正直なところ、クリスティーヌはブライスデイル侯を良く思ってはいない。名門の侯爵家を鼻にかけた、尊大な男だ。だが、この男の持つ力は確かに巨大なものであり、クリスティーヌは保身のためにも彼を敵に回すことだけは避けてきた。
彼女がルヴィエ派につかず中立を守っているのは、味方したところで地位と領地が守られるというだけで、彼女にとって何一つ得るものがないからである。彼女が加わらなくともブライスデイル派の勝利が疑いない状況では、恩賞も期待できないというものだ。
だが、少々風向きが変わってきた。アルネラ派が勢力を強めている現状では、アルネラ派に味方して彼女を勝たせるも良し、またブライスデイル派も勝つために自分の存在を無視できなくなっているはずだ。ルヴィエ派についたとしても、得るものがあるだろう。
クリスティーヌは、自分がキャスティングボードを握っているこの現状にほくそ笑んでいた。
――ジルが領地まで訪ねてくる、その知らせをクリスティーヌが受け取ったのは5日前のことであった。
現在の状況で王子が自分を訪ねてくることの政治的な意味を、彼女は十分に理解していた。
「ついに来るものが来たわね」
側にいるアルメイダにもかすかに聞こえる声で、クリスティーヌはつぶやいた。今夜、彼女は自分の運命を決定づける大きな決断を迫られるかもしれない。彼女にとって、そのことから受けるプレッシャーはむしろ心地良いものであった。
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「ジルフォニア王子、ご無沙汰しておりました。遠路、私の領地まで足を運んでいただき光栄ですわ」
クリスティーヌはジルと顔を合わせた際に、優雅に礼をした。かつてジルが上級魔術師に任命された時、クリスティーヌもその場に居合わせていた。その時も彼女は自分の見る目を誇ったものであった。
「そちらは、確か帝国から亡命された方だったかしら?」
クリスティーヌは、ジルの後ろに控える老齢の男を見ていた。彼女は宮廷でその男が国王に謁見したのを目撃していた。
「そうです。私も王子となり家臣を持つ必要が出てきましたので、このエルンスト=シュライヒャーとサイファーに協力してもらうことになりました」
サイファーと呼ばれた若い男も、確か晩餐会の時に見た覚えがあった。ジルとともにアルネラを救った男のはずだ。サイファーの実力は知らないが、エルンストは帝国の名将と呼ばれた男のはず。
普通なら、若いジルにとって老齢の名将など煙たいと思うのが人情だ。あえてその男を側近にしたということから、ジルの人を見る目と度量は評価できる、クリスティーヌはそう考えていた。
「王都では大変なご活躍のようですね。今やアルネラ派はルヴィエ派に並ぼうとしていますもの。私の調べでは、あなたの活躍によるところが大とか」
ジルは以前から考えていた。ユリウス王子を味方にした今、クリスティーヌさえアルネラ派に引き入れれば勢力比は五分と五分、いや、わずかにアルネラ派が優位に立つことになる。問題は計算高いクリスティーヌに、どのような条件を出すべきかということだ。
「さらにあなたが加わっていただければ、ルヴィエ派にも勝つことができるのですが」
「さあ、それはどうかしら」
優位な立場にあるものとして、クリスティーヌは余裕の笑みを浮かべていた。
「今日訪問した理由はお分かりかと思います。あなたを我らの陣営に迎えるための交渉にうかがいました」
「私が納得のいく条件を出していただけると期待していますわ」
クリスティーヌとしては、最終的にはアルネラ派につくとしても、そう容易く受け入れるわけにはいかない。満足のいく条件を引き出さなければならないのだ。
「先ずはアルネラ様の御領地にあるアイデック鉱山の採掘権をお譲りします」
「ほう」
クリスティーヌは思わず目を細めた。アイデック鉱山は、シュバルツバルトでも有数の鉱山であり、貴族たちの垂涎の的であった。アイデック鉱山こそ、アルネラ派の軍資金の源でもあった。悪くない、クリスティーヌは表情は変えずに内心でそう思った。
「それはアルネラ様が勝つか負けるかに関わらず、いただけるということですわね?」
「はい、そうお考えいただいて構いません」
鉱山は空手形というわけではなく、勝敗にかかわらず必ず手に入るということだ。クリスティーヌにとって非常に有利な条件である。
「それと、これはアルネラ様が勝ったあかつきにはということになりますが、王室直轄領から王都の近くのユネル地方をお譲りしましょう」
クリスティーヌの領地から王都まではかなりの距離がある。毎回王都へ赴く度にかなりの距離を移動しなければならず、女性にとってはかなりの重労働であった。
ユネル地方はそう大きな地域ではないが、貴族にとって王都近くの領地を得るということは、利便性が高まるとともに、王室から信頼されていることを示す栄誉あることなのだ。
鉱山と領土の割譲、これは事前にクリスティーヌが考えていたアルネラ派の最大限の譲歩であり、十分に満足いくものであった。彼女の気持ちは大きく揺れ動いていた。
だが、アルネラ派となることはブライスデイル侯と対決することになる。そのリスクを考えた時、クリスティーヌは今一歩踏み出せないでいた。
「と、これは表向きの条件です。実はそれとは別に、もう一つお願いしたいことがあります」
「お願い? 条件ではなくて?」
「これはあなたにも利があることだと思います。アルネラ様には多くの美点がおありですが、統治者として絶対的に欠けているところもあります。とくに謀略など政治の裏側については全くお分かりでない。もちろん私も補佐いたしますが、王位継承争いの後、私は軍を率いて帝国へ赴くつもりです。そこで、同じ女性であるあなたに、アルネラ様の政治上の補佐をお願いしたいのです。策略に長けたあなたなら、その面でアルネラ様を支えることが出来ると信じています。いかがでしょう?」
予想外のジルの申し入れに、クリスティーヌは考えこんだ。アルネラの補佐というのは非常に栄誉なことだが、完全にアルネラに奉仕せよと言われているようでもある。ただの貴族と王という関係ではいられなくなるだろう。
だが、一方でジルの言うように、クリスティーヌにとってもメリットはある。彼女はアルネラに非常に大きな影響力を持つことになるのだ。ある程度自分の利益となるように誘導することも出来るだろう。例えば、ブライスデイル派の力を削ぐようなことも出来るかもしれない。
「ふふふ、失礼ながら王子、あなたは政治的な駆け引きにも長けておられるのですね。私が見込んだ通りだわ」
クリスティーヌにとって、無能な味方というのは害悪でしかない。彼女は優れた才能のある者を好む。自分の上に君臨するものが有能であり過ぎるのは問題かもしれないが、無能であっては仕える気すら失せるというものだ。
「宜しいでしょう。この条件、正式に文書としてお渡し願えるかしら?」
口約束ではなく、後で証拠が残るように文書を要求するあたり、クリスティーヌは用心深かった。文書があれば、王の名誉にかけて約束を反故にすることはできなくなる。
「もちろんです。後で正式な文書にして届けさせましょう」
迷うこと無く肯定したジルに、クリスティーヌは深く満足した。どうせいつかは旗幟を鮮明にしなければならない。今が自分を売る絶好の機だったのだ、彼女はそう思うことにしたのであった。
内容に関して、いささか迷っていて更新まで時間が空いてしまいました。




