120 戦いを求める者たち
ジルは、自分の家臣団にルーンカレッジ時代の友人を勧誘しようと考えていた。形としては家臣だが、昔のように友人として彼らに接するつもりであった。その方がジルとしても気が楽なのだ。
魔術師であるジルがまず必要としたのは、常にジルの側にいて護衛する騎士である。最初に顔を思い浮かべたのは、サイファーであった。サイファーは帝国によるフリギア占領の後も、カレッジで修養をつみ卒業している。
現在は、バルダニアとの国境を警備する砦で守備隊長を務めているはずだ。ジルはサイファーに手紙をしたためた。
――3日後
「ジル、随分久しぶりだな。王子になんてなりやがって」
ジルの私室へと入ってきたサイファーはジルと固く抱擁した。二人はともに「アルネラ誘拐事件」や「帝国への使者」を乗り越えた戦友である。
「王子だからといって俺に遠慮なんかするなよ」
「安心しろ。そんなつもりは全く無いからな」
ジルは思わず笑みを浮かべた。王宮の中でのやりとりとは異なる、気の置けない言葉のやり取りに、自然とジルの口調も学生時代に戻っている。
「あれからどうしていた?」
あれから、というのはルーンカレッジが王都ロゴスに疎開してきた時のことを指している。当時ジルはフリギアに潜入するため、カレッジの関係者から事前に情報を集め、サイファーとも再会していたのだ。
「カレッジを卒業した後、軍に仕官した。前線で戦うのが望みだったんだが砦の守備隊を任された。バルダニアとは停戦中だから暇なものだ」
サイファーは自嘲気味に答えた。いまシュバルツバルトは帝国と全面的に戦っているが、この状況で戦いを欲しながら前線に配置されないというのは不運だった。
「そういえば近衛騎士団に叙任されるのではなかったか?」
サイファーはアルネラを救った功績によって、近衛騎士団の団員に内定していたはずである。
「断った。どうにも近衛などというのは俺には似合わないと思ってな」
一般に近衛騎士団というのは、若者の憧れの的である。王を守り、王宮という華やかな場所につとめる名誉ある仕事だ。団員になれるというなら、何物を引き換えにしてでもなりたいというのが普通である。
だが、自分に合わないからといって断ったというのがいかにもサイファーらしいとジルは思った。自分の理想を名誉や金銭と引き換えにすることは絶対にないのだ。
「それでは俺の騎士になってくれと言っても無駄かな?」
「……お前はこれから何を目的としているんだ?」
仕えるかどうかは話を聞いてから、ということだろう。
「当面はアルネラ様を王にすることだ」
「その後は?」
「――その後は帝国を倒す」
「帝国を倒す、か。お前の行き先には多くの戦いがありそうだ。きっと俺の願いも満たしてくれるだろう」
サイファーはニヤリと笑みを浮かべつつ、ジルを前にして片膝をついた。
「良いのか?」
ジルがサイファーを見下ろしながら尋ねる。
「早くしろ」
サイファーの言葉に頷き、ジルは腰の剣を抜いた。剣の平でサイファーの肩に軽く触れる。
「サイファー=バイロン。汝は我が騎士となり、我が命に従うことを誓うか?」
「従います、ジルフォニア殿下。我が生命、我が剣を殿下のために捧げることをここに誓います」
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「家臣は若いものばかりではダメですぞ。一人は年長の相談役を置くべきです」
ある日、ユベールがそう助言した。
「理想を言えば、常識があり、冷静で、戦いのことを良く知っている者が良い」
「そのような都合の良い人間が果たして居るでしょうか?」
ジルに付き添ったサイファーが疑問を呈した。つい先程、新しく騎士となったサイファーをユベールに紹介したところであった。ユベールがいるため、サイファーの口調は丁寧なものになっている。
「たとえ居たとしても、そのような有能な人間が、殿下の私臣として仕えてくれるかどうか」
普通に考えれば、サイファーがそう思うのも無理は無いところだ。だが実はジルには一人心当たりがある。だが、その人物を家臣とするには国の許可が得る必要があった。
「ユベール殿、帝国から亡命してきたエルンスト=シュライヒャー殿を私の家臣としたいのですが、許可をいただけますか?」
「エルンスト=シュライヒャー?」
ユベールは思わずオウム返しに聞き返した。エルンスト=シュライヒャーは、アルネラ王女誘拐事件の真相を知る重要人物としてシュバルツバルトに亡命している。かつて帝国の名将として活躍したエルンストではあったが、その後は忘れ去られた存在になっていた。
軍務につけようにも、もともと帝国軍の将軍であったエルンストを兵士や下士官として使うわけにはいかない。相応の地位を用意しなければならないわけだが、王国では軍の司令官に信用が得られていない。また老齢の名将というのは、歳下の司令官にとって使いづらいということもある。
それゆえ、エルンストは事実上軍務を引退し、穏やかに老後を送っている状況であった。ユベールを始めとする王国の要人にとって、エルンストはすでに終わった人物であった。
「エルンスト殿は帝国の名将であった方。まだまだ引退されるのは惜しい人物です。軍で用いるのは難しいとしても、私であれば以前から親交がありましたのでお互いにやり易いと思います。ぜひご許可いただきたい」
「ふむ」
エルンスト=シュライヒャーというのは、ユベールにとって盲点であった。確かにジルのお目付け役としては適任かもしれない、そうユベールは考えた。
彼にとって、ジルは赤子の頃から見守ってきた存在であり、支える側近の人選が気になっていたのである。エルンスト=シュライヒャーの名を出されてみれば、ユベール自身があげた条件に適う人間は、彼しかいないという気すらしてくる。
「一応かの御仁には、帝国の陰謀の生き証人という役割がありますが、こうも帝国と全面的な戦となり、バルダニアとの停戦がなった現在は、さして意味はないでしょう。殿下の側近となっても問題はないかと思います。私の方で調整しておきましょう」
ユベールとそう語り合った翌日――
ジルは王宮でのエルンスト=シュライヒャーの私室を訪ねた。エルンストはいまだ領地は与えられておらず、王宮に部屋を与えられ匿われている状態である。これは王国としてエルンストを確保しておく意味もあるのだが、実際にはほとんど忘れられた存在となっていた。
「これはジルフォニア殿、この老骨の部屋をよく訪ねて参られた」
エルンストは、懐かしさに眼を細めた。彼にとって、シュバルツバルトに亡命した出来事と、ジルとは深く結びついていた。このシュバルツバルトにおいて、彼にとって最も親しい存在といっても良いかもしれない。
「久しぶりです、エルンスト=シュライヒャー殿。王宮でともに王に謁見した時以来ですね」
彼らが最後に会ったのは、エルンストを救出し王宮に連れ帰った時であった。以来ジルは第二方面軍の上級魔術師として前線に立ち、エルンストは王宮で無聊を託っていた。
「少し背が伸びたかの? いやそうではないか」
エルンストは久しぶりにジルの姿を見て独り言のようにつぶやいた。この年代の青年は急激に成長するもの。それは何も身長だけのことではない。エルンストにはジルが人間的に大きくなったように見えていた。
「今日はあなたに重要なお願いがあって参りました」
「ははは。もとより王子となったジル殿が、お忙しいだろうに、単に昔話をしに来たとは思っておりませんぞ」
エルンストも一応シュバルツバルト王宮の動きには関心を払っていた。亡命した身としては、政治の状況次第で危険になることもあるからである。現在この国では王位継承争いが起こり、ジルがアルネラを支える重要な存在であることも知っていた。
「私はあなたを名将として高く評価しています。あなたをこのまま何もせず埋もれさせるのは惜しい」
エルンストはじっとジルの顔を見つめている。それはジルの心を確かめようとするかのようであった。
「そこであなたを私の側近に迎えたい。私はこれから政治や戦で多くの戦いをすることになる。経験豊富で確かな相談役を必要としているのです」
「じゃがワシはすでに老齢の身、若いあなたのお側に居ても、迷惑ばかりかけるのではないか」
評価してくれるのはありがたいが、とエルンストは付け加えた。正直なところ、亡命してからのエルンストは覇気を失いつつあった。軍を率いることは出来ず、何物かを守ることも出来なかった。すでにどうやって老後を過ごそうか、それを考えていたところである。
「エルンスト殿、私の側近になるとはどういうことか、まずそれをあなたに分かってもらいたい」
ジルの側近になるということは、アルネラを王としようとするジルのブレーンになるということだ。王宮で政治向きの陰謀を企てたり、ジルを護衛することもあるだろう。この興味深い若者の側にいるということ、それはそれで悪くはないが、エルンストには自分をやる気にさせるほどとは思えなかった。
「王位継承争い、この戦いには必ず勝つつもりです。問題はその後です。帝国との大いなる戦いが待っています。私はこれを機に帝国全土を征服するつもりです。そして私自身、最前線に立って戦いを指揮するつもりでいます。この戦いはきっと一筋縄ではいかないでしょう。帝国人であったあなたの知識と経験が必要なのです。どうか私を教え導いて下さい」
ジルは真摯に自分の思いを伝えた。その気持はエルンストにも十分に伝わったようであった。
そもそもエルンストはジルに命を救われた恩義があった。いつかそれを返したいとは思っていたのだ。そして娘レミアを悼んでくれたこと、自分の身を心配してくれたことなどから、一人の人間としてジルに好意を持っていた。
そして更に、側近として自分をもう一度大きな戦いに連れ出してくれるというのだ。エルンストは、自分の消えかかった覇気に再び火が灯るのを感じていた。
「面白い。武人として再び戦場に立つことが出来るのですな? これがワシの最後の御奉公になるじゃろうて」
エルンストはジルに不器用に片目をつぶってみせた。ジルの顔が喜びでほころんだ。
「宜しくお願いします」
ジルの差し出した手を、エルンストは老人とは思えない強い力で握り返した。




