115 弟王子ルヴィエ
ギョーム6世の次男ルヴィエは、アルネラ、ジルの二人にとって弟にあたる。当年14歳、アルネラとは5歳差、ジルとは3歳離れている。末子ではあるが、すでにブライスデイル侯の孫娘と婚約もしていた。ブライスデイル侯はルヴィエを王とすることにより、外戚(母方の親戚)として権力を振るうつもりであった。
ヘルマン伯やゼノビアは、仮にルヴィエが勝った場合、今でさえ貴族の力が強すぎる王国の政治が、ブライスデイル侯によって完全に牛耳られ、傀儡になるだろうと見ていた。
ジルがルヴィエの私室に入ると、部屋の中には2人の先客がいた。貴族の男と、ルヴィエの秘書らしき女性であった。ジルが入ってきたのを見た3人は会話を中断し、ジルに視線を向けている。
「あなたが新しく私の兄となった、ジルフォニア殿ですね? どうぞ中へお入りください」
ルヴィエは気さくにそう呼びかけた。王妃は美しい容姿で知られており、ルヴィエもその血筋を引いているだけに美形であった。その顔で人懐っこい笑顔を作ると、つい協力してあげたくなる、そんな魅力を備えていた。
奥へと入ると、貴族の男が話しかけてきた。長い口ひげが特徴的な痩せぎすの男である。
「あなたがジルフォニア殿下ですか。なんでもこれまでは上級魔術師としてこの王宮に仕えていたとか。華麗なる成り上がりですな」
男は明らかにジルを嘲弄していた。ルヴィエ派の貴族であればそれも仕方がないかもしれない。
「リュッシモン殿! 兄上に失礼だろう。兄上は今まで自分の出生を知らされていなかったのだ」
「これは失礼を」
ルヴィエは貴族の男を叱責した。リュッシモンと呼ばれた男は、言葉とは裏腹にそれほど失礼とも思っていないようであった。
「あなたの立場からすればその態度も理解できないでもありません。ですが、この方は私の兄上にあたる。それゆえ、この方への侮辱は私への侮辱に当たる、そう心得て下さい」
ジルは意外な感にうたれていた。ルヴィエがこうも自分に友好的であるとは思わなかったのだ。確かに、アルネラからは姉として慕ってくれている可愛い弟と聞いていたのだが……。
貴族の男はブライスデイル侯の腹心、メイダム男爵リュッシモンに違いないだろう。ジルがアルネラ暗殺の件について証言させたゼラーの主である。アルネラを支持するジルを敵視するのも無理は無いのだ。
「これは確かに。さすがはルヴィエ様、お優しく寛大でいらっしゃる。御兄弟同士の会話を邪魔するわけにはいきませんな。私はこれにて失礼しましょう」
リュッシモンはジルには目もくれず、ルヴィエに恭しい礼をし部屋を出て行った。
「失礼しました、兄上。さぞ、ご不快でしたでしょう」
「いえ、ルヴィエ様、お気遣い感謝します」
ジルはあくまでも丁寧な口調を変えることはなかった。確かにルヴィエは歳下の弟に当たるが、正妃の子であり、ジルとは異なり、王位継承権保有者である。同じ父を持つとはいえ、同格ではないのだ。だが、それでもルヴィエは兄に対して恭順な態度をとっていた。ジルにはそれが不思議であった。
「申し訳ありませんが、しばらくお待ちください。いま事務的な打ち合わせを済ませてしまいますので」
ルヴィエは穏やかな笑みを浮かべながら、女性と話をしていた。女性は男装をしているが、美しい容姿をしていた。
「ああ、ご紹介しておきましょう。彼女は秘書兼護衛のアルトリアです。これから兄上と顔を合わせることもあるでしょう。お見知り置き下さい」
アルトリアはジルに対して儀礼としては完璧な礼をとった。その美しい動作にやや見とれながら、ジルも礼を返す。
「ルヴィエ様、先ほどリュッシモン様に仰られたこと、ご立派でしたわ。ご兄弟を思われる気持ち、感動いたしました」
アルトリアの眼からはルヴィエを心から慕っていることがうかがわれた。
「そうかな? 人として当然の感情だよ。アルトリア、今日の用件はこれで終わりです。これから私は兄上とちょっと話があるので、明日また来てください」
ルヴィエは部下に対しても丁寧な口調であった。アルトリアが部屋を出て行った後、ルヴィエはジルに背を向けて窓際のキャビネットで飲み物を用意していた。
「兄上も果実水はいかがですか?」
「……いただきます」
ジルは、二人きりになった途端ルヴィエの雰囲気が変わったことを敏感に感じていた。
「やれやれ、これで二人になることが出来ました」
ジルの方へ向き直ったルヴィエは笑っていた。だが、それは先ほどまでの人の良い微笑ではなく、人を見下したような表情だった。
「みんなの偶像である純真な王子を演じるのも楽ではありませんね」
ジルはルヴィエの言葉を心の中で反芻した。ルヴィエはいままでの態度が全て演じたもの、偽りのものであると告白しているのだ。
「それがあなたの真の姿なのですか?」
「王位継承者として生きるのも楽ではないのですよ。担がれる神輿として大人しくしているのも、芸のうちというわけさ」
ルヴィエの口調は、丁寧なものから明らかに変わっていた。
「なぜ私にはそれを見せるのです?」
「さっきの二人は大切な我が味方だ。健気な弟王子であるという幻想を持っていてもらわねば困る。だがあんたは敵だろ? 敵に演技をする必要はない」
一般的な見方では、ルヴィエは貴族たちの言いなりになっているだけの存在、悪く言えば「傀儡」であるというイメージであった。恐らくそれは彼を支持する貴族たちでさえ抱いていることに違いない。自分たちが王に推戴する人間は、素直に言うことを聞く者の方が都合が良いのだ。
だが、ルヴィエの真の顔は、そんな評価を一変させるものであった。
「ブライスデイル侯はあなたを傀儡とするつもりでしょう。王位継承争いに勝ったら、あなたはどうするつもりなのですか?」
「しばらくは大人しく担がれてやるさ。だが、見てろよ。ブライスデイルはもう老齢だ。いつまでも睨みを効かせられるわけではない。少しずつ貴族どもを屈服させてやる」
ジル達はルヴィエが貴族の傀儡となることを危惧していたのだが、その心配は無いのかもしれない。だが、これは果たして喜んで良いことなのだろうか戸惑っていた。14歳の貴公子にしては、あまりにスレた物の考え方をしている。
「言っておくが、あんたのことは兄とは思わんぞ。庶子のことなぞ兄弟だと思えるものか。ユリウスの阿呆でさえ、兄とは思い難いのだからな」
ユリウスについて、ジルはルヴィエとは異なる意見を持っている。ルヴィエはユリウスと表面的な付き合いしかしてこなかったため、彼の一面しか理解していないのだろう。
「姉様やユリウスは、実の兄弟だから非道なことをしては外聞が悪い。適当にいたわってやるさ。だが、私が王となったらあんたは王宮から追放してやる。この王宮で暮らすことは許さんからな」
ジルはもとより王宮での生活を望んでいたのではない。だが、王宮で暮らす他の人間の眼には、ジルが政治的な特権を求めていると写っているのかもしれない。ジルは自分の思いとは裏腹な状況に、不条理を感じていた。
何にしてもこの少年は危険な存在だ、ジルはそう感じた。アルネラが負けた場合、これまでの心配とはまた違った面で危惧を抱かざるをえない。将来、ルヴィエは何者の意見も聞かず、危険な独裁者となるのではないか、初めての対面からそのような印象を持ったのである。




