112 それぞれの決意
「ジル、君が陛下の御子であるとはな。君も驚いただろうが、我々も突然のことで戸惑っているところだ」
アルネラの部屋へとやってきたヘルマン伯フランツは、ゼノビアと顔を見合わせてそう言った。
ジルはフランツと直接の血縁関係にはないが、姪であるアルネラの腹違いの弟である。フランツの叔母たる王妃とは異なる女性の子であるため、ジルを疎んじたとしてもおかしくない。
ただし、従来ジルはアルネラを王とするために彼らと協力しよく働いてくれていた。今後もジルはアルネラを支える意思があるのか、フランツにとってはそれが問題だった。
「ジル……、いやジルフォニア殿下。本当に驚いたよ。あの勇敢にアルネラ様の命を救ってくれた、そして私とともに旅をしたジルが王子だったなんて」
ゼノビアはやや俯き、ジルの眼を見ていなかった。彼女も立場が急変したことに混乱していた。ゼノビアはジルに女性として好意を抱いていた。それは淡いものではあったが、彼女自身それを明確に自覚していた。だが、ジルが王子であると分かった以上は、身分から言っても、また立場からしても、忠誠の対象でこそあれ、男女として結ばれる未来はあり得なくなった。
「ゼノビアさん、殿下というのは勘弁してください。せめて内輪の場では」
「そうだな、善処しよう」
ジル自身戸惑いの中にいるのだということが分かり、ゼノビアはやや気分が軽くなった。
ジルはフランツとゼノビアの眼を正面から堂々と見つめた。
「ヘルマン伯、ゼノビアさん。まずあなた方に言っておかなければなりません。私は確かに王子と認められましたが、庶子であり継承権はありません。ですが、王子として、あるいは『魔導師』として、従来よりも大きな影響力を王宮内に持つでしょう。そして私の立場はこれまでと全く変わりません。我が姉、アルネラ様を王とするために協力するつもりです」
「そうか、それを聞いて安心した」
フランツは心底安心したようだった。とりあえずは今までと変わらないということだ。しかもジル自身はいままで以上の力を持つ。
「では、これまで通りレムオン殿とクリスティーヌ殿を味方につけることを当面の目標としよう。ゼノビア殿と殿下、それぞれ何か収穫はありましたかな?」
「私の方は残念ながら大した進展はありません。やはりレント伯はしばらく事態の推移を見守るつもりかと」
ゼノビアはやや悔しげであった。レント伯がそう容易く味方になるとは思わないが、それをそのまま報告しなければならないというのは内心忸怩たる思いである。
「ジルフォニア殿下の方はどうでしたかな?」
「レムオン殿は条件を出してきました。その条件を飲めば我らの側についてくれるそうです……」
「なに? 本当か?」
ゼノビアもジルの言葉に驚いた。なにしろレムオンはその将才を考慮すれば、王国最大の軍事力を持っていると言って良いのだ。
「条件は、私が伯の娘、レニを妻に迎えることです」
ジル以外の三人はハッと息を飲んだ。
「なるほど、そうきたか……。君が王子だと分かったからこそ、意味がある条件なのだな」
ヘルマン伯はその政治的な意味を理解した。
「殿下、いやジルはそのレニという娘のことを知っているのか?」
ゼノビアは自分が嫉妬しているとは思いたくなかった。だが、明らかに自分がいまそのレニという女性を妬ましく思っていることに気づいていた。
「ええ。同じルーンカレッジの学生でした。彼女が新入生の時に、私が指導生として面倒を見ていました」
「なるほど、すでに親密な関係にあるのだな」
フランツがゼノビアの気持ちを知ってか知らずか、ゼノビアの聞きたくないことを口にする。
「それで、その話し受けるつもりなのか、ジル?」
ゼノビアは勇気を出して決定的な問いを投げかけた。
「……そのつもりです」
やや答えるまでに間があったが、ジルは明確にそれを肯定した。
「ただ、レニはまだルーンカレッジの学生ですので、実際に結婚するとしても先のことになると思います。いまは婚約するだけになるかと」
「まあ、この場合互いに関係が結ばれることこそが大事なのだからな」
フランツはレムオンが味方になりそうだと知り、興奮気味であった。
「ジル、自分の結婚なのですよ? 私の王位継承など気にかける必要はありません」
アルネラがたまらず口を出してきた。彼女はジルが王位継承のために自分の人生を犠牲にしようとしていることを危惧したのだ。自分のことよりも他人の心配をするアルネラらしい。
ジルはそのアルネラの気持ちが良く分かっていた。だが、それだけに翻意するわけにはいかなかった。
「レムオン殿を我らの味方につけるために、この結婚は絶対に必要なことなのです。私はアルネラ様に王になってもらいたい。アルネラ様こそこの国を良くする王だと信じています。そのためには私の結婚など大したことではありません。それに、レニとは知らない仲ではありません。必ずしも気の進まぬ相手というわけではないのです」
ジルはアルネラを王とすることを、これまでに無く強い口調で主張した。以前の一歩身を引いていたジルには無いことだった。王子となったことで心境の変化があったのかもしれない、フランツはそう見ていた。
ジルの堂々たる宣言は、その場にいる人々にある種の感銘を与えた。とくにアルネラはジルが自分のために身を捧げようとしていることに強く心を動かされた。
「ありがとう、ジル……。私はこれまで兄弟同士で王位を争うことを嫌っていました。争うぐらいならいっそ譲った方が良いのではないかと、内心思わないではなかったのです」
アルネラは正直に心情を吐露していた。その内容は、アルネラを王とするために働いしているフランツやゼノビアの思いを裏切るものであったが、彼らはそれを責めるつもりは毛頭なかった。アルネラならさもあろうと思っているのである。
「ですが、私は決意しました。私にはこんなにも私を王と信じてくれる人がいるのです。あなた方の思いに応えるためにも、私はたとえルヴィエと戦うことになったとしても王となりましょう」
ジルたちはアルネラの言葉に驚いた。心根が優し過ぎるくらいのアルネラが、ルヴィエと戦うことを口にするとは、これは彼女にとって最大級の強い言葉である。
アルネラは今まさに自分の意思で王となることを宣言したのだ。




