110 親子の語らい
ロゴスへと帰還したジルのもとに、ほどなく王宮から迎えの馬車がやってきた。馬車から降り立ったのは近衛騎士団長のルーファスだった。これまでジルにとっていた態度とは違い、ルーファスは恭しく礼をとった。
「ジルフォニア殿下、国王陛下が御召しです。至急王宮へとお越しください」
ルーファスの目には特段の感情は込められていなかった。ジルに対するその態度には、己に科せられた役割を果たそうとする義務感が表されていた。
ジルは行きたくなかった。行けばこれまでの自分が知る世界とは、全く異なる事実が示されることになるだろう。だが逃げることは出来なかった。これまで知ろうとしてきた自分の出生の秘密が、真実がいまそこにあるのだから。
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王の居室へ入ると、そこには三人の人物がいた。ベッドに臥せっている国王ギョーム6世、その両側に大魔導師ユベールと聖女シーリス。全員が今回の件の関係者であった。
「ジルフォニア殿下、ようこそお越しくださいました。さぁ、こちらへどうぞ。国王陛下がお待ちです」
ジルはユベールに王のすぐ側まで案内された。
「あなたも知っておられたのですね……」
「恐れ多いことながら、私は今回の件に直接関わっております。王の命により、あなたを御幼少時より見守っておりました」
ジルはユベールに対して思うことは色々あったのだが、今はそれを問うつもりはなかった。
部屋に入ってからシーリスは無言であった。ジルも意識してシーリスを見ないようにしていた。子にとって「母親」というのは特別な存在だ。それだけに自分を捨てた母親と向き合うには、まだ心の整理ができていなかったのだ。
ジルは王の傍らへと寄り、その顔をのぞきこんだ。王は弱ってはいたが、まだどうにかなる様子はなかった。王は視界にジルの顔をみとめると、口元に蓄えたヒゲを揺らして笑みを浮かべた。
「ジ、ジルフォニア、我が子よ、よく来た。待っていたぞ」
王の声は多少震えてはいたが、意外にもしっかりとしたものだった。
「さて、何から話せば良いか……。恐らくお前はワシに問いたいことが色々とあるじゃろう。まず言っておかなければならないのは、お前は不義の子というわけではないのだ。なにしろシーリスとは、王妃と婚約する前からの関係じゃったのだからな」
ギョーム6世は昔を懐かしむ遠い目をしていた。
「わしは当時王位継承争いをしていた。いまの王国のように。だが、ワシの味方をする貴族は少なかった。そこで先代のヘルマン伯を引き入れるため、王妃と結婚することにしたのじゃ」
「ちなみに私はその時陛下の側にあって、ご相談に乗っておりました」
横からユベールが補足する。ユベールは当時魔導師の位にあり、ギョーム6世と親しい間柄にあったのだ。
「じゃが、王妃との結婚には一つ問題があった。ワシは当時、癒し手としてイシス大神殿から派遣されていたシーリスと恋仲にあったのじゃ。シーリスは当時まだ司祭の身、経験を積むため我が陣に派遣されておった」
王は傍らに控えるシーリスの方を見つめた。
「私は一目見た時から、シーリスに惚れたのじゃよ。それは今もあまり変わらないがな」
「陛下、お戯れを……」
シーリスがやや羞恥の色を見せている。聖女として普段見せない顔だろう。
「王となるため、ワシはシーリスとの仲は諦めざるを得なかった。もとより王となるワシの妻は王妃となる宿命。シーリスには聖職者としての生き方があるゆえ、しょせんは結ばれぬ仲だったのじゃろう」
「その後、ワシは無事王に即位し、王妃との間にはユリウスとアルネラが生まれた。じゃが、シーリスとの関係は完全に無くなったわけではなかったのじゃ。月に一度、半年に一度と何度かシーリスと会っていた。そしてジルフォニアよ、お前をシーリスが宿した」
外は雨が降っていた。豪奢な王宮の窓に、雨が打ち付け河を作っている。
「ワシはヘルマン伯との関係を悪くするわけにはいかなかった。ようやく王位につき、国が定まったのだ。隙を作れば、ミルフェン(ブライスデイル侯)辺りがまた引っ掻き回してくることは分かりきっていた。そしてそれはシーリスも同じじゃ」
王はシーリスの方に顔を向け、表情で話すよううながす。シーリスは母として、子に真実を告げる義務があるのだ。シーリスは思い口を開いて語りだした。
「私はその時イシス教団で高司祭になろうという時でした。若くして『聖女』と呼ばれ、いまから考えれば私は内心得意になっていたのです。聖職者でありながら、心には邪気を宿していました。陛下とのことが明らかになることによって、立場を失うことを恐れてしまったのです」
シーリスは唇を震わせて一度言葉を中断した。
「一応言っておきますと、イシス教では聖職者の結婚事態は禁止されてはおりません。ですが、形の上では正妻のいる陛下との関係は愛妾ということになり、確実に『聖女』の名声を傷つけることになるでしょう」
ユベールが横から口を出してきた。
「いや、わしの都合の方が大きかったのじゃ。シーリスはそれに従ったに過ぎん。ワシはシーリスを長く神殿から引き離す理由を作り、市井の館にかくまったのじゃ。それにはユベールに動いてもらった」
ユベールが王の言葉に頷いた。
「そしてジルフォニア、そなたが生まれた。シーリスを責めるでない、母は悪く無いのだ。悪いのは全て王たるワシなのじゃ。わしはな、生まれたばかりのそちを殺すようシーリスに命じたのだ」
その言葉にジルは息を呑んだ。そしてふつふつと怒りが湧いてくる。相手が王でなければ、また病人でなければ怒鳴りつけていたかもしれない。
「だが、シーリスはそうしなかった。我が子を殺すに忍びなかったのであろう。ユベールも密かにシーリスに協力していたのじゃ。シーリスの侍女を使い、聖地グアナ・ファルムの神殿前に捨てさせた」
その言葉を聞いた後、シーリスは苦悶の表情を浮かべた。殺さなかったとはいえ、母として子を捨てるなど、許されることではないだろう。
「そこからは私が話しましょう」
ユベールが王から話を引き継いだ。
「我々は自分たちの目の届くイシス神殿にあなたを育ててもらおうと思っていたのです。しかし、ここで予想外のことが起こりました。ロデリック=アンブローズという魔術師に拾われてしまったのです。あの男、あのような場所に居合わせるとは何と間の悪い」
ユベールは苦笑を浮かべていた。締りのない義父ロデリックは、こんなところでもやらかしていたということだ。
「仕方がなく、私はロデリックに全てを話し協力させました。情報が漏れることを恐れ彼の宮廷魔導師としての任を解くとともに、当初は私の私財から、後には国庫から別の名目で養育費を下賜したのです」
公式には、ロデリック=アンブローズは宮廷魔術師から自ら辞任したことになっている。ジルは、ロデリックが宮廷魔術師を辞めたのを、魔法にそれほどの思い入れがないからだと、また上級魔術師止まりの自分に諦めをつけたからだと思っていた。だが違ったのだ。
ようやくジルは納得がいった。どうしてアンブローズ家は裕福であったのかを。それは単に領主としての収入だけでなく、王からの「養育費」があったからなのだ。
「数年たった後、私は陛下に真実を話しました。殿下、あなたが生きていることを。陛下は非常に驚かれていましたが、すぐに密かに成長を助けよと命を出されました」
「ワシは後悔していたのじゃ。紛れも無い我が子を殺すよう命じてしまうとは。あの時、シーリスやユベールが命に反してくれて本当に良かったわい……」
ユベールによれば、ジルが生きていることを聞き、王は非常に喜んだという。その成長について定期的に報告させるよう命じてもいたのである。
「初めてそちが宮殿に謁見に来た時、運命のいたずらを感じたものじゃ。我が子がアルネラの事件に巻き込まれて謁見しに訪ねてくるとはな」
王は長い話し終えて口を噤んだ。病気の王は長く話すことで体力を大分消耗したようであった。




