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シュバルツバルトの大魔導師  作者: 大澤聖
第四章 王位継承編
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106 アムネシアの決断

 ジルは激しい豪雨の中、フリギアに帰還していた。もう日が暮れていたこともあり、通りは誰も歩いていない。ジルは通い慣れた様子で、アムネシアの司令所の前まで来ていた。もし近くを通る者がいれば、青年が一声気合を入れる声をあげたことに驚いたかもしれない。だが、その声は雨音にかき消され、聞く者も居なかった。


「あら、帰ったのね。こんな時間にご苦労さま」


 扉を開けて入って来たのがジルだと分かり、アムネシアは慰労の言葉をかけた。なにしろ、彼女はジルを通常の任務にはない命でロゴスに派遣していたのだ。いたわりの言葉ぐらいかけてもバチは当たらないに違いない。


「ただいま帰還いたしました。もうお帰りの時間だったでしょうか?」

「いえ、帰ろうとしたのは事実だけど、報告を聞く時間くらいはあるわ」


 アムネシアは笑みを浮かべて、ジルに椅子に座るよう促した。フリギアに軍を返してからもう一月ほどになるが、状況に何も変化がなく彼女は酷く退屈していたのだ。フリギアの占領行政も最近では上手くいきつつあり、とりたてて彼女が何かしなければならないこともなくなっていた。


 ジルがこうして帰ってきたからには、何かしら彼女に耳に入れるべき事態が起こったのだろう。アムネシアはそれを良い退屈しのぎくらいに思っていた。


「今日は、アムネシア様にぜひとも聞いていただきたいことがあって参りました」

「改まってなにかしら? ロゴスの情勢についてではないの?」


「それに関わる話ではあります。アムネシア様もご存知のように、いま王都ではアルネラ様、ルヴィエ様の王位継承争いが起こっております。私はアルネラ様こそ王に相応しい方だと考えています。アムネシア様にもぜひ味方をしていただきたいのです」


 アムネシアは笑みを崩すことはなかった。ジルの言葉は彼女にとって予想の範疇だったのだ。

 彼女がジルを王都へ派遣しようと決めた時、彼がアルネラ派になるであろうことは予め想定していたことだった。


「あなたがアルネラ様に味方をするのは勝手だけど、私が王女を支持する理由はないわね。だけど、そんなことを言いに来るということは王位継承争いがついに本格的に始まったということ。それが分かっただけでも、あなたを王都へとやった意味があったかしら」


 アムネシアは本心を幾重にも鎧で覆い、ジルに相対していた。彼女も貴族の当主として、一族のために負ける戦をするわけにはいかなかった。情にほだされてアルネラに味方するわけにはいかないのだ。


「今回、ブライスデイル侯は大きな失敗をしました。それは我が王国を揺るがす重大なことです」

「失敗?」


「そうです。ブライスデイル侯の陣営は、対立するアルネラ様が障害になると思い亡き者にしようとしたのです」

「なに!?」


 アムネシアは思わず声を上げた。ジルの言った内容は、とても聞き逃すことができるものではなかった。


 何の証拠もなく大貴族を誹謗するほど、ジルが自分に甘えているとはアムネシアは思わなかった。ジルとの間には、上司と部下という線引をはっきりとつけてきたつもりである。であればこそ、根拠も無くアムネシアの耳に入れるとも思えないのだ。


「確かな証人もおります。実は今日お訪ねしたのは、アムネシア様に彼の話を聞いていただきたいからなのです」


 アムネシアは、彼らの話を聞くのは危険な気がしていた。だが、真実から目を背けることは彼女の信念に背くことであり、武人としての矜持に反することであった。


「分かったわ。連れて来なさい」

 アムネシアの答えを聞いて、ジルは第一の関門は何とか突破したことに安堵していた。


**


「彼はメイダム男爵リュッシモン様の家来ゼラー殿といいます」


 リュッシモンの名を聞いて、アムネシアが形の良い眉を釣り上げた。彼女はリュッシモンに全くと言ってよいほど好意を持っていなかった。悪い意味で典型的な貴族、およそ武人として生きるアムネシアとは対極的な生き方をしている男である。


 ジルに紹介されたゼラーは、アムネシアの前まで進み出ると貴族的な礼をした。

「お初にお目にかかります、アムネシアさま。かの高名な女将軍にお目にかかれて光栄です」


 ゼラーの言葉は必ずしもお世辞だけではなかったが、アムネシアの心を一ミリも動かすことはなかった。


「それで? 何を言いに来たのかしら?」

 アムネシアの冷たい視線がゼラーを突き刺している。彼はそれを感じながらも、少しも動揺する様子はなかった。


「いまジルフォニア殿が述べたことは全て事実です。私は男爵の命により、アルネラ様を暗殺するようドランゴヘッドに依頼をし、そしてアリア祭で犯人が暗殺しやすいように手引いたしました」


 ゼラーはジルとゼノビアの前でした話を、もう一度アムネシアに語った。アムネシアはじっと目を閉じて聞いている。恐らく心のなかでは様々な考えが駆け巡っているのだろう、とジルは観察していた。


「その話、お前の証言以外に証拠はないの?」


 そう問いながら、アムネシアは自分が無理を言っていることに気づいていた。このような重大な事件を起こす人間が、無様にも証拠など残すはずもないのだ。


「残念ながら。後は現在の状況を背景に、私の話を信じていただくしかありませんな」


 アムネシアにはゼラーという男が嘘を付いているようにはみえなかった。そもそもそんな嘘をつく理由が分からない。いくら報酬を約束されたとはいえ、今回の証言はこの男にとて非常にリスクが高い。ジルもそれが分かっていて、ゼラーを利用しつつも申しわけなく思っているくらいだ。


 この男の狙いは一体何なのだろうか? そう思ったが、ゼラーの様子を見るに正直に本心を語るとも思えなかった。この男には何か修羅場をかいくぐって来た者特有のふてぶてしさがあるのだ。


「ブライスデイル侯のなさりようは、王室への反逆とも言えるかと。このシュバルツバルトを、侯のいいようにされてはなりますまい」


 アムネシアはジルの言葉に無意識に頷いていた。確かにゼラーという男の言う通りであれば、アムネシアには、ブライスデイル侯は越えてはならない一線をすでに越えてしまったように思われた。不正を憎む彼女にとって、それは反ブライスデイル派に回るに十分な理由ではあった。


 だが、同時にやはり解決されていない問題もあった。


「私がアルネラ様を支持したとして、ルヴィエ派に勝てるというの? ブライスデイル侯は王国貴族中最大の勢力を持つ。私が加わったところで倒せまい」


「アムネシア様、我々は何もブライスデイル侯を倒そうとは思っていません。帝国との戦いが続いている現在、王国は内輪で争っている場合ではないこと、それは誰もが分かっていることだと思います」


 現在の状況に一番辟易しているのは、むしろアムネシアかもしれなかった。帝国との前線にいながら、進攻することもできず、ジリジリとする毎日であった。ルヴィエ派の貴族たちの中には、ようやく権力を掌握できる状況となって活き活きとしだした貴族も多い。


 だが王国内で戦えば、帝国やバルダニアを利するだけのこと。大きな内乱ともなればそのダメージを回復するのに10年はかかるかもしれない。そうなれば他国を攻めるどころではない、逆にシュバルツバルトがその標的になりかねないのだ。


 近年王国の置かれた状況は良く、長年続いた帝国、バルダニアとの三つ巴の関係がシュバルツバルト優位で大きく崩れようとしていた。

 

 幼き時に憧れた将軍リシャールのような活躍を夢見るアムネシアにとって、王位継承争いは絶好の好機を失わせる愚行と言ってよかった。だからそんな中で「はしゃいでいる」貴族たちを、彼女は苦々しく思っているのだ。


「だが戦わずしてこの争いは収まるまい」

 戦いは甘いものではなく、非情である。アムネシアはジルが甘いことを考えているのではないかと思った。


「当然一度は戦わざるをえないでしょう。ですが、それは必要最小限に止め、こちらはブライスデイル侯に味方した貴族であっても一部を除いて新体制に受け入れるつもりです。これも全ては王国のため。私がアルネラ様を支持するのも王国のためを考えればこそです」


「あなたの考えはよく分かったけど、先ほどの私の問いに答えてないわね。ルヴィエ派に勝てる算段があるの?」


 アムネシアはジルを値踏みするような視線を向けている。


「正直なところ明確にあるとは言えません。ですが、これからレムオンさまとクリスティーヌさまを説得するつもりです。アムネシア様が同心していただければ、その可能性はずっと高まるはずです」


 結局は自分頼みなのか、アムネシアはやや失望した。


「お二人とも現在の国難を理解しておられると思います。何とかして味方につけ、争いを早急に終わらせるつもりです。ブライスデイル侯がアルネラ様より寛大なはずがありません。もし侯が優位に立てば、対立した貴族たちに激しい報復がなされ内乱が早々には終わらないことは必定。それだけは避けなければなりません」


 アムネシアはジルの見通しが甘く、実現性が決して高くないことが分かっていた。いや、ジルはそれが分かっていながら、彼女を勧誘するためにはそう言わざるを得ないのだろう。


 だが、逆に頷けるところも多い。ブライスデイル侯が勝った場合、確かに王国はより多くの血を見るだろう。やはり侯を勝たせるべきではない、アムネシアはそう考えるようになっていた。そして、それに自分が力を貸せるとすれば、それも立派な「将軍」としての貢献ではないのか、とも。


「レムオン殿とレント伯は私より手強いわよ。心しておくのね」


 アムネシアは椅子に深くもたれかかり、ジルに微笑みかけた。その言葉は、彼女がアルネラ派に与する意思を表明していた。

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