[三題話]とある少女の恋事情
「いやあ、春だねえ」
「春だねえ」
ぽかぽかとした陽気の下、陽菜は友人の結理と一緒にお昼のお弁当を食べていた。
「春ってさ、眠くなるよね」
「なるなる。授業中とか、たまんないよね」
「そうそう。それで寝ちゃってさ、テスト前にピンチになるんだよねぇ」
「わか……らないかな、それは」
「そう?」
そんな、どうでもいいことを言いながら、ヘラヘラと笑う。
中二の春。
中一のドキドキに満ち溢れていたこの時期に比べたら、なんとも緩んでいる気がしないでもない。まあ、この学校になれた、ということなんだろうけれど。
「あ、ねえ陽菜」
「ん、どした?」
「あれさ、うちのクラスの三田くんじゃない?」
「ん〜?」
結理が指を指した先、何かの偉人の銅像のあたりで見知った顔がいた。
こちらはいい感じに校舎の影になっているので、あちらからは見えないだろう。それをいいことに、二人は何かソワソワしている彼の姿を遠目で見つめていた。
「あれかね、恋人待ち?」
「というか、これから告白するか、呼び出されたんじゃない?」
「どっちだろう、三田くん自分から行くタイプじゃないよね」
「呼び出されたかな〜。そんな噂、聞いたことないけど」
「どっちにしても、ドキドキだよね」
さすがに声が届くとまずいので、聞こえないようにヒソヒソと話す。
あの銅像は、この学校内では結構有名な告白スポットだった。
二人の中学校は東校舎と西校舎に分かれており、東校舎には普通の教室が、西校舎には音楽や美術用の特別教室が多く配置されている。
そして、あの銅像は西校舎の影に建てられており、東校舎からは全く見えない。
そんな訳で、先生や生徒がいない休み時間や放課後は、あの銅像は狙い目だった。
そして、陽菜達が今いる場所は、その告白スポットを覗ける絶好の立地だった。これが意外と知られていないもので、この場所を見つけてから半年ほどの間、彼女達の前で十数組のカップルがベタ甘な展開を見せてくれていた。
「いや〜、しかしさ」
「うん?」
三田くんの待ち合わせ相手はまだ来ないらしい。退屈したのか、結理が口を開く。
「こうして結構な数の告白シーンを見てきた訳だけどさ」
「うん」
「私達自身にそういう話って、全くないよね……」
「あ〜……うん」
テンションが一気に落ちるのを感じた。
陽菜も結理も、そういう相手はいなかった。そんな浮いた話題に上がることすら皆無だった。
「まあでも、これからじゃない? 小学校でそういう付き合う付き合わないの話なんてできる訳ないしさ。ほら、男の子って、私達よりも精神年齢が低いっていうじゃない」
そう言って、陽菜は苦い笑みを浮かべる。
実際、周りにいる男の子達は子供っぽく感じられて、あまりそう言った気分にはなれない、というのが陽菜の印象だった。
中学生になっても、根本的なノリが小学生とほとんど変わらない。そんなノリが、陽菜はどうしても好きになれなかった。
「陽菜は、大人っぽい方が好きだもんね。高校の先輩とか、いいんじゃない?」
「それはそれで相手にされなさそう……。周りに私よりも大人な女の人がいるじゃん」
年上好き、という訳でもない。高校生の男の人に憧れる感情がない訳でもないが、それは何というか……そう、テレピの中の俳優やアイドルを見て憧れるような感情と変わらないように思えた。
要するに、
「どういうのがタイプなのか、とかわからないんだよね。誰かのことを好きになるというか、好きになったこと、ないし」
結局、それに尽きる気がした。
初恋はレモンの味、だっけか。あれ、それはキスの話だっけ? まあ、どっちでもいいけれど。
そんな、甘酸っぱい感情に憧れこそすれど、そんな感情が胸の中に生まれたことは、生まれてきてから一度もなかった。
そんな陽菜に、今度は結理の方が苦い笑みを浮かべた。
「そんなこと言ってると、せっかくの青春を逃すかもよ?」
「まだそんなに焦る時期でもないでしょ。……あ、ほら、来たよ。あの子じゃない?」
視線の先で、三田くんの待ち人が現れた。
三田くんはいつも通り、を装おうとしてるのがバレバレだった。それが何とも言えず間抜けで、だからこそ可愛らしく見える。
「ああいうところが、女の子に好かれるのかもね」
「そんな言い方してると、何かおっさん臭いよ?」
「かもね、実際はおっさんなのかも」
言って、くすくすと笑う。
そうしてる間にも、目の前でラブストーリーが展開されていく。
どうやら、呼び出したのは女子の方だったらしい。女の子の方は知らない顔だった。リボンの色を見るに、後輩の女の子らしい。
顔を真っ赤にしながら、たどたどしく何かを言っている。多分、自分の内で暴れまわる感情を。
それを、三田くんは照れたように頬をかきながら、でも真正面から聞いていた。
そんな光景を見ていると、何だか少し羨ましく感じてしまう。
「あ〜あ、私もあんな恋、してみたいな」
「陽菜は初恋まだなんだっけ?」
「そ。だから他の人のこういうラブラブな光景見てると羨ましくなるんだよね」
だから、ここで見てるのかも。
そう小さく呟いて、陽菜は視線を弁当に戻した。
あまり見ていると、それはそれで何となく嫌になってくる。他のみんながああやって青春しているのに、自分はどうしてかそれに混ざれないのが、モヤモヤしてしまう。
「結理は? 前、狙ってる人がいるって言ってたよね」
「……実は、彼氏がいるってわかっちゃってさあ」
「あらら」
隣で結理がため息をつくのが聞こえた。
好きになった人が手に届かないというのは、それはそれで辛いことなのだろうな、なんて他人事のように考える。
「まあ、うまくいかないよね」
「なかなか、ね」
顔を見合わせ、同時にため息をひとつ。
この二人の恋路は、なかなか前途多難そうである。
「……あ、見て見て。うまくいったみたいよ」
「ほんとだ」
二人が照れ臭そうに笑いあいながら、手を繋いでいるのが見えた。
その顔が本当に幸せそうで、陽菜の心の中にまた「羨ましい」の雫が一滴落ちる。
「……あの二人がうまくいきますように」
「……ん、そだね」
「ついでに、結理の恋も」
「私はついでかよ。……じゃあ、私もついでで陽菜にいい恋人ができるよう祈っておいてあげる」
「ありがと」
そんなことを言い合う二人の間を、暖かい風が吹き抜ける。
暦の上では春だが、この二人に春が訪れるのは、もう少し先の話。