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リシアンの契約 ~呪われた世界と聖なる夜の仔~  作者: 水森已愛
第五章 『リシアンの契約0』 ~アウト・ヒストリア編~
49/51

~そして、彼(そ)の名を歌う~ ―前編― “愛に染まる”



僕はこの日、お義母さんを亡くした。


とうとうか、と覚悟はしていた。

だってその躰は、とうにやせ細っていって。


しゃべれる時間もだんだん減っていって、ああ、またか、なんて思っていた。


最期は、あっけなかった。

僕が学校に行っている間に、お義母さんは、ひっそりと息を引き取った。


後から聞いた話だが、僕には危篤きとくを伝えないで、と医師や看護婦の人達は、口添えされていたらしい。

あの常闇の世界で味わわせた、辛い、辛すぎた別れの瞬間を、二度とあの子には味あわせたくないのだ、と。



勝手なんだよ、と、川辺を歩きながら思う。

ふいに、喉の奥から、嗚咽おえつれだした。




とうに、授業は終わっている。

一緒に帰ろう、と言ってくれたトオヤやリキアを押しのけて、僕は一人でここまで帰ってきた。



ひとり、でいたかったんだ。

だって、最初から、ひとりだった。


人はひとりで生まれて、独り死んでゆく。

それだけのことだろ?


……でも。


躰を抱きしめて、しゃがみこんだ。



その時、僕の傍らを、通りすぎたものがいた。


その子は、河原の石を綺麗によけながら、すたすたと歩くと、そのまま川に身を沈めた。



「な……っ!!?」


慌てて、僕も飛び込んだ。


ばしゃん!! と、水滴が飛び散る。

――冷たい!! 寒い寒い、寒い!!


こんな冬の川に飛び込むなんて、どうかしてる!!



「なにやって……!! リキア!!」


「ああ、僕だ、リシアン」


濡れそぼって冷え切った体を抱きしめると、リキアは平然と言った。


「なんでこんなことを……!! おぼれたらどうするの!?」


「溺れるような水位でもないだろ。だいたい、僕は死なない、と言ったろう?」


灰がかった薄青の瞳は、ひとかけらの感情も語らなかった。



「何言って……! ここは、昼の世界だよ!? あっちとは違うんだ! 溺れたら死ぬ!! 簡単に死ぬんだ、人間なんて!!」


「果たして、そうかな」


リキアはそこではじめて、唇の端をつりあげ、皮肉めいた表情を作った。


「お前が思うほど、人は強い。少なくとも、僕は、お前を置いては死なない」


「勝手なことを! 守れない約束なんて……!!」



――しないでよ!! と叫ぶ唇は、ふさがれた。


冷たくて柔らかいものが、僕の唇に触れ、そっと表面をなめると、離れていった。


「約束する。リシアン。僕は、死なない。なあ、リシアン、知っているだろう? 僕はしぶとい。多くの者の運命をねじまげてきたあちらの魔法が、こちらでも使えないと、どうして断言できる? 実際に、お前は紫緒しおを呼んだろ。ならば、僕は不死を呼ぶだけだ」


白の精霊、イモルティア<不死の涙>を、とリキアは言った。


「リキ、ア……」


愛世あいせ、と」


愛世と呼んでくれ、とリキアは言った。


「あい、せ?」


「そうだ。愛染愛世あいそめ・あいせ。愛に染まり、世界を愛す。死んだ母が僕につけた名前。僕は、愛人の子だった。だから、認知されなかった。母が死ぬと、親父の息のかかった孤児院に入れられた。……なんとも愉快な人生だろう?」


その唇は笑っていたが、目は笑っていなかった。


「リキア」


「愛世、だよ」


リキアは、繰り返し言った。

それは、たしなめるようなそれだった。



「でも、お前とあちらで出会って、僕は、はじめて世界を愛したいと思った。誰かを……お前を、愛したいって」


「愛世」


「そうだ。母は、僕に愛してほしかったんだろうな。世界を、誰かを。だから、不遇な人生を歩むことを知っていて、こんな名前をつけた」


「あい……」


リキアの、愛染の言葉を止めたくて、僕はもう一度、その名を呼ぼうとした。


「ふふ。いい名前だろ? 今では、結構、気にいってるんだ。お前のおかげでな」


「でも、僕は」


僕はグリシーヌを選んだのに。



「でも、もくそもない。世界を憎んでいた僕を、お前だけが受け止めてくれた。僕はお前を呪って殺そうとしたのに、こんな呪われた僕に、祝福をくれた。その日から、お前は僕の特別になった」


「…………」


困惑したように唇を噛むと、リキアはそこに触れた。

つい、と指先で、なぞられる。


「お前は、この心臓こころの、一番柔らかいところに、触れてくれた。だから僕は、お前に恋した。お前なしでは、いられなくなった」


「こころの?」


「ああ。一番奥に隠した、大事なところだ。そんな場所にお前はためらいなく触れて、口づけた。その瞬間、お前が欲しくなった」


「え……」


「運命だと思った。お前に出逢うために、僕は生まれてきたんだって。だから、お前に言うよ。リシアン。……涙花るいか。お前の涙は、僕がなめとる。だからお前は、綺麗に咲いていろ……」


そういって、リキアは、僕の顎をつまんだ。


吐息が鼻息にかかる。


鼻が触れ合って、そこではじめて、リキアは、ためらうようなしぐさで、一歩引いた。

その頬が赤い。真っ赤だ。


「だから、その……」


リキアは、目を伏せて、震え始めた。




「……リキア」


びくっ、とリキアが、肩を震わせた。 



「―─リキアリキア……リキア!!」



ぼくは、そんなリキアを抱き寄せた。


ひっし、と抱きしめた、その腕が震えている。

濡れそぼった体が、熱くてあつくて、たまらなかった。



「り、りしあ……」


リシアン、と言いかけたリキアの唇を、すばやく奪った。


「――ん……む……っ!!?」


リキアの狼狽ろうばいが、伝わってくる。


その唇を離したときの、リキアの潤んだ瞳に、ぼくは確かに欲情した。


もうなにもかも吹っ飛んで、ぼくはもう一度その唇を貪った。


ぼくのなかの幼い、幼かったはずの獣が、おおぉぉん、と叫ぶ声を、ぼくは聞いた。

確かに、聞いた。聞いて、しまった。


もう、偽れない。もう、隠せない。


なにもかも捨ててしまったっていい。

ただ、きみが、リキアが、<愛染>が欲しい。


リキアの顔がみられない。ぼくは、なんて汚い。



グリシーヌのことをすきだった。

――いつだって、彼女のことばかり考えていた。


甘酸っぱくて、穏やかで。夢見がちな、恋だった。


その淡い夢を、突き破るように、食い破るように、その感情は生まれた。


リキアが欲しい。

リキアを、ぼくだけのものにしたい。


なんて醜いんだろう。


守りたいとか、包んであげたいとか、最初は確かに綺麗だったはずの感情が、どろどろと渦を巻いて、ぼくの心を踏み荒らし、全身の血液のなかで暴れまわり、のた打ちまわる。


もう、なにを信じていいのかもわからない。


ぼくはもうヒーローでさえない。ヒーローになんてなれない。


こんな感情、もう消えてしまえ! えぐり取って、死んでしまえ!



「……リシアン」


リキアの声で、はっと目がさめる。


スローモーションのように、リキアの顔が近づいてくる。



……ちゅっ。



伏せられた睫が、花開くようにその全容をさらす。


灰色にかげるその薄青色が、まるで聖なる水のように、ぼくの心を洗い流す。


「……リシアン。お前は皆のヒーローなんかじゃない。お前は、ただ、僕だけのヒーローだ……。お前の独占権は僕にある。お前の悩みも、痛みも、ぜんぶ僕のものだ」


「お前は清らかなんかじゃない。お前は正しくなんかない。普通の少年で、平凡な子どもだ。いくらでも間違うし、それでいい」


「僕が正してやる。間違ったらなぐるし、うまくできたら抱きしめてやる」


「僕がいる。だから、あんな女豹はやめて、僕にしろ。 僕をお前のものにして、お前を僕のものにさせろ」



──だから。



「――契約しろ、リシアン。僕と病める時も、健やかなるときも……、僕の隣で、僕のことだけ考えていろ……」


強気な口調とは裏腹に、リキアは必死な顔をしていた。

歯を食いしばるようにして、その綺麗な顔を歪ませていた。


心が、どくん、と音を立てる。



とくとくとく……。


心臓の鼓動が、まるで息を吹き返したように、穏やかに溢れ、流れ出した。

ああ、なんて音楽だろう……。


こんな音色は、聞いたことがなかった。

こんな、浮き立つような色をした、歓びの歌<カンタータ>は。


奏でるリズムのままに、ぼくはもう一度リキアを抱きしめた。



「うん……」


誓わせて欲しい。この不実なぼくですら、きみが赦すというのなら。

きみのその決意に、応えよう。


あの日、ぼくがきみを赦したように。


赦し、赦され、愛し、愛されることを。

彼女と共に、羽ばたくことを。


神様、あなたは許してくれますか——?





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