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リシアンの契約 ~呪われた世界と聖なる夜の仔~  作者: 水森已愛
第五章 『リシアンの契約0』 ~アウト・ヒストリア編~
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“愛染” “篠乃” ~ひとつの願いが芽吹くとき~




「元気かクソババア!」



昼下がり、少女は大きな声でどんどんと扉を叩いた。



がちゃり、とオートロックの鍵が、音を立てたのを確認して、

少女は堂々と診察室しんさつしつに入った。


「よう小娘。

 相変わらず貧相ひんそうな体じゃが風邪など引いておらんか?」


コーヒーを飲みながらカルテをみていた赤毛の女医が、

古くさい口調で答える。


年は30を超えているが、起伏きふくのある体つきと、肉感的な唇が、

なんともいえない、アダルトな色気を醸し出している。


その表情は老獪ろうかいだが、いたずらっぽい瞳との対比が、

ちょっとしたギャップを感じさせる。


「ぼくが風邪などひくわけないだろう?

 年増としまこそ、

 医者の不養生ふようじょうなどしていないだろうな?」


相対する少女は、伸ばしかけのボブカットに、絹のような白い髪、

そして兎のような赤い瞳をしていた。


ワインレッドのキュロットスカートから伸びる足は、

すらっとした健康的なものだが、白い陶磁器とうじきのような肌は、

どこか深窓しんそう令嬢れいじょうを思わせる、

無垢むくはかない印象だ。


それでいて、どこまでも強気で不遜ふそんな態度なのだから、

そのすべてが否応いやおうなしに目立つ。

――少女の名は、愛染愛世あいそめ・あいせという。


「甘くみてもらっては困るの。わらわは万能なのじゃぞ。

 低俗ていぞくな病など、あちらから逃げていくわ」


ババア……もとい女医である神宮篠乃じんぐう・しのは、

赤いポニーテールを揺らし、かかっと笑って答えた。


「それはよかったな。

 まあ今日は、特別に差し入れを持ってきてやったからありがたく食えよ。

 ババア好みの羊羹ようかんだ」


愛世は、ぐいっと紙袋を差し出した。

老舗しにせの高級菓子だということは、包装をみれば明らかだが、

愛世はこれといってお金に不自由していない。

だから、気軽きがるに渡したつもりだったようだが。


「ガキが、気など使うなと言っておろうが、気持ち悪い奴じゃの。

 まあ、ゆっくりしていけ。

 そして成績を落として小僧にフられろ」


「余計なお世話だ、三十路みそじいき遅れ。

 ぼくとリシアンは、永遠に両想いに決まっているだろうが」


少女の口調と態度は、一貫いっかんしてまったく少女らしくないうえ、

不遜にもほどがあるが、女医はまったく気にするそぶりがない。

ようするに、このふたりは旧知きゅうちの仲なのだ。



「あっそう。どうでもいいが、

 そなたのその無意味な自信はどこから来るんじゃろうな。

 グリセリンとか言う小娘はどうしたんじゃ?」


「グリシ……女豹めひょうか。

 あんな年増としまはぼくのライバルとは言えないな。

 リシアンも、ぼくみたいな美少女が好みに決まっている」


グリシーヌは、れっきとしたリシアンの彼女なのだが……。

だが、愛染愛世こと、もと常闇とこやみの白の聖王、

リキア・エイドスには、並ならぬ自信があった。


自分は絶対にリシアンをモノにすると、最初から確信しているかのような。

……実に攻め攻めの、肉食系女子である。


だが、そんな勝ち気さも、繊細な見た目と相まって、

確かに周囲の目を引く、チャームポイントといえるかもしれない。

ややおてんばがすぎ、かなり口が悪いことを除けば。


「はいはい。胸囲きょういBがよく言うわ。

 もっと栄養をつけないと惨敗ざんぱいするぞ? 肉を食え肉を」


「……ハッ。豚みたいにえろというのかこのぼくに。

 心配しなくても、もう作戦ははじまっている。

 あの女狐めぎつねが、どんな顔をして敗北するか見ものだな」


鼻で笑うリキアだが、見てほしい、足先がさっきからむずむずしている。


「……はーん。女狐ねえ。

 実はあの小娘のこと、結構気に入っておるじゃろ」


「……なっ……!」


リキアの余裕よゆうが崩れた。それも大きな音を立てて。

動揺どうようしたのか、目を丸くして頬を薔薇色に染めている。


「お友達になりたいなら、素直にそう言えばよかろうに。

 まったくお前はダメなやつじゃのう。千年前から何も変わっておらんな」


「ふん……! ロリババアこそなんだあの容姿は。

 若作りというより、詐欺さぎだろう。

 あの世界のことを持ち出すなら、ぼくも黙ってはいないからな。

 天女てんにょだか乙女(笑)だか知らないが、ババアはババアらしく、 うら若きこのぼくに、嫉妬しっとしてればいいんだ」


むりやりごまかした感がぬぐいきれない少女だが、

これでもあちらの世界では、千年にわたり少年のごとき姿で生きていた、

れっきとしたババ……いや言わないでおこう。


もっともこちらの世界では、見た目通り中学生なので、

これからが花ざかりなのだが。


「……ふーん」

篠乃はにやにやと笑った。


「なんだ気色悪いな。言いたいことがあるなら、言えばいいだろ」


「いや、お前も成長したなと思ってな」

篠乃は口調をがらりと変えた。


リキアはその顔を一瞥いちべつした。


軽やかで包むような微笑は、もうあちらの世界の神や天女ではなく、

ただの医者の、そしてただの女の顔だった。


そうして、その表情のまま、さらりとリキアの頭をなでた。


「よしよし」


篠乃はそれだけ言うと、もう軽口をたたかず、

うりうりとたのしそうに、その手のひらを往復させた。


リキアは、依然いぜんとして、いやそうに顔をしかめていたが、

されるがまま、その体をゆだねているようだった。



母のようだ、とリキアはひとり思う。


乱暴な手つきのなかに、優しさがあった。


いつか、と思う。

いつかこの医者の、娘になってやってもいい。


もうリキアは、誰をも呪わない。


――最初の願いは、かなえられた。


愛されたい。許されたい。

愛したいし、許したい。


その叫びに気づいてくれたのは、ほかでもない思い人、リシアンである。

タールのような、終わりの見えない闇に、光を灯したのは、彼だった。


少女は恋をした。


そうして高鳴る鼓動こどうに気がついた頃には、


心臓を突き破って、のどから生まれ出づる、

怨嗟えんさ渇望かつぼうは満たされ、


羽ばたき、青空の彼方へと消えていた。



だから、この願いも、もうすぐかなう気がして。


リキアは、気づかれないようにその口元をほころばせた。



――愛染愛世は、世界を愛している。



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