“理緒Ⅱ” ~ひとつの恋が叶うとき~
「御前は、なぜ我にこだわる?
御前なら、いくらでも相手がいるはずでやんす」
「…………」
直球だった。
ごまかしのないその問いは、
乱雑な口調に包まれた思いやりだった。
それでも、わたくしは、口を閉ざし、本心を隠すように、上品に笑んだ。
「――なにか、理由があるでやんすか?」
気遣うようなその言葉に、わたくしの心は緩んだ。
「わたくしは汚れた女なのですわ」
それで話は終わり。諦めたように、わたくしは言う。
理由など、言えるはずもない。
こんな自分が、恋など、ちゃんちゃらおかしい。
まともな恋など、ひとつもしてこなかった。
こんなわたくしが、告白なんて。
ずるいわたくし。臆病なわたくし。
紫の神になっても、やはりわたくしは、わたくしなのだ。
「それがどうしたでやんすか?」
「――え?」
聞き返す。
真意を測りかね、わずかに戸惑う。
「汚れたら、洗い清めたらいい。それだけの話でやんす」
まっすぐこちらをみつめると、照れたように、ぷふん、と言い捨てる。
「どういうことですの?」
「どういうことでもないでやんす。
……青の国の辞典でも読んだらどうでやんすか」
青の……?
すぐに合点がいった。癒やし、清め、祝福の言霊を与える。
それが、青の国の魔法――……。
ぶわっと、なにかが咲き誇る音がした。
木蓮の香りが、あたりを満たす。
いや、それは錯覚だ。
でも、この胸のなかには、確かに咲いた。
涙が溢れる。
口に両手をあてて、わたくしは震えた。
「……プロポーズですの?」
冗談めかして、それだけ言う。
声は少し震えた。
「――勝手にするでやんす」
再び聞こえる、ぷふん!という鼻息。
なげやりな言葉も、正反対に素直な反応も。
すべてが愛おしい。
「……じゃあ、勝手にしちゃいますわ」
思いっきり、その体を抱きしめる。
腕のなかで、じたばたとするその姿に、嬉しさがつのる。
シオンさま。
わたくしを救う、ちいさくておおきい殿方。
今だけは……今だけは、わたくしのものですわ
過去なんて、どうでもいい。未来なんて、不確かなものはいらない。
ただ、今ここに、この胸に、シオンさまがいる。
愛しい、ちいさな、素敵な紳士が。
それだけでもう、この胸はいっぱいだ。
ああ、神さま。
あなたはなんて、麗しい。
あの時の気持ちが、蘇る。
この方にお会いした、あの興奮を。
新しい名前、新しいわたくし、
そして、新しい繋がりを戴いたことを。
紫の神として、迷える人々を導くうちに、
いつしかわたくしは、讃えられ、崇められ、
愛されるようになった。
その代償は、孤独感をも生んだけれど。
わたくしは、もうただの「かわいそうな女医」ではなかった。
いや、かえって、知ってしまった。
わたくしときたら、自分だけが「かわいそう」だと思っていたのだ。
優れたプロポーションや、
女医という努力せずに手に入ったギフトに甘えて、言い訳の材料にして。
思考停止したまま、自分ができることを、探しもしなかった。
ましてや、自分がどれほど、祝福を受けているかなど、考えもしなかった。
そう。わたくしはかわいそうなのではなく。
ただ、愚かな女だったのだ。
もう絶望などしなかった。
だって、愚かさは、変えられる。
常闇の世界で得た、非現実の力は、対する昼の世界では、
かけらも用いることはできなかったけれど。
わたくしは、もう迷う必要はなかった。
あの時の言葉が、胸で踊る。
『御前は、知恵の神ミュステーリオン。
御前にひとつの美しい国と、たくさんの迷える民を託そう。
御前が、御前であるために、御前が、迷わぬように。
――御前の望みを叶えよう』
わたくしの願い。
それは、もうわかりきっていた。
もう、ためらわなかった。
ただただ、夢中で、シオン様の、その小さな手を取る。
「……? 御前……」
軽やかに、ステップを踏む。
(シオンさま)
(……シオンさま)
(シオンさま!!)
「……うぷ……っ! 回るなでやんす!
め、めが…まわ…Rう○×AもがB◎Q…」
奇声をはっしたあげく、きゅう、と気を失ってしまったシオンさまを、
もう一度、しっかりと抱きしめる。
(……だいすきですわ。わたくしの初恋の殿方)
きっと、この気持ちをしまっているかぎり、
わたくしは、二度と折れたりしない。
咲き誇ろう。美しく誇り高い紫の女神として。
そして、ひとりの女医・理緒として。
その道のなか、また迷うこともあるだろう。
でも、あの日、わたくしを照らしてくれた光は、
けっして消えたりしないのだ。
――また、歩もう。
――今度は、前を向いて。
わたくしを導いてくれた、あの殿方にふさわしい、
素敵な淑女になれるように。
だから、シオンさま。
「愛していますわ……!」
きっと、聞こえていないだろうけれど。
わたくしは、永遠にあなたのしもべ。
たとえわたくしが神でなくなっても、心はあなたのもとに。
あなた様こそ、わたくしの主さま。
わたくしの初恋を、あなた様に捧げます。
だから、今だけは、わたくしと踊ってくださいませ。
だいすきな、だいすきな、優しい子猫さま。




