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リシアンの契約 ~呪われた世界と聖なる夜の仔~  作者: 水森已愛
第四章 『リシアンの契約β』 ~ディヴァイン・ビギニング編~
40/51

~きみの、“ほんとうの願い”~ -後編-


『 御前に、この我を語る権利は無い…… 』




めらめら、と吹き出す藍色あいいろ業火ごうかをまとい、

そのからだが、みるみるうちにふくれ上がり、燃えあがる。


廃墟はいきょと化した城を、突き破るようにして、

その巨躯きょくが姿を現した。


群青色ぐんじょういろからだは、

まるでひとつの巨大な雲のように、天をおおっていた。

金貨色きんかいろだった眼は、まるで……燃え上がる黄金の炎だ。


めらめらと激しい怒りをたたえた、

でも、どこまでも高貴な、美しい炎が、ぼくの眼に焼付いた―-。




――鐘の鳴る音がする。


それは、ぼくの知らない紫緒しお

ぼくの知らない――<運命の序曲>……。


紫緒は――いや、<オラキオス>は言う。




『灰の神は死んだ。おおかた、その霊力を奪い取ったのは、御前だろう?

 我をあなどるなら、その命、なきものと思え…… 』



もう一度、奏でられた、荘厳そうごんなパイプオルガンのような声。

響きわたるというより、響き壊すように、びりびりと鼓膜をふるわせる。

その衝撃に、もろい壁の数々が、崩れ落ちた。



「――ふん。その程度のこけおどしで、我が怖がるとでも?

 いかにも。灰の王は我、灰の神の力を我がものにしたのは、我じゃ。


 だが、誰が我を責める?

 破滅の神、の神の力の暴走により、灰の国は壊滅した。

 荒廃こうはいした国に彼は必要か? 否じゃ。


 神が国を滅ぼすなら、我こそが神になる!

 彷徨さまよえる子ども、

 絶望に幸福を望む子らに、ひとときの夢を――。

 

 その我が間違っておると、お主は申すのか――!?

 無知な子どもをだまし、その信頼を裏切ったお前が――!」


紫緒の動揺どうようが伝わってくる。

びりびりと、ぼくの指のはしまで。


「……紫緒」


ぼくの声に、紫緒はその膨れあがった体を、ランタンに収めた。


「――我はただ……」


「わかってる」

ぼくはちいさく微笑んだ。


紫緒は、いつだってぼくの味方だ。

戦う力を持たないぼくを、いつだって守ってくれる。


紫緒は、ぼくを騙そうとしていたわけじゃない。

ただ、言えなかった。自分が最高神で、神霊しんれいだったなんて。


そして今は、ただの使い魔の力しかないなんて。


そんな弱音は――吐きたくなかったのだ。

そんな不安は――みせたくなかったのだ。


唯一の家族を失い、途方とほうに暮れたぼくを想って――……。


「ザラスシュターさん。

 あなたは、少しも、間違ったことをしていません。

 灰の国は、ひどい有様ありさまでした。

 飢え渇くひとたちが彷徨さまよう、死の国。

 

 弱いばかりの灰の子どもたちは……。

 いえ、灰の国にかぎったことじゃない。

 

 他ならぬぼくたちは、しあわせなゆりかごを欲した。

 甘く、やさしい、常闇とこやみの夢……。

 ぼくは、忘れるところでした。

 

 この常闇の世界……それはあなた、

 ザラスシュターさんが生み出したものですね?

 

 現実と夢の狭間はざまで、

 ぼくは大きな怪我けがった。

 

 それを癒したのは紫緒だった。

 でも、ぼくの脳はそれを認識できなかった。

 

 だって、ザラスシュターさん、あなたがこの世界の動力どうりょく

 <ドリームエンジン>の開発者なんでしょう……?」


灰原賢悟はいばら・けんご

全世界に散らばる、いわくつきの大病院の管理者。

それが、ザラスシュターさんの、昼の世界での顔――。


白鐘しろがねさん――常闇の白の神が話していた、

ドリームエンジンとは、これまでの情報から想像するに、


おそらく、ぼくたちの脳内に存在する、

エンドルフィン……セロトニン。


快楽と幸福をつかさどる脳内物質を操作する、なんらかの装置だろう。


その仕組みは、ぼくたち無学むがくな一般人には、

とうてい、うかがい知ることはできない、

いわば、超科学技術<オーバーテクノロジー>。


「……ほほう? お主、やはり……。

 その超人的な直観力、青の国の最高峰さいこうほうの仔の証とみた。

 瑠璃るりの魔女が、お主を育てたのも、必然か。

 

 さすれば、オラキオス。

 ……おまえこそが、かつての青の神というわけか。

 

 なるほど、合点がてんがいったわい。

 濃度、密度共に、最高峰の癒しの力…。

 じゃが、その力は、ほとんど枯渇こかつしておる。

 いったい、どれほどの禁忌きんきに手を染めれば、

 そこまでちることやら。


 リシアン……いや、“涙花るいか”。

 その顔には、覚えがあるぞ。

 転生したのは、リキア・エイドス……

 “愛染”だけではないというわけか」


「……っ?」


――転生。

常闇の最高神、篠姫さんのみに許された力。

もしかして、紫緒が今の紫緒になったのは……。


「そう、すべては、お主のため。

 そうじゃろう? オラキオス、いや青の神、オラシオン。

 お前は愚かにも、自らの名前ごと、存在ごと、にえとし、

 かつての<涙花>をよみがえらせたのじゃろ?」


「――ぼくの、ため……?」


茫然ぼうぜんとしながらつぶやく。


紫緒が、ただの使い魔におとしめられたのは、

ぜんぶ、ぼくのせい……?


ゾロアシュトラ教の最高神、オラキオスから、青の神オラシオンに。

そして最後には、ただの使い魔――<紫緒>に、ち。


ぼくを治癒ちゆするために、その力を使い果たし、

その紫緒としてすらも、この世に存在できなくなった……。

 

ツァラトゥストラさん……メイエル・ザラスシュターさんに、

眠りについたその心臓<アルミナ>を呼び覚ましてもらわなければ、


そのまま二度と、生き返ることもなく……。

もしかしたら、ほんとうに、この世界から消えてしまったかもしれない。


いや。絶望してる場合じゃない。

<かつての涙花>とは、いったい誰のことなんだ……?! 


「……ザラスシュターさん」


足がすくむ。唇が震える。それでも聞かなければ。

紫緒がぼくに隠していた、「ぼく」という存在の真実を――!


「……もうよい」


ぶわ…!

青い花びらが、またたくまにあたりに咲き、散りほこった。


ただよう木蓮もくれんのにおい。


紫緒。

いや、オラシオンは、その天をつくような体を花開かせ、重い唇を開いた。

 

「リシアン……まずは、我の謝罪しゃざいを聞け。

 我は、御前をだましていた。御前に偽っていた。

 

 我は本来、御前の使い魔でも、

 ましてや古今東西ここんとうざい羅針盤らしんばんでもない。

 

 我は、あまねく願いにより、形造かたちづくられた、

 信託しんたくの神、オラキオスのなれの果て。

 

 そして、御前こそ、我、かつての青の神、オラシオンの唯一の息子……、

 涙花<ルキア>の生まれ変わりなのだ…」


――ルキア。

その名前は、まるで、青の王ルキウスさんと、白の王リキアの混合……。


いや、リキアは虹の神、篠姫さんの手によって、

ルキウスさんの妹として転生している。


神の子は王。

だとしたら、ルキウスさんは、そしてぼくという存在は、いったい……?


『ルキウス……<粉雪>とは……御前のうつ――。

 いわば泡沫うたかた影武者かげむしゃ

 

 ゆえに<粉雪>は昼の世界では、けして存在しぬ。

 御前という、本物がいるかぎり、

 ルキウスは同じ時の中、生身なまみたもてない。

 

 精神でしか、霊体のみでしか存在することは叶わぬ。


 虹の神、篠姫之大神しのひめのおおかみの、

 胎内たいないに一度は存在を許されていたが……。

 

 大神の力の代償は、他者の願いをすべて叶える代わりに、

 自分の願いすべてを棄却ききゃくするという、

 最も苛烈かれつなる呪い。


 常闇の呪いは、なくならない。

 なぜなら、その呪いこそが祝福の代償だいしょう


 人々の願いこそが、

 この世界を動かす唯一の動力<エンジン>であるならば、

 人々の昼の世界での絶望こそが、その動力源<エナジー>。


 ふたつの世界は、お互いにお互いを片翼かたよくとし、

 もはや、お互いなしでは、存在しえない。


  朝顔あさがお

    昼蝉ひるせみ

       黄昏たそがれ……

         ――そしてこの、常闇の世界にしても同じ。


 互いを縛り、互いを支えにし、

 永遠につづく写し鏡のように、同時に存在している。


 ドリームエンジンなどは、後付けの物にすぎぬ。

 ただ、相互変換成功率そうごへんかんせいこうりつを上げるだけの、 偶発物ぐうはつぶつ


 とうにこの世界は、終わりのない迷路めいろのなか。


 それは、常闇のメシア、<ルキア>にすら、

 改訂かいていすることはかなわぬ、

 絶対にして、不動ふどうの定め……」


 

 そこまで語ると、オラシオンはどこか遠い目を、ぼくに合わせた。


「……御前よ。この我のことが憎いか。

 影武者<ルキウス>に青の王をがせ、

 御前には、ただの仔としての幸福しか許さず。


 ついぞ一度も愛すことのなかった、この我を――……」


ぼくは、息を飲みこみ、そしていた。


「――紫緒。ぼくは、あなたをおとうさんなんて、呼ばない。

 だけど、憎むなんて、恨むなんて……。

 ましてや、愛されてないなんて、思ってない。


 きみは、確かに、実のおとうさんとしては、ぼくを愛さなかった。

 だけど、きみは、ぼくを普通の子として、

 友人として、相棒として……愛し、いつくしんでくれた。

 

 青の王とか、メシアとか。

 そんな重い運命を背負わせることも、期待することもなく。

 ただ、ぼくに平凡なしあわせをくれた。


 ……そう、きみが、ぼくに翼をくれたんだ。

 遠く、遠く。どこまでも飛んでゆける翼を。


 ――ねえ、紫緒。

 きみはぼくのために、すべてを投げ打った。

 ぼくのしあわせのために、すべてを捧げてくれた。


 でも、ぼくはそんなものは……いらないよ。

 きみのしてくれたことは、とてつもなく偉大だし、すごく嬉しい。

 

 ――ぼくのために。

 いつだってぼくだけのために、存在してくれたそのことに。

 その、まばゆい愛に。


 ぼくは……感謝したい。

 

 でもぼくは、きみの犠牲ぎせいなんて望んでない――。


 きみがいたから、ぼくは生まれた。

 涙花<リシアン>として、新しい人生を生きた。

 

 だけど、きみは、自分自身を粗末そまつにするべきじゃない。


 だから、ぼくはきみに返す。

 きみの大事な友達。ぼくの偉大な使い魔。ぼくの唯一の相棒。


 紫緒。きみに命令する――」



そう、これが、ぼくの最後の命令……ぼくが持てる、最大の権限――。


「“きみはぼくの使い魔なんかじゃない。

  ぼくの神、<青き聖なる炎>、オラシオンだ――!”」


微笑んだぼくは、両手にかき集めた花びらを、宙に放った。


柔らかくまばゆい、光の洪水こうずいが、ぼくの掌からあふれだし、

――青いばかりの美しい、美しすぎる花火が、その周囲を彩った。


甘くさわやかな木蓮もくれんかおりが、

廃墟はいきょに空いた穴を軽やかに抜け、灰色の空に飛び込んでいく。


――青空。

そう、聖なる青<ヘブンリーブルー>が、

くすんだ空を、一瞬で染め上げた。


それは、ほんとうにひとときの奇跡だったけれど。


――紫緒。ぼくの、永遠の相棒。

もうあなたは、ぼくにしばられなくていい。


偉大なその存在を、ちいさなおりに押し込めることも、

ぼくを騙したなんて、罪悪感にとらわれることも、

ましてや、使い魔なんて、

窮屈きゅうくつな契約を、まっとうすることもない。


「――オラシオン。

 あなたは、ぼくの神。

 ぼくはあなたに、ぼくを捧げる。


 誓わせてください。

 あなたに仕え、あなたのしもべとして、

 かんむりいただき、青の国に朝焼けをもたらすことを――」


ぼくは身体を折り、こうべれ、

その両手をそっと床につけた。


冷たく汚れた床が、清廉せいれんな空気にさらされ、

うつくしい純白の大理石だいりせきに変わってゆく。


「リシアン」


戸惑とまどったような声が、響くようにして聞こえるが、

ぼくは気にしなかった。


「……神さま。

 あなたの愛は、とても美しく、だからこそ、ぼくには重すぎる。

 

 どうか、その罪意ざいいから、ぼくを解放してください。

 そしてなにより、あなたを解放してあげてください。

 

 ぼくの臣下しんかとして生きるのではなく、

 あなたの臣下として、ぼくを使ってください。

 

 これが、ぼくがあなたにくせる、最上級のお礼です。

 あなたは、ぼくに最高の人生を与えてくれた。

 ぼくは、もう、それ以上を望みません……」


これがほんとうに、正しいことなのか、わからなかった。

それでも、これ以外にできることは、ぼくには、きっとない。


――罪滅ぼしのつもりなんかじゃない。


ただ、心をこめて、お願いしたかった。

ぼくから“紫緒”への、神さまへの、最後のお願いを。


鼓動こどう脈打みゃくうつ。

ぼくは、今、神さまにお願いしている。

いにしえの最高神。常闇の父なる神に――。


一秒、二秒、と静寂せいじゃくがつづく。


ぼくはいまさら、うろたえた。

土下座どげざで頼み込む。

神さまへは当然の作法さほうだ。最低限の礼だ。


けれど、彼は紫緒なんだ。

“紫緒”は、そんなこと望まないんじゃないか。


三秒、四秒。

鼓動が、激しく胸をたたく。

もしかして……もしかしてぼくは、慌てるあまり、

一番、してはいけないことをしてしまった……!?


五秒、六秒――いや、もう時間なんてわからない。



――紫緒の顔がみれない。


紫緒は……紫緒は……紫緒がほんとうに望んだことは……!?








「……おもてをあげるでやんす」


ぼくは思わずはっとした。

目の前に飛び込んでくるのは、金貨色きんかいろの瞳。

もみじのような手。ちいさなちいさな、そのからだ。


「し……神さま……」


「紫緒でいいでやんす。おまえは誤解している。

 

 我のしあわせは、おまえのしあわせ。

 我は自由なんて、力なんて望んでいない。

 

 ただ、おまえの傍で、おまえを見守っていたかった。

 おまえが王になりたいというのなら、それを叶えよう。

 

 だが、それはおまえのほんとうの望みではない。

 おまえに翼があるというならば、それでどこまでもはばたいてゆけ。

 

 常闇の世界のすべてを見、聞き、触れてみせよ。

 それが、我――紫緒の、おまえへの、唯一の望みでやんす」


そういって、紫緒は、くるんと宙返りすると、

みゃおん、とその姿をさらけ出した。


黒く、それでいて一級品のビロードのように青く輝く、

その猫――<シオン>の姿を。


「……この世界だけじゃない。

 あちらの世界でも、おまえを見守っているでやんす。 

 

 いまはまだ、なんの力も持たない、この非力な体が精一杯でやんすが。

 

 我は、おまえを独りになんかしない。

 なぜなら、おまえは、いつまでたっても……。

 

 無力で、非力ひりきで。

 貧弱で、惰弱だじゃくな……、

 あぶなっかしい、ただのガキでやんすからね――!」


言い訳のように、まくしたてたその声は、でも、どこか清々しい。


まるで、これまで口にできなかった本心を、すべて、

あの奇跡のような大空に向けて、ときはなったようで……。



――神さま。


あなたは、ぼくの父親として、振る舞いたかったわけじゃない。

神であるということは、その子が王であるということ。


でもあなたは、ぼくを王にして、

不自由を与えるなんて、望んでいなかった。


そう、あなたが、ううん、“紫緒”。

きみが望んだことは……。


ぼくの手は、気が付いたら口をおおっていた。

瞳が熱くなり、すべてがあふれ、にじんでいく。



「――うん、紫緒……っ」


け出した。

その体を抱きしめた。


みぎゅー!

苦しそうに手足をばたつかせた紫緒を、全身で確かめた。


やがて緩んだ拘束に体を弛緩しかんさせると、紫緒は……シオンは。

ぐるるる、とちいさく喉を鳴らし、

満足そうに、まるで本物のねこのように……。


ただの、運命も呪いも、

真相もことわりもしらないどうぶつのように……。


そう、照れもきらいも、

意地も誇りもしらない、ただのこねこのように……。


そのちいさくてすべらかな身体を、すりり、とこすりつけ、鳴いた。



そう、きみはおとうさんでも、神さまでもない。




ぼくの、ぼくだけの、相棒<しお>だ――。





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