表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リシアンの契約 ~呪われた世界と聖なる夜の仔~  作者: 水森已愛
第四章 『リシアンの契約β』 ~ディヴァイン・ビギニング編~
39/51

~ きみの、“ほんとうの願い” ~ -前編-

息を切らしたぼくは、光の梯子はしごをみた。

埃と障気しょうきによって、くすんだ灰色の梯子…。


くずれた天井の下、けがれた光を浴びながら、

そのひとはなにかをつかむように、

虚空こくうに手を差し伸べ、つぶやいていた。


「――は死んだ。神は死んだ。神は死んだ……!!」



「……あなたが、ツァラトゥストラさんですね――?」


「――ああ。そうだとも……」


その人は振り返った。


「我こそは常闇とこやみの賢者。

 <ツァラトゥストラの眠り病>の発明者だ――」


リシアンは、首をかしげた。

このひとが、みんなを<揺りかご>に閉じ込めた、そのひと――?


堂々としているのに、その声色こわいろはどこか皮肉げに聞こえて。


しゃがれた声。

床につかんとする長い白髭。

れた皮膚ひふ

無数のしわに彩られたおもて

目は千年の時をたように疲れ果て、その腰は曲がっていた。


「――ふん、こんなものはいらんわい――」


賢者が手にした杖を放ると、その年老いた体は大きくかしいだ。


「――っ、大丈夫ですか!?」

思わず手を伸ばし、支えようとしたぼくを一瞥いちべつすると、

その手は振り払われた。


「……ふん、同情か? いらんわい」


ごほごほと咳をすると、

もとは豪奢ごうしゃだったろう、ぼろの椅子いすに座った。


そのまま、気だるそうにひげをしごき、

明後日あさってをみると、賢者は言った。


「……お前よ。使い魔はどうした」


「……紫緒……は……」


床を見つめ、片腕を抱きしめたぼくに、彼は言った。


「……ふん、おおよそ、力を使い果たし、

心臓<アルミナ>が休眠状態になっているのじゃろう。

――どれ、貸してみろ」


「…?」


このひとを、信用していいのだろうか―。


賢者の溜め息が聞こえた。


躊躇ためらうぼくの手から、

ランタンを乱暴にひったくると、賢者は言った。


「どれ……よくもまあ、こんな状態で死なずにすんだものだ。

 いくら凍結とうけつ状態にあるとはいえ、

 霊力はとうに枯渇こかつしておる……ほれ」


その手が光に包まれ、視界がくぐもった白に染まった。


「……っ」


目を閉じた一瞬のうちに、ランタンに青い光が灯っていた。


そのまま、凝縮ぎょうしゅくされた光が、

ひゅるん、と舞い出て、ひとつのかたちをとる……。


青紫の、たましい型の、それは――……。


「……紫緒……!」


ぎゅっと抱きしめると、腕をけながらも、じたばたとする紫緒――。


「――苦しいでやんす!

 まったく、これだから惰弱だじゃくは、泣き虫で……!

 暑苦しくて……! ――困るでやんす……!!」


ぶつくさ言いつつ、紫緒は、けして逃げたりはしなかった。


「――っ、紫緒、紫緒、紫緒……!」


かならず。必ず会えると、信じていた。

だけど、こんなに簡単に会えるなんて。


どんな高い代償も払い、どんなつらい呪いも受けるつもりでいた。

それだけぼくは、きみに、どうしても、どうしても。


どうしてもどうしてもどうしても、会いたかったんだ――!


「……おい」


静かにせい、と賢者はあきれたように言った。


「……おまえは――ツァラトゥストラでやんすね――!

 おいリシアン、そいつは敵でやんす――、

 距離を取って、臨戦態勢りんせんたいせいに――」


「――ううん、その必要はないよ、紫緒」


ぼくは、今にも飛びかかろうとする紫緒を、静かにいさめた。


「なにを――?」


「ツァラトゥストラさん。

 紫緒をありがとうございます――。

 あなたには、どんなお礼も言い尽くせません。

 ほんとうに、ほんとうにありがとうございます……!」


ぼくは全身全霊で、感謝を伝えた。

本当に嬉しい。嬉しすぎる。

言葉も思考もとても追いつかないほどに。


でも――ぼくは、今、冷静にならなければいけない。

だって、真相は、なにひとつ解明されていないのだ――。

 

「――親切なあなたに、聞きたいことがあります。

 

 あなたが、そんなになるまで……、

 子どもたちを眠り病にし続けた、その理由を、

 ぼくたちに、教えてくれませんか――?」


「……ふん、不遜ふそん餓鬼がきじゃわい」


髭をしごき、おざなりに賢者は言った。

出会ったときから、思っていた。

このひとがこんなにも、疲れ果てている原因は――。



「語るより、観たほうが早いわ」



賢者がそう言った瞬間、目の前に、何枚ものおおきな絵が現れた。



ヴン……。どこからか、機械に似た音がした。


それはまるで、現実を写しとったように、どこまでもリアルな油絵……。


いや、それだけじゃない――!


その絵に描かれたものは、動いていた!



そこに描かれていたのは――……。


瓦礫がれきの山のなかで足を血まみれにして、

さ迷う子どもたちだった。


『……パパ、ママ……』


かつては家や木の一部だったろう、

大きな破片はへんがささって、動かない子どもまでいる――!


はえが飛び交い、腐ったなにかが、山のように積まれている――。

考えたくもない、それは、腐乱ふらんした、人間の死体だ――!



絵が唐突とうとつに切り替わる。




――どこかさびれた町の郊外こうがい


次々に、石を投げつけられる少年がいる――。


「お前の居場所なんてねーんだよ!!

 このクズ! ふろーしゃ! ……ぎゃはは!」


ぼろの服からみえるのは、虐待ぎゃくたいされたような痛々しい跡。

唇をかんで、足を引きずりながら、その少年は、歩き続け――。


その次は。 


次は。

次は――。


「もうやめてください!!」


気がつくと、ぼくは叫んでいた。


「……なんじゃ、もう終わりか。

 お主はもう少し、度胸があると踏んでおったのに。とんだ興ざめじゃ」


冷たい床。

――血の散る床。


張り付く長い髪。

――熱の失われた、そのなきがら……。


(……お義母さん……!!)


……心臓が早鐘はやがねを打つ。

おぞましい寒気が、全身を支配する。

すでに、それらがただの絵じゃないと分かっていた。


残酷で冷酷な、陰惨いんさんで救いのない、それは――。


まぎれもない、現実だ――!!



「おまえ……!」


再び飛びかかろうとする紫緒を、ぼくはいまだ震える腕でせいした。


「……あなたは、子どもたちを守りたかったんですね。

 ツァラトゥストラさん。

 いえ――ゾロアシュトラ教の始祖しそ

 “メイエル・ザラスシュター”さん」


息を整え、冷静になろうとつとめる。

それでも、紫緒がいなかったら、その場に崩れ落ちていただろう。


思い出と呼ぶには、残酷なほど新しく、生々しい記憶。

今も、身体中を暴れまわる悲しみ。


乗り越えるにはあまりに、あまりにぼくは幼く。

どんな冒険も、どんなあたたかいきずなも、

その痛みを埋めるには、とうてい足りないと思ってしまうほどに……。



「……ふん」


賢者はただ鼻を鳴らしただけだった。


沈黙ちんもく肯定こうてい


ゾロアシュトラ教。


白の国の全土ぜんどを支配する、

聖カソリキア教のもととなった、と言われている、今はなき宗教。


その始祖しその名前こそ――メイエル・ザラスシュター。


「一応、問うてやる。――お主、なぜ気づいた?」


「ツァラトゥストラをラズーリ語で言うと、ザラスシュターでしょう?

 それは、ラズーリで育ったぼくには、

 最初から気づくべき簡単な答えでした」


「ふん。ラズーリ……ラズーリ禁猟区きんりょうくか。

 瑠璃るりの魔女め。そんなところにおまえを隠していたとはな。

 

 ――なるほど、ラズーリの禁じられた森……ちたものだ。

 まあ、聖女の末路まつろとしては、おあつらえ向きじゃの」


くつくつと笑う賢者に、紫緒はえる。


「なにがおかしい……!

 それ以上、ルチアを侮辱ぶじょくする気なら、

 この我が許さないでやんす……!!」


「……ふん。今のおまえになにができる。

 ゾロアシュトラの最高神……神霊しんれいオラキオスのなれのはて。


 もうおまえには元の力はびた一文残っておらんだろう?


 それとも、新たな契約によって与えられた、

 仮初かりそめの力で、この我にかなうとでも?」


「紫緒が――ゾロアシュトラの……最高神?」

 

「……ッ!」


紫緒が悔しそうに、たたらを踏む姿を、

どこか、ぼんやりとした頭でみつめた。

 

「そうじゃ。

 そいつは古の時代を生きた、ゾロアシュトラの始祖神しそしん

 かつては、この世界のすべてを掌握しょうあくしておった父なる神。


 ――託宣たくせんの神、といえばわかるかの?

 

 人々の祈りから出でし、神にして霊、龍にして獣。

 炎。水。風。雷。土。すべてを体現たいげんする、旧世界の象徴――」


ぴりり、とあたりが冷え込む。

手が冷たい。息が白い。


紫緒が……怒っている。




   『  御前に、この我を語る権利は無い……  』




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ