~いつか咲き誇る花へ~
ぼくの物語をここまで読んでくれたあなたに、
ぼくはささやかな花束を贈ろう。
ピアニッシモ、アンダンテ、アレグロ。
ぼくの指先は、ありし日の旋律を紡ぐ。
思い出をなぞるように、あの物語のつづきを、ちょっとだけ教えよう。
そう、紫緒のいなくなった世界のことを――……。
「なんだよー。おれとお前の仲だろ~?」
放課後の帰り道、そう言い放ったのは、
トオヤ。巽十夜。
エメラルドのように輝く、大きな緑の瞳に、つんつんした黒髪の、
ぼくより五センチも背の大きい少年だ。
「――え!」
聞き返すぼくは12歳。
ちょうど、ぼくが語ったエンドロールから、半年がたった頃だった。
お義母さん……、
ぼくの遠い親戚にあたる、
夜宮星乃さんに、
この夜ヶ丘中学に復学させてもらって、
リキア――この世界では、ぼくと同い年の、
“愛染愛世”が転校してきて、
たまたま席が隣だった、トオヤに出会って。
ぼくは相変わらず、常闇の世界とこの昼の世界をいったり来たりと、
忙しい日々を送っていた。
それでも、毎日はすごく楽しい。
高等部のグリシーヌ……、
ええと、ヴァイオレットとのお付き合いもその……
順調だ。
まだキスもできていないのは、うん、頑張ろう。
結構……かなり恥ずかしくて、タイミングを逃し続けているけれど、
時間がなんとかしてくれる、たぶん。
もうちょっと大人にならないと……。
それでグリシーヌをリードする……うん、それだ。
ガン無視で考えこむぼくに、トオヤはぶうたれた。
「なんだよ水臭いヤツだな~。
おれとお前は前世からのラヴァー!
そういう遠慮はナシだぜ~っ」
(え、えぇ~?)
一歩下がったぼくに、すすっと近づいて肩を抱いてくるトオヤ。
「お、お前、まさかホ〇……」
ぼくより、さらにひいているリキアがつぶやく。
「なんだよ、いたのかよ愛染~」
ぶー! と口をとがらせるトオヤ。
「最初からいただろうが!
男、お前、まさかリシアン狙いなのか?
冗談じゃないぞ、ただでさえグリ……、
ヴァイオレットという女狐がいるのに、
まさか、今後に及んで男まで……」
トオヤのことを、意地でも名前で呼ばない気らしいリキアは、
やれやれと不服そうにしつつ、ぼくをちらっとみやる。
「リシアン、お前なにを目指しているんだ?
ジゴロか? 天然ジゴロなのか?」
ジゴロ……苦笑するぼくに、トオヤがぷぷっ! と吹き出す。
「意味知ってんのか涙花!
お前……おもしれえ~な。意外! 超意外なんですけど!」
お腹を抱えるトオヤ。
リキアはむっとしながらぼくの手を取る。
「いっとくがリシアンはぼくのものだ!
薄汚い男は引っ込んでいるんだな!」
「あっ、なんだよ愛染~! ヤル気かあ?
いいぞ、受けてたつ!
“いっとくが”、おれはオンナだろ~と容赦はしないぜぇ?
腕相撲でも、くすぐりでも、絶対おれが勝つ!
あっ、いて! おい、石投げるのは卑怯だぞ、
オンナのくせにきょうぼ……いて! いててっ!」
トオヤはすっかり頭にきたらしいリキアに、小石を投げられまくっている。
だったら、おちょくるようなことしなければいいのに……。
夕暮れの河原沿い、ぼくたち三人は笑いながら歩いてゆく。
あの常闇の世界だけでなく、
この昼の世界でも、ぼくには友達ができた。
狭かった世界は少しずつ広がり、朝焼けの世界に染まりゆくなかで、
ぼくの胸に生まれでたのは、
ほんの少しの懐かしさと、溢れだすようなさびしさ。
あれから、昼の世界で目覚めたあと、
何度、常闇の世界に戻っても、紫緒に会うことは叶わなかった。
まるで存在ごと抜け落ちたように、足りないピース。
それは、まるで、ぼくを救った代償のように――。
あのとき、確かに崖から落ちたぼく。
前後の記憶はないけれど、
たぶん、あの時ぼくを包んだぬくもりは、きっと紫緒だ。
青紫の使い魔――ぼくの相棒は、昼の世界では、
“篠姫さんを倒した”時だけしか姿を表していない。
まるで、空気中にとけて消えてしまったように、
かすかなにおいのみを残して、いなくなってしまった。
しゃらん、という鈴の音と共に、ぼくは我に返った。
目の前にいるのは、お義母さんの飼い猫、シオンだ。
そういえば、紫緒のことを考えているときだった。
この子が寄ってくるのは。
まるで、ぼくがいる! とばかりに、金貨色の目を爛々とさせながら。
そうすると、急にぼくの記憶は、曖昧となって、
苦しいほどの寂しさは、消えてしまう。
そうだね、きみがいる。
――きみはまるで、ぼくの魔法使いだ。
そっとそのビロードのような、青にもみえる背中を撫でると、
気持ち良さそうに、すりよってくる。
なんだか、嬉しくて、その身体に顔をうずめるように抱きしめた。
紫緒。きみのいなくなった世界では、今日も星が瞬く。
失ったものは取り戻せない。
でも、だからこそ、今ぼくのなかに、そばにあるものが、
まるで奇跡みたいに輝いて、その闇を照らしてくれる。
こっちでやんす、と、まるで月夜のランタンのように。
海原の羅針盤のように。
じわり、と湧き出す雫は、
柔らかなぬくもりが、やさしく吸い取っていった。
紫緒……もしきみに会えたら、
その時はきみに、二度ととけない魔法を贈ろう。
それは、ぼくのわがままだ。身勝手で、子どもっぽい願いだ。
だけど、きっときみは、こう言うだろう。
『仕方がないやつでやんす。
――わかった、これからも、ずっといてやるでやんす。
その代わり、この契約は破棄不可能。
おまえは死ぬまで、この我と一緒。
なにせ、おまえときたら、
まだまだ、ぜんぜん、危なっかしいでやんすからね?』
そう、それがぼくの二番目の願い。
そしてきっと、最後の願いだ。
ぼくの世界は、紫緒ではじまり、紫緒で終わる。
ぼくの最初のあいぼう。最初の友達。
きみは、古今東西の羅針盤、そして世界一の使い魔<アガシオン>。
ぼくの世界を照らす、月夜の道しるべ――。
永遠に歌おう。 きみとの歌を。
それは、こんな晩を照らす、常闇の子守歌。
やさしいゆりかごのなかの、祝福のカンタータ。
ぼくは、将来きっと、この出来事を、
ぼくに訪れたすべての音色を、書き留めるだろう。
その本のタイトルはもう決まっている。
『リシアンの契約』
ほくはその本を、常闇の世界を訪れる、次のぼくに捧げようと思う。
ぼくが、<夜宮涙花>が、そうであったように。
次の蝋燭の灯しびとは、どんなひとなんだろう。
でもきっと、ぼくと同じ12歳の、青い瞳をした少年だと思う。
ぼくは、いずれ青の王となり、その子の誕生を待つだろう。
真青き清らの花<リシアンサス>は、いつだって、何度だって咲き誇る。
そう、聖なる夜の物語は、何度でも語り継がれる。
もしかしたら、その時、紫緒は目覚めるのかもしれない。
次のぼくを、朝焼けに導くために。
その時を心待ちに、ぼくは、ふたつの世界を生き抜く。
特に激しく、時に穏やかな音色に導かれながら。
ぼくはぼくの人生をまっとうする。
たとえその時が訪れなくても、ぼくは絶望なんてしない。
なぜなら、あの日あの時、紫緒に出会えたことが、
あの常闇の世界に導かれたことこそが、
ぼくのなによりの福音なのだから。
ふと、空耳が耳をかすめた。
『なにをいっちょまえのことを言っているでやんす。
惰弱がかっこつけてるんじゃないでやんすよ?』
ぼくは、思わず振り返る。
窓の向こう、青紫の煙が、ぷふん、とはじけた。
満点の星がきらきらと、まるでひとつの奇跡のように、瞬いていた。




