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リシアンの契約 ~呪われた世界と聖なる夜の仔~  作者: 水森已愛
第三章 『リシアンの契約α』 ~アフター・エンドロール編~
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第6話 “涙花” ~この愛しい世界で~

退院の日、ぼくは篠姫さんに挨拶あいさつをしにいった。


胸がとくとくとね、ぼくは足早に診察室へと向かう。


言うべきことは、もうわかっていた。


「篠乃先生」


ぼくはこんこん、と扉を叩く。


「なんじゃ、こんな朝から」


すぐに、いつもの老獪ろうかいな返答が返ってきた。


この世界での篠乃先生はまだ、齢30の医者でも、

あの世界では偉大いだいなる最高神、虹の神だったのだから。


ぼくは扉の前で言う。


「あなたに、どうしても今、言いたいことがあるんです」


「なんじゃ。恨み事なら聞くまいよ。

ひとりで、壁にでも言っているんじゃな」


あくまで冷たい――、

いや、突き放したスタンスを保とうとする、篠姫さんに言う。


「いえ。ぼくが言いたいのはお礼です」


慌てたように物音がなり、扉が開かれた。


「なんじゃそなた、正気か……?!」


泡を食ったようにその双眼そうがんは見開かれていた。



「わらわの、どこに感謝したというのじゃ。

 わらわはそなたに、なにもしておらんだろう?」


本当に意外だったのだろう。

はた、と自分の失態しったいに気づいたらしく、

わざとけなした言い方をする。


「むしろ、泣きをみさせるつもりでいたはずじゃが?

 それとも、そなたはMの気でもあるのか?」


言い終わる頃には、いつもの、面白がるような口調に戻っていた。


「――いえ。きっとあの世界がなかったら、

ぼくは襲い来る喪失そうしつを受け止めることも、取り戻すことも……

辛い現実に立ち向かうことも、立ち上がることもできなかった。

――だからこそ、ぼくはあなたに……」


「――わらわは、あの世界の創造者ではないといったろう?

 お礼を言うのは、お門違かどちがいというものじゃ。

 それともそなたは、ここに来てまでも良い子ぶる気か?」


「――篠姫さん。悪者ぶるのはもうやめませんか?

 あなたは、優しいひとです。

 

 ぼくを子ども扱いしながらも、愛情を込めて接してくれた。

 冷たい言葉の刃は、ぼくの目を覚まさせるため。

 

 わざと意地の悪い言い方をするのは、あなたがあまりに純粋だから。

 それしか、人との関わり方を知らないから……。

 

 あなたは孤独を望みながらも、我が子を愛したい気持ちは、

 誰かにその愛を注ぎたい気持ちは、誰よりも強かった。

 

 そんな不器用で、素敵なお母さん<あなた>に……、

 ぼくはだから、礼がいいたい。

 

 あなたは、ぼくの悪役になってくれた。

 ぼくをヒーローにしてくれて、

 

 ぼくの目に真実という冷たい水を注ぎ、覚まさせてくれた。

 なにより、ぼくの背中を押してくれた。


 ――あなたは、ぼくの、なによりの恩人おんじんです……」


篠姫さんの目をまっすぐみつめて、ぼくは微笑んだ。


「――篠姫さん。ありがとうございます……」


ほんとうに、ほんとうに。あなたと出会えて、よかった……。


「……そなたは」


篠姫さんは、少しだけ目を丸くして、そして……微笑わらった。


「まこと、――憎らしきぼんじゃ……」


目をつむったようなその笑顔は、

春の女神のように、甘やかな喜びで満ちていた。


まなじりにはきらりとしたつゆ

まるで、長い長い冬を越えて、ようやく咲いた花に、

心から感謝するような……。



“嬉しくて、嬉しくて――。もうどんな痛みも、悲しみも、恐れまいよ……”


声に出さなくとも、ぼくにはそう聞こえた。


その表情に、その嗚咽こえに、

もう、ぼくの胸はいっぱいになってしまって。


篠姫さんの――篠乃先生の手を取って、ぼくも泣いた。


こんなに素敵な出会いが、あるなんて……。

これまでの、そう、常闇の世界に行くまでのぼくには、

信じられなかっただろう。


現実は辛いばかりで。真実は冷たいばかりだと、思っていた。


両親に愛されず、その身をわずらい、友ひとりすらいない。


孤独なぼくが、なにかを得るなんて。


夢物語だと、白昼夢はくちゅうむだと、思っていた。


けれど、そんなぼくに最初のぬくもりをくれたのが、

お母さん……お義母かあさんだとしたら。


最初の希望を、勇気をくれたのは、あの常闇の世界だったのだ。


たとえ呪われた世界でも。


あの世界こそ、ぼくの、<福音ふくいんのはじまり>。


世界は、悪夢<ナイトメア>なんかじゃない。


本物の呪いは、ぼくたちの弱い心にだけ住んでいる魔物で。

本物の愛こそ、ぼくたちの本質だ。


運命がぼくらをしばるなら、そのぶんのしあわせを、咲かそう。


ぼくらはえ間なく失いながらも、最後まで続ける。

人生という、時に荒ぶる海を渡りながら、最後まで、かじを取れ。


ぼくたちの物語は、そうして続くのだ。


この喪失そうしつ奪還だっかんの物語を、きみに捧げよう。


『求めよ。されば得られん……』


この偉大なる祝詞のりとを持って、

我が生涯しょうがいの完成とする――。











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