第2話 ~純潔の愛~
セドウィグが軍師となって、少しした頃だ――。
わたしは、王として貧民たちを拾い上げ、
見込みのあるものは騎士団に、
それ以外の者――主に年端のいかない子どもや女子――は、
別部隊、<平和の礎>の運営する仮設住居に住まわせる為、
黒の国を出たところだった。
その頃のわたしは、年甲斐もなくセドウィグを意識し、
いつしか認められたいと願うようになっていた。
だが、方法がわからなかった。
ただ目の前の実務に追われているだけでは、
とても足らないとはわかっていたのだが――。
そんなわたしを見咎めたのだろう。
セドウィグはある日、こんなことを言った。
「おれに認められたくば、強い女になれ。弱い女は、おれは好かん」
そう、簡潔に、きっぱりと言う彼に、
わたしは思わず、ちいさくもらした。
「――強さ、とはなんだろうか…。
わたしは、オニキス家の長女として生まれ、剣の手ほどきを受け、
帝王学を学び、強く、もっと強く、と今日まで歩んできた。
自らを鍛えあげ、強くなった、つもりでいた――。
だが、戦争に負けたのち、
スラムで物乞いをする、我らが民をみて、わたしは揺らいだ。
わたしは盲目だった。
戦いが生むのは、勝利や栄光だけでなく、
悲しみや憎しみでもあるというのに――……」
胸の前で、拳を握る。
わたしは、いつだって最善を尽くしてきた。
迷える人々を導き、鼓舞し、ここまで歩んできた。
だが、白の国との激しい戦いにより、
人々は家をなくし、家族をなくし、傷つき、疲れはてていた。
わたしには、自信がなかった――。
ここから、立ち直るには何年かかるだろう。
いや、何十年かもしれない。
今の財状では、とても全国民をやしなえない。
いずれ、国庫は尽きるだろう。
今のままではいけない。しかし、どうしたら――……。
まなじりを堅く結んだわたしに、セドウィグは、静かに言った。
「その答えは、お前自身が探せ。
お前には目がある。耳もある。脳があり、一対の手と足がある。
ならば、お前がすべきことはひとつだ。
前へ進め。目を見開け。
……絶望するな。
それでも、もし、絶望してしまったなら、絶望のなかを歩め――……」
そうシニカルに笑むと、
わたしの頭を、抱き寄せるように、ぽんと叩いた。
その手の大きさに、わたしは、嗚咽のような吐息をもらした。
慰めはいらなかった。
同情も、その場しのぎの励ましも。
まして、アドバイスが欲しいなどと、甘えたことを言うつもりもない。
ただ、認めてほしかったのだ。弱い自分を。
王ではない、たったひとりの女であるわたしを――。
わかってくれていた。
あなただけは、わたしを未熟だと認め、導いてくれた――。
――王であるのをやめる気はなかった。
周りの期待には答えたかった。
でも、まだ年若く、未熟なわたしは、
いつだって、押しつぶされそうな不安をかかえていた。
わたしのような小娘が、王でいいのか。
わたしは、ほんとうに皆を救えるか――。
そんなわたしの前に現れたのがあなただった。
『お前のような小娘に、王など務まらん。
おれが王を継ぐ。お前など、役に立つものか――』
そうあなたが言ったとき、わたしの中でばちり、とちいさな火花が散った。
怒りではない。
落胆ですらない。
わたしのなかに生まれたのは、ただ、浮き立つほどの嬉しさだった。
生まれたときから、あなたは王に相応しい、
王になるべき御子、と、
美辞麗句で持ち上げられるばかりで、
誰ひとりとして、わたしの心細さを、わかってくれるものはいなかった。
それが当たり前で、当然だと思っていた。
オニキス家に生まれたから。騎士王の血族だから。
仕方ない、と諦めていた。諦めきっていた。
誰もわたしのことなど、わかってくれるはずがないと――……。
でも、あなただけは違った。
お前は弱い。ただの小娘だ、と認めてくれた――。
それがどんなに嬉しかったのか、あなたは知らないだろう。
わたしは、あなたに会えてよかった――。
「……ふん」
長いわたしの話に、退屈したように、
セドウィグは相槌を打つ。
「それで満足か? お前は相変わらず、欲がないな」
「ああ」
わたしは、力強く頷く。
「お前がいいならそれでいい。
が……少しはおれのことを、考えてみて欲しいものだな」
「…?」
首を傾げるわたしに、セドウィグは皮肉げに微笑した。
「お前にはわかるまいよ」
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「お前にはわかるまいよ」
一生な、とセドウィグはひとりごちる。
お前のその艶やかな黒髪に触れて、
そのあどけない表情を、おれだけのものにしたい――……。
「……とんだ戯れ言だ」
けしておれのものにはならん、一級の花。
一度手折ってしまえば、もう歯止めなどきくものか。
触れることすら、躊躇うほどの――おれの宝。
愛しているなどと言うまいよ。そんな安い言葉など似合わん。
お前は、おれのすべて。おれの命。おれの生きる意味――……。
――死んだように生きていた、ひとりの男をしようか。
それは遠い昔の話。
取るにたらん、ひとりの盲人が、
至上の宝をみつけ、
その至福のまま、死にゆくまでの物語……。
お前は知るまい。
ただの木こりでしかなかった男が、
なぜ死神と呼ばれる不屈の軍将となったのか。
なぜ、この国の軍師をつとめるまでに、つまらん努力を重ねたか。
お前は知るまい。 おれがお前をどんなに求め、愛しているか……。
「くだらんな」
「セドウィグ……?」
くだらん、すべてがくだらん。
おれはため息をつくと、その唇を素早く奪った。
「……んむ……っ」
離れた瞬間、その赤く熟れた頬と、
潤んだ瞳をみて、おれは満足げに微笑んだ。
「――今にみていろ。
おれが大人しい忠犬でいると思ったら大間違いだ」
「せ……セド、」
みてみろ。狼狽しきって、腰までくだけているこの娘を。
こんな女が君主とは笑わせる。
こいつは最初から、おれの、おれだけの女だ。
断じて、騎士王などではない。
ただの、愛しい、愛しい、おれだけの小娘<メイデン>だ――……。




