第7話 ~すべての嘆きの果てに~
「ん……」
リキアが身震いをする。
「寒い……。おにい……」
長い睫毛が揺れて、ゆっくりと開かれた。
「……っ!!」
ばっ! と激しく、腕を振り払われる。
「なんでお前が……くそ……!!」
羞恥と怒りに染まった頬。
ぼくが思わず目を丸くすると、
リキアはいらだったようにうつむき、そして勢いよく顔を上げた。
「でてこい臆病者……!
ぼくに言いたいことがあるなら、
そのお綺麗な面をみせるんだな……!!」
数秒か、いや数十秒だったかもしれない。
はあはあ、と荒い息で、リキアは舌打ちをした。
「くそ……っ!!」
そのリキアの頬に触れたものがいたことは、
目をこらさなければ、すぐには気づかなかっただろう。
「リキア……」
それだけ言って、その人、ルキウスさんは、姿を現した。
その瞬間、リキアの瞳が、信じられないものをみたように、
見開かれ、そして硬直した。
「……っ……!!」
リキアの眉が歪む。
そして、ばっ!! と勢いよく後ろを向いた。
「お前なんか……もう、もう、ぼくの前に姿を現すな。
お前の顔なんか、みたくない……っ!」
さっきと言っていることが真逆だった。
きっと、リキアも混乱している。
ぼくを通して、ルキウスさんに抱きしめられた感触が、
眠っていたリキアに、どんな夢をみさせただろう。
どんな夢を、抱いて、打ち砕いてしまったのだろう。
そのまま荒々しく立ち去ろうとするリキアに、
ルキウスさんが、手を伸ばす。
「……待て! お前を悪者にしたのはわたしだ!
わたしが……青の神と契約しなければ……、
青の王などにならなければ…!」
「――違う! 謝って欲しいんじゃない!」
言って、リキアの瞳から溢れ出したのは……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今さら謝ったって、もう、なにも変わらないんだ……!」
ぼろ、ぼろ。
「ぼくがあなたを殺したのも!
あなたの愛した少女を貶めたのも!」
ぼろぼろ、ぼろ。
「――ぼくが生まれつき呪われているのも――……!」
目の前が、溢れて、滲んで――……。
――ああ、もうめちゃくちゃだ――。
胸が、火鉢でかきむしったように熱い。
ぼくは、結局、どこまでいっても醜くて。
呪われていて。
最悪の、悪人なのだ――。
「――違うよ。」
降ってわいた声に、ぼくは振り返る。
暁の光が、まぶしく、ぼくの目をさした。
逆光に佇み、ぼくに歩みよった、その少年は――。
「――リシアン!?」
「きみは、呪われてなんかいない。
醜くもない。ほんとうは悪人ですら――。
きみの目は、灰がかがった綺麗な青。
きみの肌は、陶磁器みたいになめらかで、
なによりその髪は……白銀にきらめく、初雪の色だ」
「――っ、なにを……」
「きみの呪いは、ぼくでは完全に打ち消すことができなかった。
でも、それはなぜだろう?
ぼくの祝福の力が、足りなかったから?
それともきみが、生まれつき呪われすぎていたから?
――違うよね。
もう、きみは気づいているはずだ。この世界のタネに。」
目の前の少年の、あまりにまばゆい瑠璃色の瞳に、
ぼくは、はっと息を飲んだ。
あまりに清く、美しく、そして、どこまでも優しい……。
――こんな人間が、いままでいただろうか――。
まるで、咲き誇る、真青き清らの花<リシアンサス>――。
息を吸い込み、彼は言う――。
呪いにみちたぼくを解き放つ、終焉の調べを――。
「そう、すべては白の王の、完全にして不全、全にして偽善の……。
偽りの世界<イミテーション>だったんだ!」
ガシャアァァン……
硝子細工の鏡が砕けちる、
破滅にして救済の音が鳴った――……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
がしゃあぁあん……。
砕けちった世界で、ぼくとリキアはみた。
長い白髭に白い頭髪。
純白のローブを羽織った、そのひとを――。
「リキア」
「お前は……」
リキアが言葉をなくす。
「我は白の神、白鐘。お前の、父親じゃ……」
涙の色をうかがわせる低い声。
その細くしわがれた指で、彼は、リキアに触れようとしていた。
「――ッ……」
しゃがみこんでいたリキアは、我にかえったようにその手を払いのけた。
「―ぼくに触るな……っ!」
「…………」
眉を悲しみに垂らし、白の神はその手を戻した。
「お前にした仕打ちを許してくれ……。
我は、白の民を統べる神。
いくらお前が愛しくても、
その力をなんの代償もなく、与えてやることはできん……」
「……!」
一瞬、息をのんだリキアは、すぐにその意味を理解し、
鋭い刃のような目で、白の神をみつめる。
「我ら神とて万能ではない。
半人である我が子に、祝福を与えるには、
同時に、同等の呪いを与えることしかできないのだ……。
だが、わたしにはできなかった。
血の繋がった、お前を呪うことなど――!」
「……?! なにを言って……」
「あなたは自分の娘をどうしても呪えなかった。
そこで、偽物の世界を作り、そこでリキアに試練を与えたんですね?
青の王のもとに、記憶を奪ったリキアをよこし、
リキアが王となるよう取りはからった」
「ああ、そうだとも……まさかお前が、青の王を殺めてしまうとは……。
いくら偽の世界とはいえ、リキア、お前には申し訳ないことをした……」
「偽の、世界だって……?」
「そうだ。
お前たちの魂を、我が作った世界に招待し、
ずっと見守っておった。
ゆえに、青の王も、その愛し子ルチアも、真の世界では死んでおらぬ。
青の王は天寿をまっとうし、
ルチアは聖女として最後まで生きた」
「そんな都合のいい嘘に、ぼくが騙されるとでも……?!」
「――いや。本当じゃ」
そう、歌うように言いながら現れたのは、
青の神、篠姫だった……。
「我が同胞の試練、とくと見学させてもらった。
リシアン、今代の青の王としてはまあ、合格じゃ。
誠素晴らしい幕引きじゃった。
対して白の王の娘はなんと貧弱なことか。
これではこの常闇の世界の、真実の姿には立ち向かえまいよ……」
「真実の、姿……?」
ぼくとリキアは、狐に摘まれたような顔をした。
「まあ、それはそれ、じゃ。
じゃが、リキア、白の、そなたら家族には、愛がある。
我が子を千尋の谷に突き落としつつも、
けして呪いきることはできなんだ父の情……。
血の繋がりがなくとも、お互いを思わずにはいられない、
兄妹の情……合格じゃ。
わらわは愛と憎を司る青の神、
そなたらに青の祝福……今一度、やり直す権利を与えたもう。
粉雪<ルキウス>、愛染<リキア>、
そなたらは一度赤子に戻られよ。
そしてもう一度、その生をまっとうするのじゃ……。
そう、今度こそ、本物の兄妹として――……」
眩い光があたりを消し飛ばす。
すべてはゼロになり……ゼロから、1が始まる。
新たな物語が、今、はじまりを告げようとしていた――。
ぼくが恐る恐る目を開けると、
リキアもルキウスさんも、そして白の神もいなかった。
残っているのは、ぼくと、篠姫さんのみ―。
「一体なにが……」
ぼくは混乱していた。リキアとルキウスさんが、やり直す……?
それじゃあ、ふたりはどこに……?
そして、偽物ではない本当の世界では、
一体どんな歴史になっているんだ…?
「リシアン、不思議そうな顔をしておるな?
まあ順をおって説明してやろう。
まず、リキアが粉雪を殺め、
聖女ルチアを貶めたのは、
偽の世界での出来事だといったじゃろう?
この世界では、ルキウスは貧しい民たちを救うため、
青の王となり、のちの聖女ルチアを拾い、
ルチアはそなたの知る通り、古代ルチア教の聖女となった。
まあ、ルチアはのちに自決しておるがの…。
「ルチアさんは、助からなかった――?!」
「ああ。もともとそういう定めじゃ。
ルチアは、迷える人々を救う代わりに、自分を贄とした。
この常闇の世界に、<第一の朝焼け>をもたらすためにな――……」
「第一の朝焼け……、そういえば、お義母さんは言っていました。
ルチアさんが、夜明けの世界へと人々を導いたって……」
「そう。そこが鍵なのじゃ。
この世界は、何度も夜明けを迎えている。
しかし、何度、朝焼けが訪れようと、リセットされる。
この常闇の世界は呪われている……。
我ら神ですら太刀打ちできない、
<大いなる病>にかかっておるのじゃ……」
「大いなる、病……」
ちり、と頭が、焼け付くような痛みをかすめた。
「なんだ、なにか知っている様じゃの」
「いえ……、ぼくは知りません……“ぼく”は……」
……?
頭がくらくらする。 ぼくは、何かを忘れている――?
「まあ、大事にせい。
どうせ我らが神は、みな不全なのじゃ。
あまりに強すぎるゆえ、もとから、容易に戦うことはできん。
……ゆえに歴史は、そなたら、弱き者が変えるためにある――。
そう、ルチアが、
自殺にも等しい覚悟で<涙花>を生んだからこそ、
愛染<リキア>は、偽の世界から解放された」
(涙花……?)
謎めいた言葉とともに、後ろを向いた篠姫さんは、
思いだしたように振り返った。
「――ああ、さっきの答えじゃが、
リキアもルキウスも、この世界の過去に、赤子として飛ばされ、
仲睦まじくその生を全うしたようじゃ。
まあ、もとはといえば、かような仕打ちをしたのはこのわらわじゃ。
今度こそは、大目にみてやろうかの……」
そう言って
群青の霧に身を包んだ篠姫さんは、
今度こそ消えていった――。
疑問符を浮かべた、ぼくを置いて。
わからないことだらけだ。
偽りの世界にあっても、神様である篠姫さんは本物だったのか――。
すると、篠姫さんこそが黒幕だったのかもしれない。
白の神の作った偽物の世界に、なぜ篠姫さんが……?
そして、常闇の世界とは、なんなんだろう。
ぼくは、その答えを知っている気がする。
――そういえば、紫緒は今回、一度も話しかけてこなかった。
あのおしゃべりな紫緒が……。
ふいに、恐ろしい考えが胸をよぎった。
――常闇。すなわち、明けない夜の世界。涙花。
もしかして、ぼくは――……。




