第6話 ~女神(ガデス)の憂い~
『わたくしを呼びましたか?』
青紫の煙とともに現れたのは、
紫の薄い布地をまとった、妙齢の女性だった。
髪はこっくりとした艶やかな深い紫。
瞳は銀箔を薄く重ねたような、切れ長の瞳だった。
「まあまあ、シオンさまではありませんの!」
驚いたように口元に手をあて、
その勢いで、がばりと紫緒を抱きしめる。
「はあ……。このあどけないフォルム、
いたいけな瞳……最高ですのっ。 」
頬ずりしだした紫の神に、紫緒はうんざり顔で、
もはや抵抗する元気さえなくしている。
(なんていうか、ギャップがすごい…)
くびれた腰の上、豊かな胸に、ぎゅうぎゅう!
と顔面を押し付けられた、紫緒の心中は、いかに。
「ええと、あなたが 紫の神、ミュステーリオンさんですか?」
「リオンでいいですわ」
若干おっかなびっくり、ぼくが問うと、
紫緒を抱きしめながら、にっこりしたリオンさんは、
女神のお手本のような、慈愛にみちた笑顔をみせた。
「わたくしこそが神秘と知恵、
知識と謎解きの神、“ミュステリオン”。
わたくしでよければ、いくらでも頼ってくださいな」
言って、咲いたばかりの花のように微笑む紫の神は、
なんてきれいなひとなんだろう――。
「――あまり信用しないほうがいいでやんす」
ぽつり、と紫緒が漏らす。
「この女は、確かに、有益な知恵を与えてくれるでやんす。
だが、それはタダではない。その代償は高くつくでやんす」
「まあ。」
とリオンさんは悲しげに吐息をもらした。
「わたくしを責めるのですね。
シオン――いえ、神霊オラシオンさま。
あなたは、つまらない規則に縛られるわたくしを、
昔から嫌ってらしたものね」
「規則……神さまにも、ルールがあるんですか?」
「ええ。神にも、さまざまなしがらみがあるんですの。
わたくしの場合、謎賭けに答えられなければ、
その者を食べてしまう、恐ろしい鬼神という役割も、
演じなければならないのですわ。
……そう、陽が陽たるには、陰がなければならないように――、
わたくしたち神々は、ヒトが思うより、面倒ないきものですの」
そういってしおれた花のような表情をみせ、
それでもお茶目に、リオンさんは笑う。
「けっして万能なんかでは、ありませんわ」
そのささやかな微笑みは、ぼくの胸をぎゅっとさせた。
青の神――篠姫さんも同じことを言っていた。
ぼくはリキアやルキウスさんたちを翻弄する、
傍若無人な篠姫さんを、
まるで心無いひとを糾弾するように、責めた。
だけど、ぼくは篠姫さんたちのことを――
――神さまのことを、少しでも考えたことがあっただろうか。
神さまに祈れば、なんとかしてくれる――。
神さまは万能だから、完璧だから……、
ぼくたち、弱い生き物のことを、いつでも考え、
助けてくれて当然だ――そう、心の底で考えてなかっただろうか――。
「……ぼくは、傲慢だったかもしれません――」
「……まあ。」
リオンさんは口に手をあてた。
「あなたはふしぎな子ですわね……。
わたくしたち神の気持ちをわかろうとする……。
今まで、そんな人間は、おりませんでしたわ」
ただひとり。とリオンさんは口もとを隠しながら言った。
それでも、今のぼくにはわかった。
そのお茶目な表情のなかに隠した、かなしみと、さびしさと……
そしてほんのひとさじの、あきらめを。
この神たちは――、
みんな求められ、疲れはてているのかもしれない。
もっともっと、救いを、助けを……!
そう願うひとびとに、休みなく、たくさんのものを与えつづけ……、
そうしていつしか、疲れはて、あきらめてしまったのかもしれない。
人々の望む、完璧な存在であることを…。
「……あなたは賢い子ですわ。
きっとあなたなら、この呪いに満ちた世界を、
変えることができるかもしれませんわね」
「リオンさん……」
「――あらやだ、時間ですわ。
それではシオンさま、リシアン、ご機嫌よう……」
そういって青紫の濃い霧に消えていった
リオンさんの背中に、紫緒がつぶやく。
「……ごまかしだけが上手な女でやんす」
その言葉に、どこか不器用なあたたかさを感じたのは、
きっと、紫緒が優しいからだ。
いつだって、いつだって。
『悲しいなら、悲しいと言うでやんす――。
そのために、我がいるでやんすから……』
 
神さまは、ひとりじゃないんだと――。
 




