第4話 ~ひとつの祝福が満ちるとき~
その日は、うっとおしいほど、雨が降っていた。
遠くから、雷の鳴る音が聞こえ、とても耳障りだった。
ぼくの前に、引きずりだされた少女は、
まだ18になるかならないかの娘で、
紫にもみえるつややかな黒髪を長く垂らし、
へどが出るくらい麗しい顔をしていた。
「あなたが、リキアさんですね――」
彼女は、両手を後ろで縛られたまま、言った。
「――あなたに謝らなければいけないことがあります。
わたしはあなたのたったひとりのお兄さんを奪いました。
それこそがわたしの、“ほんとうの罪”です。
どうぞ、わたしを裁いてくださいませ。大司教さま――。」
ぼくはあまりの怒りに、目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
こいつが、あのときのルチア、本人だと――?!
笑わせる。どの面をして、ここに来た―?!
ぼくに裁けだと? お綺麗なことを、まあ、ぬけぬけと――!!
嵐のような激しい憤怒を、
慈悲めいた、酷薄な笑顔に包み、ぼくは言った。
「――よかろう。望みどおり、お前を裁いてやろう。
だが、その前に、その忌々(いまいま)しい名前をはぎ取ってやろう。
“お前は今から、聖女ルチアではない、ただの魔女だ”――!」
ぼくの言霊が、彼女の胸に吸い込まれる瞬間、青い火花が散った。
「そこまでだ、リキア大司教。
ぼくは青の王、ルキウス・イデア――その女性を放してもらおう」
振り返ったとき、みえたのは、懐かしい、兄の姿だった。
「いけません、ルキウスさま、なぜここに――!」
駆け寄るルチアに、彼は言った。
「お前が心配だったのだ――。
大切な妹に死なれるくらいなら、ぼくが死ぬ――」
大切な、妹?
それは、ぼくの。
ぼくの、ルキウス、ルキウスはぼくのおにいちゃんで――……ぼくは。
彼らは、聖女とヒーロー。
じゃあ、ぼくは、なんだ――?
答えは明白だった。
ぼくが、ぼくが、このぼくこそが――悪者で、邪魔者なんだと――。
「うあぁあああああああああああああああああア!!!!!!!!!」
ぼくは顔面を掻きむしり、
狂乱のもとに、その呪言を唱えた。
「“呪われろ、呪われろ!!!”
“聖女は魔女となり、人々に石を投げられ、
青の王は生きたまま禿鷹に喰われてしまうがいい!!!”」
ゾンビのように、目の玉を腐らせた禿鷹が、
大群のようにやってくるのに、そう時間はかからなかった。
聖女は悲鳴をあげ、王をかばったが、禿鷹の数が多すぎた。
むせ返るような血の匂いが、飛び散った臓物が、
ぼくの高らかな笑い声と混ざって、
ぼくはとうとう、自らの手で兄を殺めた――。
「どうだ――これがぼくの所業だ!!!
このぼくが、赦されるとでも?!
今更、まっさらなただの子どもに戻れるとでも?!
片腹痛いわ!!
おばかなリシアン、愚かなる無知な子ども、リシアン!!
お前はこの世の悪をなにも知らない、箱入りのおぼっちゃんだな!!」
片手で顔を押さえ、高らかに哄笑するぼくを、
リシアンは、ただ黙ってみつめていた。
「“できるよ”」
「……は?」
「ぼくは神さまなんて信じない。
きみのしたことは、確かに酷いことだけど、
そんなことを言ったら、軽率だったきみのおにいさんも酷いし、
青の神っていうひとはさらに最低だ。
罪の数ばかり数えていたら、この世界のすべてのひとが罪人だよ。
間違いを犯さないひとなんていないし、それの重さはひとそれぞれだ。
だから神さまに許してもらう、なんてひともいるけれど、
ぼくはそうは思わない。
ぼくらは、誰も裁いてはならない。その資格がないから。
ぼくらは、互いに許しあうべきだ。
神さまなんて頼らず、ぼくら人間の過ちは、
ぼくら自身の責任で片を付ける。」
「……なにを、言って……」
「だから、ぼくが赦す。
誰も赦してくれないなら、きみがきみ自身を赦せないなら、
まずぼくが、その最初の人間になる。
きみはもう、解放されるべきだ。
すべては無理でも、まずはひとかけら、ぼくはきみに与えるよ。
リキア・エイドス――。
辛い出来事に耐え、今日まで命を絶つことのなかったきみに、
ぼくからの心からの敬意と、心ばかりの祝福を捧げん――。
これからは、きみは自分を赦すことができる。
ひとを愛すことも、祝うこともできる。
きみはきみ自身の手で、未来を掴むんだ――」
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そういったぼくの背からは、大きな青い翼がはためいた。
そのまま、リキアに歩みよる。
「く、来るな……!」
あまりの予想外に、おびえたような表情を浮かべる彼女の、
その細くて華奢な指を、そっと掴んだ。
「今まで生きてくれて、ありがとう……」
そのおかげで、ぼくはきみを、赦すことができたんだから――……。
ぼくの掌から、包み込んだリキアの震えが伝わってくる。
ああ――……、リキアの心が、ぼくにささやく。
(( もういやだ! 誰も憎みたくない!!
誰か、ぼくをたすけて!! だれか、ぼくをゆるして!!
お願い、おにいちゃん――!! ぼくを――ゆるして!!! ))
「 『“うん、わかったよ……”』 」
ぼくの身体から、ふわりと浮かびあがったひとがいた。
そのひとは――月のようにきれいな、銀色の髪をはためかせ、
瑠璃色の瞳をあまくゆるめて、言った。
『“リキア、おやすみ――”』
そのままその腕に包まれて、まぶたを落としたリキアを、
ぼくたちは微笑みながら見守った。
「……寝顔、赤ちゃんみたい。
リキアって――こんなに可愛かったんだね……」
『――当然だろう? ぼくの自慢の妹なのだから』
そういって唇をほころばせた彼は、
しかし、そこで、嗚咽をもらした。
『こんなに可愛い、妹を、ぼくは――何故……』
「――あなたは……神に記憶を奪われてしまったんです」
『そんなはずはない。だって青の神とは――』
「わらわを御呼びかの? 愛しきひとよ」
鈴をならしたような声が、ぼくたちをくすぐった。
「貴方は――?」
「わらわが青の神、篠姫じゃ」




