〈4.村雨 続〉
「何でって思ってるんでしょ?」
そう聞かれ、俺は正直に首を縦に振る。
彼女は寂しそうに微笑んだ。
「私はあくまで第三者だからね。本当に本当のことは、きっと本人たちにしかわからないんだよ」
その言葉を聞き、俺は溜め込んでいたわだかまりを一つ吐き出した。
「菊池に、中学時代、千早さんが由佳利をいじめてたとか、由佳利が千早さんをいじめてたとかって噂があったって聞いたんだけど…」
俺は視線を、真っ直ぐ彼女に向けた。
「それは、嘘なんだよね?」
彼女も、視線を俺に真っ直ぐ向けて答えた。
「うん、嘘だよ」
俺はそれを聞いてホッとした。
「由佳利も千早も、そんなことする子じゃないもん」
「うん」
二人の間に、心地よい沈黙が続いた。
きっと、お互いに少し安心しているんだと思う。
彼女は、コップのジュースを飲み干すと、カバンを持って立ち上がった。
「それじゃあ、もう行くね」
そして、彼女が伝票を持って行こうとしたので、俺はその手を止めた。
「待って、これは俺が払うよ。今日のお礼だから」
「じゃあ、そうしてもらおうかな」
清々しい笑顔だった。
会計を済ませて、外に出た。
彼女がグッと伸びをする。
「私も、今日、堀内くんと話せて良かったよ。なんか、ちょっとだけ気が楽になった。少しでも、見通しができたからかな。今までは、ずっと手探りだったから…」
やっぱり、彼女も悩んでいたんだ。
いや、きっと彼女だけじゃない。
由佳利も千早さんも、ユミだって、このことに関わる全ての人が、きっと悩んでいたんだろう。
「俺も、梶田さんと話せて良かったよ」
「うん」
「そうだ、あのさ、せめて千早さんの連絡先を教えてほしいんだけど…」
控えめな俺に、彼女はそっぽを向いて見せた。
「それは嫌」
今度の答えは、無理じゃなくて嫌だった。
「え、なんで⁉︎」
「だって、私でも千早とは滅多に連絡なんて取らないんだもん。高校に入ってから会ったのだって一回きりだし。なんだか悔しいじゃない」
いたずらな笑顔だった。
菊池は彼女のことをキツイ性格だと言っていたけど、その時俺には、彼女が幼い子どものように見えた。
それから最後に、梶田さんは二つのことを俺に伝えた。
「もう知ってることかもしれないけど、これはヒント。千早は中央に行っています」
「うん。ありがと」
「もう一つ、これは私からのお願い。もし、全てのことが終わったら、その時は私に結果を伝えてほしい」
「うん。わかった」
「ありがとう」
彼女は俺に向かって、深くお辞儀した。
「それじゃあ」
ゆっくりと振り返って、彼女は駅に向かって歩いて行った。
梶田さん、俺は絶対、由佳利を助けてみせるから。
そう、心の中でつぶやいた。
梶田さんとの話で明らかになった"千早つぐみ"の所在、中央高校。
中央高校とは、うちの県でダントツの超エリート校。
勉学はもちろんのこと、部活動でもテニス部、水泳部、書道部を筆頭としたいくつかのクラブが全国に名を連ねている。
とはいっても、俺の通う北高校も、私立を除けば県で二番手の学力だ。
俺は中央高校に通う、中学時代の友達、佑輔に電話をした。
こいつとは小学校からの付き合いなので、とても気が軽い。
z『もしもし、佑輔?』
『おー、諒平!久しぶり』
『久しぶり!』
『今日はどうした?』
俺は、単刀直入に話を切り出した。
『お前さ、千早つぐみ って人知ってる?』
『ああ、知ってるよ』
反応は上々だ。
『その人に会いたいんだけど、その人と接触させてくれないかな?』
すると、彼は電話越しにウーンと唸った。
『いやぁ、俺も千早さんと直接話したことはないんだよ』
『そうか…』
どうしようか、少し困った。
『千早さん自体は、地味ーに有名なんだけど…』
『有名って、なんで?』
良評か悪評が内心とてもドキドキした。
『結構かわいいんだよ』
結果は良評。
悪評でなかったことにホッとした。
『あと、本人も勿論なんだけど、彼氏のガードがすごい硬くって』
『彼氏いるんだ?』
初めての情報にとても驚いた。
『ああ、だから千早さんと接触したいなら、まずは彼氏の許可を取るべきだな』
なんともややこしい。
『あと、ここまで聞けばわかるとは思うけど、もし千早さんを狙って接触したいって言ってるならやめとけ』
『そんなんじゃないから!大丈夫だよ』
『そうか…』
少しの沈黙。
すると、彼は一つ提案をした。
『もし、どうしても接触したいなら、千早さんの彼氏に話を取り合ってやる』
『本当か⁉︎』
思わぬ提案に、喜びの声が漏れる。
『ああ、他でもないお前の頼みならな。俺もあんまり親しいわけじゃないけど、千早さんの彼氏とは一応クラスメートだから』
『ありがとう、佑輔!本当に助かる』
佑輔からの連絡が入ったのは、次の日の放課後だった。
z『昨日話した千早さんの彼氏、八木理久っていうんだけど、今日これからなら会えるって。どうする?』
『わかった。会うよ』
佑輔は、待ち合わせの駅まで彼を連れて来てくれた。
「諒平!」
佑輔が俺に手を振る。
まぁ、手を振らなくても、佑輔は背が高いからすぐにわかるのだが。
「佑輔、ありがと。ここからは二人で話すよ」
「お前本当に大丈夫か?あいつ、だいぶ絡みづらいぞ?」
「頑張るよ」
俺は苦笑いでそう答えた。
そんな風に小声で話していた俺たちに、冷たい視線が向けられている。
千早さんの彼氏、八木理久だった。
「初めまして、堀内諒平です」
会釈と共に挨拶をした。
「八木理久です」
とてもシンプルな返しだ。
そんな俺たちのやりとりを眺めてから、心配そうな表情で佑輔は帰って行った。
「場所変えましょうか。マックでいいですか?」
「はい」
無愛想で短い返事だった。
俺たちはマックに行き、注文した商品を受け取って席に座った。
お互い、遠慮してかたまたまか、飲み物しか頼まなかった。
俺は思い切って話を始めた。
「えっと、八木くん、だったよね?その、千早さんに聞きたいことがあって…」
「…何?」
怪訝そうな表情に、俺は慌てて言葉を付け加える。
「いや、別に千早さんを取ろうとかそんなことは思ってないよ?それ以前に、俺にも彼女はいるから」
彼の眉が少し緩んだことを確認し、俺はもう一度話を切り出す。
「実は今日話をしに来たのは、他でもない、その俺の彼女のことなんだ」
ちらりと彼の表情を確認したが、さっきまでと変わりのない、訝しげな顔だった。
「彼女、由佳利って言うんだけど、どうも由佳利と千早さんは同じ中学だったみたいでさ、でも昔二人の間に何かいざこざがあったみたいで、今は全く連絡を取ってないらしい」
そこまで話して、彼はようやく相槌を打ってくれた。
「それで?」
「由佳利は、その昔のことで今も悩んでる。俺は、そんなふうに悩む由佳利を見たくないんだよ。だから、由佳利を助けるために、千早さんと話がしたい」
彼の眼差しは、真っ直ぐ俺に向けられていた。
「わかった」
小さいけれど、確かに彼の声だった。
「つぐみには話しておくよ」
「ありがとう!!」
交渉の成立に、俺は喜びを隠せないでいた。
「ただし…」
言葉を切って、彼はくるりと俺に向き直る。
「つぐみのこと泣かせたら、絶対許さないから」
その力強く冷ややかな眼差しが、俺の背筋を冷たくした。
村雨…群になって降る、玉が散っているような雨のこと