第37話 collar
「あ、けーくん、おはよー」
連休明けの朝
顔を洗うため階段を下りると玄関で靴を履いている姉さんと会った
「おはよう姉さん。早いね、もう出掛けるの」
「んー。きょうからしゅっちょうなんだよー」
そう言う姉さんの傍らにはカート型のスーツケースがあった
「出張って?どこに?」
「イタリャーよイタリャー。久々のこくがいだよ」
イタリャーって・・・、イタリアの事か?
いや、姉さんの事だから俺の知らない未知の国かもしれないな
「えっと、国外・・・って、姉さん現地語話せるの?」
「んー?さあ?・・・・まあなんとかなるっしょ。OTAKUは世界共通言語だから」
心配する俺の言葉をよそに姉さんはそんな安易な答えを返す
「いやいやいや、確かにOTAKUは世界中に分布してるかもしんないけど世界中の人間がOTAKUってわけじゃないからな!?」
「まあ、それでだめならこのからだ一つあれば十分。にくたいげんごがあるさね」
「未知の土地で喧嘩売ってどうすんのさ!?」
肉体言語とボディランゲージは違うものだぞ
「けーくん、例えそこがあうぇいなばしょでもやらなきゃならない時ってのがあるんだよ。いのちのほのおがもえているかぎりね」
姉さんはそう言うと不敵にニヤリと笑った
意味わかんねーよ・・・
「それにそうやってほんきでぶつかったあいてとはしんのゆうじょうがめばえるんだよ。なかなかやるじゃねえか。おまえもな、みたいなかんじに」
熱血少年漫画かよ
「おっといけない。話しこんでたらちこくしちゃうよ。フネにのりおくれたらたいへんだ」
そう言いながら姉さんは傘立てからバールを引き抜く
そしてそれをスーツケースと反対の手に持つと玄関を開け出ていった
飛行機じゃなくて船便なのか?
まさか『艦』て書いて『フネ』って読むんじゃないだろうな・・・
様々な疑問が浮かんでくるが姉さんに関しては深く考えたら負けだ
俺はモヤモヤとする気分を払いのけるべく、顔を洗いに洗面台へと向かった
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
いつもの通学途中の公園
園崎との待ち合わせ場所である自販機脇のベンチに座った俺は混沌とした感情を胸に園崎を待っていた
理由は・・・2日前のあの事・・・あ、3日前のあれも・・・いやいや4日前のあの事だってまだ引きずってるぞ、俺
って、数え上げるとキリがないじゃないか!?
愕然となった俺は思わず顔を両手で覆った
「経吾?・・・どうかしたのか?」
かけられた声に目を開くと指の隙間から見えたものは制服のスカートから伸びる見事な脚線だった
それを包み込んでいるパステルブルーの縞ニーソ
スカート裾とニーソとの間から露出したフトモモの黄金比は芸術的ともいえる
「経吾?ホントにどうかした?具合でも悪い?」
いかん!思わず見入ってた!!
心配げな声音に俺は慌てて顔を上げた
上げた先には戸惑うように眉を寄せる美少女
園崎が俺の顔を覗き込むようにして立っていた
「な、なんでもない。スマン、ちょっとぼうっとしてた」
「そっか、よかった・・・。おはよう、マイ・マスター」
そう言って微笑みかける園崎に俺は複雑な心境で笑い返す
やっぱりまだ続いてるんだな・・・
一日、日を置いたから、もしかしたらドールの設定とかリセットされたんじゃ・・・なんて思ってたりもしたんだが・・・甘かったらしい
立ち上がりながらこっそりともう一度そこを盗み見る
制服のスカートから覗く艶やかなふともも・・・
その付け根には俺がつけた痕がまだ消えずに残っているだろうか
キスマーク・・・なんて言葉はいいが、それは要するに肌を強く吸引することにより出来る皮下出血の事だ
俺はつけられた経験はないが・・・それは2、3日で消えるようなものじゃないと思う
園崎は風呂とかで裸になったときそれを目にするだろう
そしてそのたびに必ず俺の事を思い出すことになる
そう考えると自分のしたことが相手にとってどんな深い意味を持つ行為だったのかと改めて後悔する思いと共に・・・歪んだ充足感が沸き上がる
園崎みたいな美少女を・・・あたかも自分が支配しているかのような錯覚
可愛い女の子を隷属させその肉体を愛玩物のように扱いたいと思うのは、男なら誰でも心の奥底に抱く密かな願望だろう
そんな男にとっての羨望的状況にいる自分
それに対し不純な優越感が心を満たしてくる
っと、マズイマズイ!
また、俺って奴は・・・!
ホント懲りないな
俺の煩悩は底無しか?
「!?」
不埒な欲望に流されそうな思考を現実に戻すと俺を見つめる園崎と目が合った
微かに頬を染め、虚ろともいえる眼差しで俺の顔に視線を注いでいた
「園・・・崎?」
彼女の様子に少し戸惑いながらも声をかける
「え?・・・・・・・・あ、ゴメン経吾・・・ちょっと見とれてた・・・・・今、経吾すごく邪悪っぽい顔してて・・・・カッコよかったから」
「え?・・・・・・・そ、そうだったか?」
よこしまな思考に捕われてたのが顔に出てたのか・・・
邪悪な顔って・・・どんな!?
それが格好よく見える園崎の感覚もどうかと思うが・・・
◆ ◆ ◆
「聞いてくれ経吾、実はボク達という存在の根幹に関わる重大な事実が解った」
二人並んで歩き出してすぐ、園崎がそんなことを言い出した
「重大な・・・事実?」
俺がそう聞き返すと園崎は神妙な顔で頷いた
「あれから・・・家に帰ってから思いつ・・・思い出したことなんだが・・・ボクと経吾は幾つものセカイ、幾つもの時代を幾度も転生を繰り返した・・・特異多重転生体だったんだ」
えーと・・・、トクイタジュウテンセイタイ?
なんだそれ?
つーか今、『思いついた』って言おうとしなかったか!?
「ボクと経吾は幾度となく転生したがお互いの魂が呼び合い、その度に巡り会った。クロウとクオンもその中のひとつに過ぎないんだ」
「・・・そ、壮大だな」
一日、日を置いてリセットされてるどころかスケールアップしていた
「例えば・・・このセカイでの前世、かつて経吾が『源義経』と呼ばれていた時、ボクはし・・・『静』と、呼ばれていた」
ちょっと待て、中学時代のあだ名がいつの間にか前世にされてるぞ
「あ、あのな園崎・・・」
「おはよう、義川くん」
園崎の妄想話に口を挟もうとしたとき背後から名前を呼ばれた
振り返ると黒髪ロングで眼鏡の女生徒、委員長の姿があった
いつ見ても隙の無い優等生って出で立ちだ
「ああ、おはよう委い・・・」
「やあ、おはよう委員長。僕もいるんだが・・・見えなかったかな?」
俺のセリフに割って入ると共にその身体も俺の前に割って入る園崎
「う・・・、お、おはよう園崎さん。今日も朝から義川くんに纏わり付いてるの?」
「ふふん、『纏わり付く』とは失礼な言い方だな。僕は纏わり付いているのではなく、『侍って』いるのだよ」
「はべっ・・・!?」
園崎のセリフに委員長が絶句する
マズイな、このまま口論を続けさせたら園崎が勢いのままに『ドールとして』、なんて口走るかもしれない
「ほ、ほら二人とも止めろって」
「ん、経吾がそう言うならボクはもう止める。委員長がなに言ってきても言い返さない」
「なっ!?わ、私だって別に・・・」
俺の仲裁の言葉に園崎が素直過ぎるほど素直に従い、それに合わせ委員長も言葉を飲み込んだ
しかし俺を間に挟み歩きながら双方が相手に見えないプレッシャーを与え続けていて、俺の精神は学校までの道のりで著しく疲弊することになった
◆ ◆ ◆
なんで俺、始業前からこんな疲れてんだ・・・
溜め息と共に校門をくぐった瞬間、背中に悪寒が走った
それはちょうど草食動物が近付きつつある肉食獣の気配に本能的に感じる恐怖に似ていた
「そぉ~のぉ~さぁ~きぃ~」
地の底から響いてくる声を思わせるような・・・押し殺した声音
校門の門柱の影からゆらりと現れたのは口元を歪め薄笑いの表情を浮かべたホヅミ先生だった
立ち昇る怒りの波動によりその身体の輪郭が揺らめいて見える
「ひっ」
そのただならぬ雰囲気に委員長が短い悲鳴を上げ、園崎が身構える
なんだ!?
朝っぱらからめちゃくちゃ怒ってないか?
「くくく・・・園崎、『タクシージャック』とは粋な事をするじゃないか?ああ?」
タクシー・・・ジャック!?
先生の言葉に園崎が顔色を変える
「やはり貴様だったか園崎・・・・タクシー会社から学校の方にクレームが入った。『お宅の女子生徒に無茶な運転をさせられた』、とな・・・」
「ぼ、僕はジャックなんかしてない!ちゃんと料金は払った!」
俺の顔にちらりと視線を向けてから慌てて先生に反論する園崎
「貴様は小学生か!?料金さえ払えば何をしてもいいというわけじゃないんだぞ!!」
タクシーって・・・、休み前のあの日の事か?
「貴様の遊びに一般人を巻き込むなとあれ程言ったのが判らんのか!?何が『運転手さん、あの車を追ってくれ!』だ!刑事ドラマの真似事か!?」
「!?」
ホヅミ先生のセリフに園崎がびくりと身を震わせ、怖ず怖ずと俺の顔を振り返り見る
そしてさっと目を逸らすと・・・
瞬時に身を翻し物凄い勢いで逃げ出した
「!?・・・・コ、コラ!待て園崎!」
さすがのホヅミ先生も一瞬の事で対応に遅れ、追いかけようとした時にはもう既に園崎の姿は校舎の陰に入り見えなくなっていた
◆ ◆ ◆
結局園崎は始業開始のベルがなっても教室に戻ってくることはなかった
一限目の授業を聞きながら空席のままの隣を横目で見る
園崎・・・このままずっと逃げたまま戻ってこないつもりか?
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ああ、もう!
しょうがねえなアイツ!!
居たら居たで気が散って授業に集中できないのに居なきゃ居ないで気になって全く集中できねえよ!
俺は授業中の教室の中、思わず立ち上がる
そして先生を始め全員の視線が集まる中、一人教室を飛び出した
◆ ◆ ◆
授業中で誰もいない廊下をひとり歩き、着いた先は旧棟屋上に出る金属製のドアの前だった
実際思い付くのはここくらいだ
あくまで校内にまだ残っていたらの話だが・・・
ドアノブに手をかけ、回す
しかしいくら引いても鍵が掛かっていて動かない
だけどなんとなく・・・ドアの向こうに園崎が居るような気がした
「園崎、俺だ・・・そこに居るか?」
返事はない・・・
「居るんだろ?開けてくれ」
微かに息を飲む気配・・・しかし鍵の開く様子は無い
・・・・・。
・・・・・・・・・しょうがない
少し意地悪するからな?
「俺はお前のマスターじゃなかったか?ドールがマスターの命令に従わなくていいのか?」
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
カチャリ
鍵の回る音・・・そして微かに金属の軋む音と共にドアがゆっくりと開いた
おお、すごいなマスター効果
僅かに開いたドアの隙間から見えたのは園崎の気まずそうな顔
俺は思わず安堵の吐息を漏らす
そしてドアをくぐり屋上へ
そこは抜けるような青空が広がっていた
だがそれとは対象的に園崎の顔は今まで俺が見たことないくらい暗く沈んでいた
「あの・・・その・・・・ゴ、ゴメンね経吾」
「・・・・・・・・。」
「あ、あの時・・・あたし居ても立ってもいられなくて・・・」
「・・・・・・・・。」
「いけないとは思ったんだけど・・・どうしても我慢できなくて・・・」
「・・・・・・・・。」
「こんなあたし・・・キ、キモい?嫌いに、なる?」
「・・・・・・・・。」
「ゴ、ゴメンなさい!あ、謝るから・・・嫌いにならないで!許して経吾!」
「・・・・・・・・。」
「け、経吾ぉ・・・」
「・・・・・・・・。」
園崎の目尻に大粒の涙が浮かんでくる
そんな風にうろたえる園崎の前でとうとう耐え切れなくなった俺は・・・
「ぶふっ」
思わず吹き出した
「ぶはは、あはははははははははは・・・・」
そして大声で笑い出してしまった
「経・・・吾?」
突然、腹を抱えて大笑いを始めた俺に園崎が困惑した声を出す
「お、お前なあ?確かにあのセリフは誰でもタクシーに乗ったら、つい言ってみたくなるけどさ。ホントに言うなよな」
「え?え?」
「だいたい運転手さんだって困ってたろ?『あの車ってどの車だよ!?』みたいな」
「え?あ、う・・・・・うん」
園崎が気まずそうに目を泳がす
ふう・・・、やっと笑いがおさまってきた
俺は息を整えると静かに園崎に語りかける
「あのさ、園崎。ホヅミ先生も言ってたけど・・・一般の人に迷惑かけるような事は止めようぜ?」
「う、うん?」
「えーとその・・・そういうのはちゃんと・・・俺が付き合うからさ」
「うん・・・え!?け、経吾?」
「だからさ・・・他の人を巻き込むのは、これからは無しだ。そういうのは俺とだけ。・・・わかったか?」
「う、う、うん!わかった!もう経吾だけ!あたし、もうこれからは経吾だけにする!」
園崎は興奮気味にそう言ってこくこくと頷いた
あーあ。俺、ちょっと早まった事言ったかな・・・
ま、しゃあないか
今更後戻りも出来ないくらい、俺は園崎の事・・・
「とりあえず先生の所に謝りに行こうぜ。俺も一緒に謝るからさ」
「う・・・うん」
俺の言葉に園崎は素直に従い、その後二人で職員室へと向かった
ホヅミ先生のお説教は思い出すだけで悪夢にうなされそうなほど苛烈なものだった
園崎は反省文とタクシー会社への詫び状を書かされた後、なんとか放免された
その現場に居合わせてなかった俺には責任は無いハズなんだが・・・
一緒に怒られたあとホヅミ先生から『こんな事が二度とないようにしっかり園崎の首に縄をかけておけ!』と言われてしまった
だからなんで俺に丸投げ?
やれやれ・・・
今日は散々な日だった
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
学校からの帰り道
俺は溜め息つきつつ隣を歩く園崎を盗み見る
園崎はホヅミ先生に怒られたあと意外にも先生の言葉に大きく頷き神妙な顔で
「解った・・・・ホヅミの言う通りにする・・・約束する」
などと言い、さすがのホヅミ先生も拍子抜けしたように
「そ、そうか。ま、まあ判ればいい・・・もう帰っていいぞ」
などと返していた
もっと反抗的な態度を予想していたのだろうが意外なほど従順な園崎に毒気を抜かれたようだった
「・・・と、園崎?」
隣を歩いていた園崎が急に立ち止まり、そこにあった店のドアをくぐり中に入ってしまった
なんだ?
慌てて俺も続いて店内へ
そこはペットショップだった
犬や猫、ハムスターにフェレットなどが檻に入れられている
どうしたんだ?気になる動物でもいたのか?
まあ園崎も女の子だ。
愛らしい小動物に興味を持ったりしてもおかしくない
そんな事を考えながら園崎の背中を追うと、立ち止まった場所はペット用品コーナーだった
「ねえ経吾、これとこれ・・・どっちがいいと思う?」
そう聞いてきた彼女が両方の手にそれぞれ持っていたものは・・・大型犬用と思われる、首輪だった
「・・・・・えーと、園崎。犬、飼ってたっけ?」
一応そう尋ねてみる
「んーん。これはボクの。経吾、好きな方選んで」
「なんで!?」
「え?だって経吾の好みのデザインの方をつけたいなって思って」
「じゃなくて!なんで首輪!?」
「え?だってホヅミがボクの首に『しっかり縄をかけとけ』って。経吾も『はい。判りました』って・・・縄をかけるのに首輪が必要でしょ?」
「そういう意味じゃねえぇぇ!!」
俺は久しぶりに腹の底からのツッコミを入れる
そんな俺に園崎は『?』みたいに小首を傾げ、そして俺達のやり取りを見ていた若い女性店員がドン引きしていた
「って、違います!俺達はそーいうんじゃなくて・・・園崎!頬を染めながらリードを選んでんじゃない!!」
営業スマイルを引き攣らせる店員さんの誤解を解こうと弁解する傍ら、園崎にツッコミを入れる
「凄いです・・・先輩達ってもうそういうプレイまで・・・」
「ってサクマ!?なんでいる!?」
聞き覚えのある声に振り返ると赤面する後輩女子の姿があった
「いえ、ワタシはウチのプリッツの犬ビスを買いに・・・でもまさか先輩達のイチャラブアイテム購入の現場に遭遇するなんて・・・・」
「あ、あのなサクマ・・・」
「判ってます!判ってますから!!絶対、誰にも、言いませんから!!!」
「そ、そうじゃなくてな・・・」
「大丈夫です先輩!ワタシももう高校生ですから!色んな愛のカタチがあることくらい理解してますし・・・あ、それじゃワタシ、プリッツが犬ビス待ってますんで失礼します」
「ちょ、待っ・・・」
また激しい誤解が生じた!
俺は追いかけようと身体を動かすが右腕を引っ張られて足が止まる
振り返ると園崎が
「けーごけーご。見てくれ、鈴が付いたかわいーやつがあったんだが小さいサイズしかないんだ!」
と訴え、その後ろで
「・・・お、お客様・・・・、それは猫用ですので・・・」
と女性店員が困り顔で説明していた
犬がひゃんひゃんと吠え、猫がにゃうにゃう鳴く混沌とした店内で俺は激しい眩暈と脱力感に襲われるのだった
(つづく)




