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鍵の在処は、離縁状と一緒に置いてまいりました

作者: 柚木さと
掲載日:2026/07/24

屋敷の鍵を四十七本、頭に入れていた公爵夫人の話です。

一話で終わります。札は、作っておりません。


 収穫祭が終わって、三日目のことだった。


 腰の鍵束は、全部で四十七本ある。


 外すと、思っていたより重かった。十二年ぶりに腰が軽くなって、少しふらついたくらいだ。


 わたしはそれを、離縁状の上に置いた。


「こちらが、鍵でございます」


 夫は卓の向こうで、鍵束を見た。それから、わたしを見た。


「札は」


「札、と申しますと」


「どれがどの鍵か、書いた札だ」


「ございません」


 夫の指が、卓を一度、叩いた。


「では、どうやって使う」


「覚えております」


「……お前が、か」


「はい」


 夫は鍵束を持ち上げて、揺すった。四十七本が鳴った。いい音だ、といつも思っていた。


「一本ずつ試せば分かる」


「はい。西の物置の鍵だけ、形の似ているものが二本ございますので、そちらはお気をつけくださいませ。片方を三度差すと、内側の心棒が落ちます」


「落ちると、どうなる」


「開かなくなります。錠ごと壊すことになりますが、あの錠は先代さまが南から取り寄せたもので、同じものが国内にございません」


 わたしは頭を下げた。


「以上でございます。ほかにお伝えすることは」


「ない」


「では、失礼いたします」


 部屋を出るとき、後ろで鍵束がもう一度鳴った。夫が、また揺すったのだろう。


    ◇


 アルブレヒト公爵家の屋敷は、部屋が八十三ある。


 棟が三つ。地下が二層。物置が十一、蔵が四つ、氷室がひとつ。


 わたしが嫁いだのは二十のときで、翌年から鍵を預かった。姑が寝付いて、誰も引き継げる者がいなかったからだ。姑は札を作らない人だった。「札を作ると、札を無くしたときに全部が止まる」と言っていた。だから頭に入れろと。


 三年かかった。


 四十七本の鍵と、八十三の部屋と、そこに何がどう積んであるか。冬の毛布は北棟の三階、東から二つ目の物置の、右手前の櫃の上から三段目。銀器は地下一層の第二蔵、入って左の棚、大皿は下段で小皿は上段。婚礼のときの燭台は同じ蔵の奥、布を二重にかけて、その上に空の木箱を載せてある。盗みよけに、わざと粗末に見えるようにしてある。


 全部、頭の中にある。


 紙には書かなかった。書けと言われなかったし、書いておけば楽だと思ったこともなかった。


 ――思ったことは、一度だけある。


 五年目の冬に、熱を出して三日寝込んだ。そのあいだ屋敷が止まった。誰も何も出せなかった。起き上がって最初にしたのが、氷室を開けることだった。中の氷が半分溶けていた。


 あのとき、書いておこうかと考えた。


 考えて、やめた。


 書けば、わたしはいらなくなる。


 そう思ったことを、十二年、誰にも言っていない。


    ◇


 王都の東に、質蔵が並ぶ通りがある。


 うちの実家は男爵で、二番目の兄が王都で商いをしていた。転がり込んで、しばらく置いてもらうつもりだったのだが、三日目に兄が言った。


「ヨハンナ、お前、蔵の預かりをやらないか」


「なんです、それは」


「うちが預かってる質草が、今、千二百口ある。どれがどこにあるか、帳面はあるんだが、帳面と現物が合わん。合わせられる人間がいない」


「帳面があるのに、合わないのですか」


「あるから合わんのだ」兄は頭を掻いた。「書いたやつと、積んだやつが別なんだよ」


 わたしは蔵に入れてもらった。


 四半刻ほど歩いて、出てきて、言った。


「三番の棚から七番の棚までは、去年の秋以降のものですね。八番から先は古い。ただ、五番の三段目にだけ、二十年前のものが混ざっています。あれだけ縄の縒りが違いますので」


 兄は、しばらく黙っていた。


「……月に金貨二枚出す」


「三枚」


「二枚半」


「では、いただきます」


    ◇


 公爵家の話が流れてきたのは、ひと月ほど経ってからだ。


 質蔵の通りには物が集まる。物が集まると、物の来歴が集まる。


 最初は、冬の毛布の話だった。


 閉ざしの月に入って、屋敷中の毛布が出せなかったという。北棟の物置は開いたが、どの櫃かが分からない。全部開けた。十四の櫃を開けて、毛布は最後の一つに入っていた。そのあいだ、公爵家の人間は三晩、外套を着て寝た。


 次は、銀器。


 春の宴の前日に、地下の第二蔵の鍵が見つからなかった。四十七本を順に試して、開いたのが翌朝だったという。宴には、厨房の錫の皿が出た。


 それから、西の物置。


 わたしは、それを聞いたとき、思わず手を止めた。


 ――三度、差したのだ。


 錠は壊された。中から出てきたのは、麻布の巻きが二十と、鼠の巣だった。あの物置は湿気を吸うので、三月に一度、風を通す決まりになっていた。誰も通していなかったのだろう。


 物置ひとつを開けるのに、南から取り寄せた錠を壊した。


 わたしは帳面に目を戻して、その日の分の照合を続けた。


    ◇


 夏の初めに、公爵家の使いが質蔵に来た。


 兄が応対して、奥へ来て、困った顔をした。


「ヨハンナ。お前を出せと」


「わたくしを」


「鍵の一覧を書いて売ってくれと。金貨十五枚出すそうだ」


 わたしは筆を置いた。


 十五枚。悪くない額だった。半年ぶんの給金より多い。


 わたしは前掛けを外して、表へ出た。


 使いは若い書記官で、こちらを見て、少し驚いた顔をした。公爵夫人だった女が前掛けをしていたのが、意外だったのかもしれない。


「奥さ――失礼、ヨハンナさま」


「はい」


「一覧を、お願いできますでしょうか」


「売る形が、ございません」


「は」


「札を作っておりませんので。覚えているだけです。売れるものが、手元にないのです」


 書記官は、口を開けて、閉じた。


「……では、書いていただくわけには」


「書けば、四十七本と八十三部屋で、たぶん半年かかります。屋敷を歩きながらでないと出てこないものもございますので、こちらに通っていただくのでは足りません」


「半年」


「はい。それと、書いたものは、今度こそ無くさないでいただきたいのですが」


 わたしは、そこで少し言葉を選んだ。選んで、結局、そのまま言った。


「先代さまが札を作らなかったのは、無くしたときに全部が止まるからだそうです。わたくしは十二年、その通りにしてまいりました。ですので、一覧というものを、この家は一度も持ったことがございません」


 書記官は、帽子を握ったまま、頭を下げて帰っていった。


    ◇


 その日の夕方、質草がひとつ、持ち込まれた。


 兄が帳場から呼んだので、わたしは奥から出ていった。


 卓の上に、布に包まれたものが置いてある。持ち込んだのは商人で、公爵家の名は出さなかった。出さないのが作法だ。


 わたしは布を開いた。


 燭台が一対。銀。柄のところに、蔦の意匠。


 地下一層の第二蔵、奥。布を二重にかけて、その上に空の木箱を載せてあったものだ。


 わたしはそれを両手で持ち上げて、重さを確かめた。婚礼の日にこれを磨いたときと、同じ重さだった。


「いくらだ」兄が聞いた。


「――少々、お待ちください」


 わたしは燭台を卓に戻して、台座を裏返した。


 底に、彫りがある。二人ぶんの頭文字。


 片方は、わたしのものだった。


お読みいただきありがとうございました。

燭台の台座に彫ってある頭文字は、二人ぶんです。ヨハンナがそれをどうしたかは、書きませんでした。


この「柚木さと」名義では、家を出ていった妻たちの話を書いています。どれも一話で終わります。


・手紙を全部代わりに書いていた妻の話 『あの方のお手紙は、全部わたしが書いていました』

 https://ncode.syosetu.com/n0386mn/

・馬に信じられていた妻の話 『あの子たち、わたし以外は乗せません』

 https://ncode.syosetu.com/n0391mn/

・畑の種を選っていた姉の話 『妹に譲りましたので、畑もお持ちください』

 https://ncode.syosetu.com/n0393mn/

・冬の備えを数えていた妻の話 『今年の冬支度は、なさっていないのですか』

 https://ncode.syosetu.com/n0397mn/


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