第61話 綻びの兆し
王都の朝は、わずかに違っていた。
市場の声が少ない。
活気が消えたわけではない。
だが、どこか慎重になっている。
「今日は仕入れを減らすか……」
「値段が上がりすぎてる」
「様子見だな」
商人たちは敏感だ。
わずかな変化でも察知する。
そして――動きを止める。
それが一番危険だった。
王宮。
宰務官の報告は短かった。
「取引量が落ちています」
私は資料を見る。
予想通りだった。
だが、想定より早い。
「どの程度ですか」
「主要市場で一割減」
殿下が眉をひそめる。
「まだ小さいな」
「ええ」
私は頷く。
「ですが」
視線を上げる。
「これは“始まり”です」
取引が止まる。
流通が鈍る。
金が回らなくなる。
その先にあるものは一つ。
停滞だ。
「原因は」
殿下が問う。
「不確実性です」
私は即答する。
「価格が読めない」
「供給が読めない」
「だから動かない」
市場は恐怖で止まる。
それは戦争より静かで、深刻だ。
その時、カイルが急いで入ってきた。
「報告です」
「地方都市ルグナより」
空気が変わる。
「何があった」
「商会が三つ、取引停止」
沈黙。
「理由は」
「赤字です」
簡単な言葉だった。
だが意味は重い。
私は目を閉じた。
ルグナは中継都市だ。
交易が止まれば真っ先に影響を受ける。
つまり――
「最初に崩れる場所です」
私は静かに言った。
殿下が椅子から立ち上がる。
「どこまで広がる」
「まだ局地的です」
「ですが」
私は続ける。
「放置すれば連鎖します」
都市が止まる。
周辺が止まる。
やがて国家全体が鈍る。
それが経済だ。
宰務官が言う。
「対策は」
私は少しだけ考えた。
そして答える。
「資金注入」
「流通保証」
「そして――」
言葉を選ぶ。
「安心の提示」
殿下が眉を上げる。
「安心?」
「はい」
「市場は理屈ではなく感情で動きます」
「不安を消さなければ、何をしても止まります」
そのためには――
「現地に行きます」
私は言った。
殿下が一瞬黙る。
「危険だ」
「分かっています」
「だが」
私は真っ直ぐ言う。
「机の上では止められません」
沈黙。
やがて殿下が息を吐く。
「……準備をさせる」
「ありがとうございます」
その日の夕方。
ドミニク侯爵の屋敷。
「ルグナが動いたか」
報告を聞き、侯爵は静かに頷く。
「早いな」
側近が言う。
「想定よりも」
「当然だ」
侯爵は紅茶を口にする。
「制度は理屈で作られる」
「だが市場は感情で崩れる」
窓の外を見る。
「さて」
小さく呟く。
「彼女はどう動く」
王宮。
私は出発の準備をしていた。
書類ではなく、旅装。
王妃候補としてではない。
一人の政治家として。
ルグナへ。
最初の綻びを止めに行く。
だが私はまだ知らない。
それが――
ただの綻びではないことを。
国家を揺るがす亀裂の始まりであることを。
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