第4話 私が悪かったのだろうか
夜は、思考を静かにするどころか、時に残酷だった。
部屋の明かりを落とすと、闇が余計な音を連れてくる。
壁に当たる風の音、遠くを走る馬車の軋み、時計の針の規則正しい音。
そのすべてが、考えないようにしていたことを、否応なく思い出させた。
私は、ベッドに腰掛けたまま、動けずにいた。
――本当に、私が悪かったのだろうか。
王太子アルノルト殿下。
彼の婚約者として過ごした日々を、順に思い返す。
初めて顔を合わせた日のこと。
まだ幼く、緊張していた私に、殿下は笑顔で声をかけてくれた。
『よろしく頼む。君はとても聡明だと聞いている』
あの言葉が、どれほど嬉しかったか。
期待に応えたい。
失望させたくない。
そう思って、私は学んだ。
礼儀作法、歴史、法律、経済、外交。
誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで机に向かった。
殿下が困らないように。
殿下が恥をかかないように。
それが、いつしか当たり前になっていた。
殿下が苛立っているときは、余計なことを言わない。
失言をしたときは、裏で静かに修正する。
判断を誤ったときは、別案を用意する。
私は、そうやって支える役を選んだ。
――けれど。
それは、殿下にとって「冷たさ」だったのだろうか。
思えば、私は感情を表に出すことを、意識的に避けていた。
喜びも、不安も、怒りも。
王太子妃候補として相応しくあるために。
泣く姿を見せるのは、弱さだと思っていた。
甘えるのは、未熟さだと信じていた。
その結果が、これだ。
不要だと言われ、切り捨てられた。
胸の奥が、じくりと痛む。
もし、もっと笑っていれば。
もし、もっと頼っていれば。
もし、もっと“女の子らしく”振る舞っていれば。
――結果は、違っていたのだろうか。
そんな考えが浮かんでは、消えない。
自分を責める思考は、底なしだった。
私は、誰かの役に立たなければ、価値がないのではないか。
だから必死で、有能であろうとした。
それは、間違いだったのだろうか。
ふと、机の上に置かれた一冊のノートが目に入る。
政務のために使っていた、個人的な覚え書き。
ページをめくると、几帳面な字で埋め尽くされている。
「……ここまで、やってきたのに」
声が、かすれた。
どのページにも、私の時間がある。
私の努力がある。
それでも、評価されなかった。
それなら、私には何が残るのだろう。
公爵家の娘という立場。
かつての王太子妃候補という肩書き。
どれも、今は重荷でしかない。
――空っぽだ。
胸の内に、そう感じた瞬間、呼吸が少し苦しくなった。
私は、これから何を目指せばいいのだろう。
誰かに必要とされる場所は、まだあるのだろうか。
答えは出ない。
ただ、確かなのは――
もう、同じようには戻れないということ。
窓の外を見上げると、夜空に星が瞬いていた。
変わらず、そこにある光。
私は、あの星のように、ただそこに在るだけではいけなかったのだろうか。
「……分からないわ」
呟いた声は、闇に溶けた。
ベッドに横になり、目を閉じる。
けれど、眠りは訪れない。
自己否定だけが、静かに、確実に積み重なっていく。
それでも私は、まだ知らない。
この夜が、
――すべてが変わる前の、最後の孤独だったことを。




