第2話 不要だと言われた理由
夜会の翌朝、王宮からの正式な書状が公爵家に届いた。
婚約破棄の事実確認と、今後の処遇について。
淡々とした文面だったが、その一行一行が、私の立場を明確にしていた。
――王太子妃候補、失格。
長年当たり前のように背負ってきた肩書きが、紙切れ一枚で消える。
不思議と、涙は出なかった。
「……そう」
私は書状を畳み、机の上に置いた。
父は、難しい顔をして窓の外を見ている。
母は、何か言いたげに唇を噛みしめていた。
「エリシア」
先に口を開いたのは、父だった。
「王太子殿下の決断だ。公爵家としても、逆らうことはできない」
「はい」
「……お前に落ち度がなかったとは言わん」
その言葉に、胸の奥がわずかに痛んだ。
「王太子妃という立場は、人の心を掴めてこそだ。お前は……少し、堅すぎた」
責める声ではない。
けれど、擁護でもなかった。
「申し訳ありません」
私は、そう答えるしかなかった。
十年以上。
私は“堅い”と言われながらも、与えられた役目を果たしてきた。
政務会議の記録。
貴族からの陳情の整理。
外交文書の下書きと修正。
王太子の名で出される書簡の多くは、私が目を通し、整えたものだった。
失言を失言と悟らせないように。
問題を問題になる前に潰すために。
それが、婚約者としての務めだと信じていたから。
「殿下は、君が冷たいと言っていたわ」
母の言葉が、静かに落ちる。
「笑顔が少ない、と」
私は一瞬、言葉を失った。
――笑顔。
政務の席で、笑顔が必要だっただろうか。
緊張した外交の場で、感情を表に出すべきだったのだろうか。
「……そう、ですね」
否定する言葉は、喉まで出かかった。
けれど、結局飲み込む。
結果がすべてだ。
そして、結果はこうなった。
私は、不要だと判断された。
その日の午後、屋敷の廊下を歩いていると、使用人たちの視線を感じた。
同情。
困惑。
そして、距離。
誰も無礼なことは言わない。
けれど、以前とは確実に違っていた。
「お嬢様」
声をかけてきたのは、古参の侍女だった。
「……お疲れでしょう。少し、お休みになっては」
「ありがとう。でも、大丈夫よ」
本当に、大丈夫だったのだろうか。
夜、部屋に戻ると、私は机に向かった。
無意識のうちに、政務用の帳簿を手に取っていた。
――もう、必要ない。
そう思って、そっと閉じる。
胸の奥に、ぽっかりと穴が空いたような感覚が広がった。
私は、何のためにここまでやってきたのだろう。
王太子の隣に立つため?
公爵家の娘としての義務?
それとも――自分の価値を証明するため?
「……分からないわ」
誰もいない部屋で、初めて言葉にした。
冷たい、と言われた理由。
愛想がない、と断じられた理由。
もしかすると、私は“役に立つ存在”であろうとするあまり、
“一人の人間”であることを忘れていたのかもしれない。
それでも。
それでも私は、間違っていたのだろうか。
誰かの失敗を支え、誰かの責任を引き受け、
表に出ることなく国のために動くことは――
罪だったのだろうか。
答えは、まだ出ない。
ただ一つ分かるのは、
この先、私は自分の居場所を失ったという事実だけだった。




