第16話 監察官の来訪
王宮に、少しだけ張り詰めた空気が流れ始めたのは、その朝だった。
「……監察官?」
その名を聞いた瞬間、私は手を止めた。
「はい。王直属の宮廷監察官が、本日より数日間、各部署の監査に入るそうです」
マリエルが、いつもより低い声で告げる。
王直属。
それは、どの派閥にも属さないという意味だ。
「第二王子殿下の管轄も、対象になる?」
「当然ね。むしろ、重点的に見られるでしょう」
理由は明白だった。
最近、第二王子の周辺だけが、妙に“整いすぎている”。
派手な成果はない。
だが、問題も表に出てこない。
――不自然なほどに。
執務室に戻ると、ルシアン殿下が既に席についていた。
「聞いたな」
「はい」
殿下は、いつもと変わらない表情だった。
「今回来るのは、アーデルハイト・クロイツ。王が直接任じた監察官だ」
その名には、聞き覚えがあった。
「……記録主義者、ですね」
「よく知っている」
殿下は、わずかに口元を緩める。
「感情で動かない。敵にも味方にもならない」
それは、厄介であり――
同時に、公平でもある。
「隠す必要はない」
殿下は、静かに言った。
「これまで通りでいい」
「はい」
私は、深く頷いた。
誤魔化しは通じない。
ならば、正面から“積み上げた結果”を見せるだけだ。
昼過ぎ、監察官は現れた。
背は高くない。
装飾の少ない服装。
感情の読めない灰色の瞳。
「アーデルハイト・クロイツです」
淡々と名乗り、軽く一礼する。
「形式的な挨拶は不要です。早速ですが、帳簿を」
その声音には、遠慮も威圧もなかった。
ただ、事実だけを求める声。
私は、準備していた資料を差し出した。
「第二王子殿下管轄の倉庫管理に関する記録です」
アーデルハイトは、無言でページをめくる。
一枚。
また一枚。
沈黙が、やけに重い。
「……数値の乱れが少ない」
ぽつりと、そう言った。
「管理者が優秀なのか」
私は、少し考えてから答える。
「基準を統一しました。判断に迷わないように」
彼の視線が、私に向いた。
「あなたが?」
「はい」
「……そうですか」
評価とも否定ともつかない返答。
だが、そのまま続きを確認し始める。
「過程が、きれいすぎる」
次に出た言葉は、それだった。
「隠しているのではなく、最初から無駄がない」
私は、息を止める。
殿下は、口を挟まない。
「このやり方は、どこから?」
問いは、私に向けられていた。
「前任地での失敗例を参考にしました」
「……なるほど」
アーデルハイトは、初めて小さく頷いた。
「理屈は通っています」
それ以上、何も言わない。
だが、その沈黙は、否定ではなかった。
監察官は、最後に一言だけ残した。
「引き続き、確認を続けます」
淡々とした口調のまま、部屋を出ていく。
扉が閉まったあと、私は小さく息を吐いた。
「……どう、思われたでしょうか」
「分からない」
殿下は、正直に答えた。
「だが、悪くはない」
それだけで、十分だった。
私は、改めて実感する。
第2部は、もう“身内の評価”ではない。
国の目。
制度の目。
逃げ場のない視線。
その中で、私は――
自分の仕事だけを、積み上げていく。
静かに、しかし確実に。
評価されるかどうかは、
もう、私が決めることではないのだから。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




